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あうあうあうあう

支那で絶対者を拝む関係が出る可能性。あー、メシアニスムから行くと毛沢東主席はメシアならしい。絶対的存在を無視し、絶対者を拝む宗教を倒立した世界意識としてアレするものの信奉者の中に、飯屋ができてしまふ皮肉は面白いけど無視。

 可能性一 捻くれて馬一族のイスラム。十九世紀、雲南の辺までなんかやってたらしい。いろいろあってつぶれる。
 可能性二 普通に太平天国 天国だったといふ記録がえらいことあるらしい。雅麗氏(アリス)上人様といふ方が功労者ならしいのだが、この方がなんなのか謎。

 体内だけで三百六十五柱の神がゐるは、いろいろあるはの支那で、絶対的唯一神がふんぞり返りうる可能性。さらに、劣化コピーではなく、五行説が成立しだした三国志の時代、黄巾の乱を興したおいさんは、その五行説イデオロギーに基づきつつも、さらに救世主イデオロギーにも基づいてゐた為、倒すべき獣(識別コードをブルーとする 自分のコードである黄は青に搾取される方)にボコられる、と言ふ情けない真似を晒し、さらに獣に過ぎない関羽とか劉備玄徳、曹操とかがもふもふする、アレな世界になったと言ふのが三石善吉説。こんなんで絶対者がふんぞり返りうる可能性はー、若干無理―。その三石説では、アジター・マイトレーヤが弥勒になる可能性は極めて低い、らしい。

支那系のナニでラビア(変なものを想像しない ラーウィア 四番目の女の意)といふ方がゐらっしゃった。名前の元にゐる方は「神秘家列伝」系の本に、登場する聖女で、ある種お約束通り、カーペットを浮かべてそこへ乗ったと言ふ伝承がある。

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