• エッセイ・ノンフィクション
  • 創作論・評論

アグリカルチャー 伝播

 墨子 子墨子とか言はれる。
 魔道関係の言訳として、一応使へる。本人と墨家集団の皆さんは大変プラグマティックなかたであるが。
 ざっくり言ふと、A戦争はいけないaでも戦争反対派がつるんでても戦争はなくならないbタカ派へ「戦争をやめろ」と言っても基本聴かない、ので、B 喧嘩売られました助けてくださいって依頼を受けて、だけど、城塞都市国家がデフォルトの城を、普通は三百人くらゐのスタッフが、レーザーはないがレーダーはあった、の巣にし、まう中へ銭形のとっつぁんを入れるとか、ヤークト・ティーゲルとかの方の戦車がゐるやうな最強の城塞都市国家にリフォームし、さう言ふわけなので、中の人を「戒厳令下の平和主義者」へリフォームする。地道にやっていけば、天下は戒厳令下の平和主義者で統一され、戦争はなくなる。といふ思想を実践した。

 宮崎駿御大は、1991年刊行の「墨攻(酒見賢一)」を読み、アニメ化せんとして、押井守といふ才能が溢れ返りまくるおっさんを何したらしいのだがソレなのでだか何だか、その企画は頓挫。ちなみに酒見賢一先生のデビュー作のアニメ化「雲のように風のように」担当者は押井御大の師匠で、文春文庫版「墨攻」の表紙は「雲のように~」のキャラデザを担当した近藤勝也御大。

 大変ややこしいことに、墨家の技術が好戦的な皆さんにより墨守されるといふ皮肉な継承と、弱きを助け強きをくじくイデオロギーが何となく五斗米道とかに受け継がれ、さらに墨子が地仙になったといふ捏造でもって、本人の傳記っつうても、知り合ひの技術者が、開発した物を戦争の言訳にされたので子墨子へ説得依頼したらいろいろあってマイマシンをDISられたので、よばれて論争の果てに、即製のボードゲームによるシミュレーションまでしてダメだと言ふ証明をされることになったといふのだけだけど、それを書かれる列仙伝だか神仙伝だかで、辛うじて継承される。白川静先生は、「狂字論」で、汎世界的な狂(デモーニッシュななんぞを表す獣偏に拘束具としての王)の人のうち、孔子以来の支那は狂ひ方が異常である点を指摘、そのstコンフキウスの他、墨子も充分くるっとるとする。

 漫画版の『墨攻』は墨家バイオテクノロジー部がお米開発して、そこの担当がいろいろあってそれを主人公革離へ托し、と言ふのがあるのであった。今のバイオテクノロジーはこの二次元の支那の紀元前のそれを無視してあっちに行ってゐる。遺伝子組み換へ=不味いといふイメージがあるが、えー、
 ぢゃあ、禹王の関係、かの、黄河流域をの治水をし、その前として踏み固める儀式を為したために、足を一本痛めてしまった一応魔道王を、「信仰」してゐた土方カルトに農業関係の伝道が為し得るか不明である。そのコンフキウスは、実学そのものを若干無視する方向で宣ってゐた関係で実学が去勢される言訳を作ったが、彼が信奉する周朝の勝利の原因は、中尾佐助説で「畑のフィールド化とドライファーミングの開発」といふアセンションを為したため。

 佐々木高明先生によれば、てふか京大探検部の人としては、人間が栽培することにした穀物はファラリス・カナリエンシス(カナリア諸島の雑穀)にしろ大麦にしろオリザ・グラベリマにしろ燕麦にしろシコクビエにしろ、当然のやうに一年で枯れるものであり、多年草は一万ン千年前の人には「人類には早すぎる植物」であった筈であるが、佐々木先生は、東南アジア、1980年ころまでの久米島とか、で、ヒツジ栽培と呼ばれる、一介刈り取ってまた生える米を収穫する農耕文化がある/あった旨を紹介してゐる。

1件のコメント

  • 黒いやかん様

    「友人がネズミになった日」にコメントいただき、誠にありがとうございました。
    歓喜のあまり、右腕を脱臼しました。

    今後ともよろしくお願い致します。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する