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設定厨になれない

若宮 土着の凶悪ななんぞを、そこの神様として祭る御宮。八幡様の若宮とかは、八幡様がボコって子分にしてゐるらしい。若いのでどこぞの王子と言ふことになってゐる。藝能が捧げられる。本体は蛇神とされる。

 衒ひのないところで、靖国の若宮。招魂社が顕彰碑になる過程で、招魂@マナを集める場所としてひりだされる可能性。と荒魂(あらみたま)はいいのだが、和霊(にぎみたまの筈)ってそれを拝んどるところの祭神がテンション高めな件。あと、顕彰碑の方がエンターテインメントの場所化するに際して、「だいたいこいつのせい」とか設定しておきたい。

 葦津珍彦(あしづ・うずひこ)先生によれば、国家神道成立過程において、朝鮮で神社を拵へる際、神社庁が「じゃあ檀君と地元の英霊っつうか祖霊を」といふコンセプトでアレしてゐた折、お上から「天照大神以外は祭神として認めん!」とかがあったさうである。資料としてー。

 秋津島の人が、ナショナリズムに燃え、かつ日本人である自分に自信が持てなかった頃、キリスト教的なアレに、強烈なあこがれと異常な拒否感を持ってゐたツンデレ関係がある処で、「南洋の土人が拝む宗教の体系の最高峰」として成立する神道、の右翼からの批判と、左翼からの憧憬(可能らしい)。南洋の土人の信仰即ち、カプー、タブー(池上永一「シャングリ・ラ」は資料として一応あうあう)、マナ、カフナ等が秋津島の信仰との照らし合わせにより体系化され、顕彰ではなくそれを為すための儀礼の成立、行ふ時点での、ナショナリストからの攻撃と左翼からの称賛。何とか言ふクリスチャンの人が神道の潔斎を見て「それにしびれるッ!あこがれるゥ!」といった件は一応参照。
 
 イチコ ミコの呼称の混乱。アイヌのヌプルだかトゥス、沖縄のユタ。ノロ、等の体系化される言訳。木火土金水のコンプリートする可能性。土性は萌にするか検討。ゴンボダネ(妖術系)とイチジャマ(邪術系)若干仏教入ってるけどこっちでやれたら。

 イコンを持たない宗教、として、敗戦後GHQから「待てやおい」と言はれる関係。アメリカで神道が紹介された際鳥居がイコンとして見られた説があるが資料がない。フェティゾとして柄杓、瓢 カプセル状のものが拝まれた関係。一応この辺をやって、「オカルト関係から目の敵にされる」とかやると説得力が出る、筈。

 キリスト教的なナニの要請で、イコンを置かされ「呼吸する蛇」を無理やり拝まされることになる関係。九の字は=三つ首の雌のドラゴンを表したとする白川静説、は要検討。衒ひのないところで八岐大蛇。朝松健原作桜水樹作画『マジカルブルー』(てふマンガがあったのよ 最終巻発行が1995年だ文句があるか)では、某と八岐大蛇が習合され、それを拝んでゐる人が、御本尊を召還するため、東北はまあ無視するとして、阪神~関西とかはありえず、九州はいいと思ふけどまあ無視する方向で、フォッサ・マグナの上あたりに原発の建設と言ふ形で召還する儀礼場を建設する。ちゃんとすごい皮肉が展開。

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