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ぬこびと関係

沙漠棲の人類の人を。とりあへづぬこで。
 スナネコが知的生命体になる条件即ち、a工作できる器官 b周りを探る器官、とc高度なコミュニケーション能力を持つ可能性。スナネコはアレだよ。繁殖期が二回あるんだよ。沙漠棲生物のくせに。あいつら人間ぢゃねえよ。

 「アフターマン」のストライガー 一応拇指対向性を持つ。纏じょう性を獲得し肉球まで持つシッポ、もあるがコミュニケーション能力はない。つうか群れない。なほ、作者のD=ディクソン大先生は、人類化あるいは人間といふ存在に関し一貫して批判的否定的。

 テリル・ウィットラッチ大先生の関係。ぬこ人類が描かれる。旧約の、延々「雌の羚羊か野の女鹿のごとく跳ねる君のおっぱい」といふのが出る雅歌で、さういふ関係として描かれる「葡萄畑の狐」を、そのまま葡萄畑の狐として描く。こっちはもふもふしてゐるが、ぬこ人間の皆さんもふもふしてない。

 フランソワ・ラブレーの本。必然的に「パンタグリュエル物語」。ぬこファーを羽織ったぬこ坊主共がどうとか、GRIPPeMINAULT(掻っ攫ひ猫)、Raminagrobis(オコジョらしいファーを被った猫。「CHAZ FOURREZ(もこもこファーを被った猫坊主 今はCHAT FOURREでググらないとわからない)族の長」)等、猫系のタームがクリスチャンの蔑称として登場する。資料がどっか行った。あとイタリア人の遣ふ罵言で、「TIGRE」と言ふのがあるさうである。うー。
 秋津島では江戸時代の妖怪関係で「とらにゃあにゃあ」と言ふ仏教関係の糞坊主を揶揄したものが。

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