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第一回自主企画⑤

コトノハーモニーの遠野と北山です。
今回ははじめての企画に参加して頂きありがとうございます。一体何を言われるのかと身構えてる方もいらっしゃるかもしれませんが、物語を書く端くれとして、書き直すための材料として何が必要だと思うのか、真剣に意見を出し合い、まとめました。

批評『アボットの槍』@shibachuさん
https://kakuyomu.jp/works/1177354054894763807

肯定的批評
①文章はわかりやすく読みやすい
②物語において重要な「アボット選手」について、野球に詳しくない読者にもどういう人物なのか伝わる
③(野球に詳しいと思われるが)父が語る野球の話にリアリティがある

批判的批評
①書簡体小説として書くには、文字数に対して背景と語られる情報量が多く、シンプルに伝えやすくしたことで、かえって物語としての深みや発展性が薄れてしまったように思う。(これまでの父子の往復書簡の最後の一通、もしくはこれまでの日々が物語としてあった上での構成ならわかるが、手紙の往復で完結しているため)

②これは父子の物語にしたいのかもしれないが、この話では主人公はどちらなのか。
父の物語か、息子の物語か、そこが定まっていないように思う。
父親にとっての転機は息子が障害を持って生まれたとき、アボットの存在であり、息子にとっての転機は「陸上部に入らないか」と誘われた時だと思う。ここが両者の手紙からズレて感じられるため、前半のアボットの言葉の印象が後半になると薄れる。
(「いい言葉だなあ。」という息子の感想が、正直軽く見えてしまう)

③ノンフィクションとしてならこの手紙はアリなのだと思う。しかしフィクションとして、エンタメやドラマとして捉えた時にどうなのか。本作は読みやすくわかりやすいが、読んだ後に殆ど印象に残らない。なぜかというと、手紙の中でお互いに過去を振り返り、綺麗にまとまり過ぎているからだと思う。手紙をもらうことで、その言葉があったことで、何が起きたのか、どう心が動いたのか、という部分を具体的なエピソードとして見せた方が読者にはドラマチックに感じられるのではないか。

雑感
・父子の手紙の中だけで話が完結しており、読者が入り込む余地がないように思う。批評しようとして、手紙とは本来自由なものであり、手紙以外の二人が見えないためどう捉えるべきか苦心した。また一方で、書簡体小説として読者に説明していると感じる部分もあり、父の手紙だけにするなど、構成を変えたほうがいいのではないか。
・例えば息子が陸上に誘われたとき、父からもらった手紙とアボットの言葉がずっと心の支えになっている→選考会当日もそれを読んで競技に挑む、というような、手紙というアイテムだからこそ現代のやり取りにこだわらなくてもいいのではないか。
・息子が「いい言葉だなあ。」と言う部分が、父親へのメールの返信として堅苦しくないように言った言葉であったとしても、書簡体という体を取っている意味が薄れてしまうように思う。手紙だからこそ、きちんと言葉にして伝えることができる。父親にとってはアボットの言葉は大事だとわかるが、ここでの息子の反応を見ると「息子にとってどういう意味を持っていたのか」という温度差を感じた。
・本作は障害という題材が盛り込まれているが、アボットの言葉のメッセージ性は普遍的であり、引きこもりや不登校、何かの挫折といった場合でも強いメッセージがあると思う。本当にその題材を描きたいのかは、一考が必要ではないだろうか。

今回は企画に参加頂き、ありがとうございました。
この批評も私たちの意見や主観が入ったものになりますので、もちろん肯定的・批判的共に全てを受け入れる必要はなく、それを望んでいるわけでもありません。どうかご自身のよりよいと思う作品を、これからも作り続けて頂ければ幸いです。

このような機会を頂きありがとうございました。
今後の活躍をお祈りいたします。

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