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第七章「喪失とreconstruction」について

山南敬助は脱走したか

新撰組作品では、壬生屯所時代最後の山場として描かれる山南の脱走と切腹ですが、
史実としては、脱走は創作との見方が定説になっていますね

当作で敬助を脱走させなかったのは、史実を重視したわけではなく、
敬助が脱走を選んだ理由に思い至らなかったためです

いや、だって、なんで大津なんかにいたのよ
なんで追っ手が総司だけなのよ
死を決したにしても、わざわざ脱走というワンクッションを置いたのはなぜ?
……脱走、しなくても良くない?

という問答の末、

①文久2年正月、岩城桝屋での負傷により前線から退く
 →新撰組副長たるアイデンティティの揺らぎ
②幕府による志士弾圧(禁門の変時の六角獄舎&天狗党処断)
 →衝撃、不信、助命嘆願の叶わない無力感

このふたつの要素を中心に、
一年と少しに及ぶ敬助の心境を追ってみました

当作に限っての「もしも」ですが、
伊東が東下せず、側にいてやれたら、敬助を死なせはしなかっただろうなぁと思います



さて、伊東さんの和歌は古今調でしょうか
技巧的な感情表現や、心情とリンクさせた風景描写が特徴として挙げられるかと思います

私も歌の巧拙を判じられるほどではないのですが、
「春風に〜」以下四首、ひとつずつを拾って見ていくと、
「ソツなくまとめておいでますなぁ」
との感想に留まる程度、取り立てて秀歌とは思いません
(ていうか、文法……あれ……? となるのですが……)

ところが、各首を漢詩のごとく起承転結に当てはめてみると、
各首に連歌のごとき有機的なつながりが見え、一気に作品としての深みが増します

起(首聯)と承(顎聯)にては、散り去った山桜を通して敬助を弔い、
転(頸聯)にて一転、伊東自身について詠みます

皇のまもりともなれ
 黒髪の乱れたる世に死ぬる身なれば

この「も」とは、「添加」ではなく、「最小限の希望」でしょうから、

〔添加〕…もまた。…も。
〔最小限の希望〕せめて…だけでも。

「我が身が、せめて帝の護りとなれば幸いだ」という、控えめな願望でしょうか
……ここに伊東さんの為人を垣間見られる気がします(さん付けしたくなるくらいには、好きなんです)

そして、結(尾聯)

雨風によしさらすとも厭ふべき
 常に涙の袖にしぼれば

前首から続いて、この涙とは憂国のものと読むことが素直な読み方なんでしょうが、
敬助を弔っての四首の結びですから、
敬助の死を悼んで流れる涙も含まれるでしょう

となれば、やはり、敬助はなんらか勤皇の志を示して亡くなったのではないかなぁと思われるのです

(以下、小声)

雨風によしさらすとも厭ふべき
 常に涙の袖にしぼれば

こちらの歌ですが、
よしさらすと「も」の係助詞を受けるのなら、終止形「厭うべし」が正しいはず
『涙の袖に絞る』とは、これまた意味が通りそうで通りません

……複製&転写の過程に疑いが持たれますね
あれだけ多くの歌を残した伊東さんが、基本も基本な品詞の用法を間違えるはずがないでしょう……?

しかし、それをいうなら、伊東さんの和歌を写して本にまとめてくれた方たちだって、文語体での作文=古文の品詞活用には慣れていたはずなんだけど……
でも、こういう他者編纂の作品って、編者がこっそり手直しすることもよくあるから、それすらなされていないのなら、やはり、写す過程での誤字が疑われる……気がします



小説本文では、私なりの解釈で品詞を変えています

https://kakuyomu.jp/works/16816452218532958653/episodes/16816452219695398692

[通説] 吹く風にしぼまんよりは山桜散りて跡なき花ぞ勇まし

[改変] 吹く風にしぼまんよりは山桜散りて跡なき花ぞ勇ましき

花「ぞ」と係助詞が用いられているので、「勇まし」の連体形「勇ましき」で受けるべきかと思われました

字余りが気になるのなら、「花の勇まし」でしょうけど、
それよりは、「花ぞ勇ましき」と強調した方が注目ポイントができる = 全体のまとまりが良いので



[通説] 雨風によしさらすとも厭ふべき常に涙の袖にしぼれば

[改変] 雨風によしさらすとも厭ふべし常に涙の袖にしあれば

よしさらすと「も」と係助詞が用いられているので、「厭ふべし」と終止形で受けまして、

「涙の袖に絞る」では、意味が通らない&「涙の袖」と「袖を絞る」とでは表現が重複していますので、
「涙の袖にしあれば」(断定の助動詞「なり」の連用形「に」+強意の副助詞「し」)としました


……本来とは違う形である可能性の方が高いくらいですが、
一応、意味は通る改変ですので、お許しいただきたいです

(小声、以上)


ともあれ、この一連の四首は、冒頭の一首が有名ですが、
実は転結の二首こそが、敬助の志を讃え、同じく勤皇の道を歩まんとした伊東の、その決意が表れた主題部なのではないのかなと思ったりします

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