コトノハーモニーの遠野と北山です。
今回ははじめての企画に参加して頂きありがとうございます。一体何を言われるのかと身構えてる方もいらっしゃるかもしれませんが、物語を書く端くれとして、書き直すための材料として何が必要だと思うのか、真剣に意見を出し合い、まとめました。
批評『雑木林に迷い、光をひろう』白藍京さん
https://kakuyomu.jp/works/1177354054898710528肯定的批評
①挫折を知らないからこそ、ちょっとした事で躓いた時にうまくいかない感じが分かりやすい
②片目の犬に導かれる→不思議に出会う→現実に戻る、という構成が短編の中で分かりやすく描かれてる
③作者が独歩を通して伝えたいメッセージが明確でわかりやすい
④境という名前から非日常との境と結びつけるのが面白い
批判的批評
①絵で食べていきたい、という主人公の苦悩や切実さがあまり感じられない(試行錯誤の後が見えない)
②読者に対して作中で提示されるべき情報(主人公のスランプの原因、出会った人物=独歩)が提示されておらず、ふわっとした解決した印象で終わっている
③独歩の登場から「唯一無二だ」と答えを出して悩みが解決するまでが早い。また、主人公の悩みに対する答えを独歩がまとめてしまっているが、主人公が独歩との出会いをきっかけに自力で辿りついた方が良い(迷うことから逃げていた事と絵が描けなくなったことは本来は悩みとして別になるのでは?)(具体的に何に悩んでいるか言及したくなければ、周囲から「どうしたんだ?」と心配されるなどの描写が欲しい)
雑感
・武蔵野という共通点はあるが、芸術に対して独歩なのか?という疑問が残る(正直接点がないので主人公は独歩と気づくのか?)
・帰りは元の世界に戻れるように、元の世界って、とやり取りするより、現実に戻って始めて犬が消えてあれ?となるくらいの方が余韻があるように思う
・「ジブリ映画に出てきそうな雑木林」というのは、自分なりの文章で描写した方がいい
・独歩を登場させるならその必然性が必要ではないか。独歩の『武蔵野』が世間一般にはあまり評価されなかったように、独歩が良いと思ったものが評価されない、主人公が良いと思ったものが評価されないというような、主人公の悩みに共通点を作ってはどうか。
武蔵野という土地と独歩の関係性をこういうアプローチで作品にする試みは面白い。ただ角川武蔵野文学賞への応募作とはいえ、武蔵野という舞台ありきで書かれたと思える部分があり、独歩がなぜ主人公に対してだけ姿を見せたのか。そこに何か共通するものはないのか。そこを描いてこそ、この話はさらに共感を呼ぶことができる話になると思う。作者にはその点をもう少し書き直しの際に検討してもらえれば幸いです。
今回は企画に参加頂き、ありがとうございました。
この批評も私たちの意見や主観が入ったものになりますので、もちろん肯定的・批判的共に全てを受け入れる必要はなく、それを望んでいるわけでもありません。どうかご自身のよりよいと思う作品を、これからも作り続けて頂ければ幸いです。
このような機会を頂きありがとうございました。
今後の活躍をお祈りいたします。