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ぺねとれいしょん!

 “放放(あるいはファンファン)は、浪浪(またはランラン)の足を頴考叔之挟轅(脇に挟む)し、養由基之穿札(あるいは射穿鎧甲)した。”
とかの文章は、ググってみる限り、支那へ行っても検閲がスルーしさう。
さういへばドラゴンボールに「ランファン」といふおねいさんが出てきた。彼女の「脇のくぼみ」まで書くと言ふ鳥山明御大のナニに感動したおにいさんが、いろいろやってジャンプで看板マンガ『ワンピース』を書くことになったらしい。

 刺す、突く系は、秋津島の人に向かって出すと、なんか説得力を持つらしい。「北斗の拳」で寸鉄がアレな武器(敵に突き刺しても効かない)として登場したが、メインウェポンにする場合、下手すると当たる。

 南方熊楠の「婦女子を突いて回るナントカ」と言ふものを忘れてゐる。(平凡社版全集五巻p549 宝永年間に短刀で女の尻をついて歩くお侍がゐたとか、南方先生の頃外国で女のケツをついて回るあほが出たとか)

 辛はもともと、グリップの付いた針を表し、それで道を刺し、災を除く(除もその系統の儀礼を指す語の筈)御呪ひが行はれてゐた、と言ふのが白川静説であるが、後の五行説が成立時、道(水系の川とかの水路も入る)も所属するメタル属性の味が「辛い」。金性はもふもふしたものも入るが、その王白虎のでなくて、寅を「矢柄をただす形」とする白川先生は、於兎とかのT音でタイガーを指す文化圏(大言海などで登場する弦 トラの原語チュルポムの「チュル」といふ朝鮮語が出ないよう 弦がJARIだよう)を示唆してゐるが、タイガ―の原語ティグリスは「ティグリ(矢)のごとく速く走る生き物」ださうである。多分こっちは偶然である。

 道路でなんとかといふと、「万障を排して一日に千里を往復する」虎を言訳にして、無事な帰還を願って針を通す千人針といふ習俗があったさうであるが、経絡とかにも虎がもふもふしてゐるらしく、東南アジアで、虎の格好をした鍼灸医がゐたとかである。まだいいと思ふ。

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