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詩の勉強

津村俊夫『へブル詩のなんとか』岩波翻訳委員会訳『旧約聖書』

なんかのネタ― なんかのネタ―

雅歌2:12 「ハ ニッツァニーム(花ニッツァンに複数形)が大地に現れ、ザミール(剪定、歌 なほ雅歌だけの単語)の季節が来た トール(四月頃パレスチナへ渡る山鳩)の声が大地に響く」
花々のころ~剪定だか歌な季節~どーどぽっぽの声が、といふ連想の体系かなんかがあるらしい。

5:2前略 ドーディ(女性の側の「愛しの彼」)がドーフェク
Dofeqは通常「戸を叩く」と訳される 岩波訳では「彼ぴが夜中来てるのに叩いちゃいかんでそ」として「押す」ちな同じ語は創世記33章13節で「追い立てる」
開けておくれアホーティ(僕の妹) ラアヤティ(男性の側からの「愛しの女性」) ヤナーティ(僕の鳩)タマーティ(僕の清純な人)
TMMが「完全」なので岩波訳では「僕の理想の人」諸訳の「全き人」は直訳 支那語の、はい。
5:5アル カッポート ハ マヌウル(鍵)
カッポートは岩波訳では「取り敢えず」取っ手と訳したと書かれるが、この語は通常訳では取っ手。この語は元来「掌」でまんこの方と書く。ただ、岩波説では5:4「彼が穴から手を出してきた/私の胎はびくんびくんした」の手(Yad)は男性器であらうとしてをるが津村俊夫によれば、「雅歌5:5」の方での手=ちんこ説があるがこれは「複数形」なので「単数形」でないとちんちんを指す語にならない。

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