• 歴史・時代・伝奇
  • 創作論・評論

自主企画の御礼と、『私、小説書くとき、ここに気を付けてます』の公開について

 自主企画にご参加いただきました皆さま、改めてありがとうございました。
 終了から一週間以上経ってのご挨拶となり、遅れましたことお詫びいたします。

 自主企画は初め、歴史物や時代小説を読んでの感想を書きたい、あわよくば、作者さんと仲良くなりたい、との思惑で始めました。

 それが、いくつか感想を書かせていただくうちに、

「あー、この設定を活かすなら、ここの表現はもう少しこうするべきかなぁ」

と思うようになり、感想企画が批評企画へと変わった次第です。

 作品を分析的に読み、考えを文章化することで、今までいかに自分が物語を漠然と書いていたかを痛感しました。
 読み方、伝え方、それぞれ大変勉強させていただきました。

 当イベント中に考えたことは、近況ノートにて公開しようと考えていたのですが、あまりに内容が多くなりましたので、

『私、小説書くとき、ここに気を付けています』

と題して、創作論ジャンルにて公開することにしました。
 管見ながら、こちらを企画のまとめとさせていただきます。

 より有用な内容とするために、ご指摘、ご反論などをいただけると幸いです。
 よろしくお願いします。

 改めまして、皆さまありがとうございました!


https://kakuyomu.jp/works/16816452219794190829

15件のコメント

  • こちらに回答させていただきます。

    こちらこそ、有意義な企画に参加させていただいて、誠にありがとうございました。
    御作につきましても、楽しみに拝見し、たまさかにコメントさせていただいております。

    さて、ご質問の件についてですが、下記のとおり、回答します。

    【史実と創作の織り交ぜ】

    田中芳樹先生が、「海音寺潮五郎先生が『平将門と藤原純友が出会っていない……という資料は無い』として、二人が邂逅するという設定で創作した」と言っていました。
    ただしこれは、私の記憶によるものなので、正確なところはちがうかもしれません。
    ただ、これが、歴史ものを書く時の、私のやり方に取り込まれている考えなのです。
    悪魔の証明みたいになりますが、完全に無い、と言い切れなければ、書いてしまいます。

    また、史実と反することでも、その方が面白ければ、そっちを採用します。酷い話ですが、講談とか、軍記物とかもそういうところがあるので、史実ベースの話は歴史研究家の方にお任せして、私はアマチュア作家らしく、面白さ重視で、ただし「らしい」感じになるように気をつけて書いております(実際に「らしい」かどうかは措いて)。
    たとえば、河越夜戦では、北条綱成は、伝えられるところでは古河公方の陣に攻めかかったらしいのです(大将首を取りに行ったのでしょう)。しかし、拙作「河越夜戦」では、ドラマを描きたかったので、山内上杉の陣へ攻めかかっています。

    【同じ世界線ながら別作品】

    同じ時代、ちがう場所、の場合……私はそれをつながった世界と捉えてしまいます。気をつける、というよりは、そうなってしまう、の方が正しいです。資料やら設定やらが流用出来て、時間の節約につながるから、という裏事情もあります。
    そもそも創作用のメモもろくに取らず、大体がwikipediaを眺めて書くというところが、そのまま同じ世界という設定になってしまっているのかもしれません。
    ただし、「花倉の乱」と「河越夜戦」は意図的に(積極的に)同一世界にしました。カクコンに応募するにあたり、どちらかを見た人が、もう片方を読んでもらえるかな、という淡い期待を抱いてのことです。執筆も「花倉」→「河越」と継続して書いているので、事実上、「序章」→「本編」みたいな感覚で書いていました。

    以上です。
    それでは、よろしくお願いします。
  • 四谷軒さん
    ありがとうございます

    やはり、史実や史料をベースにしつつ、創作を優先するところもある、といったところでしょうか。
    さらに重ねての質問で恐縮ですが、そのさいに四谷軒さんが思う「おもしろさ」の線引きはどちらにありますか?
    この改変はさすがにアホらしい、と思う境目と言いますか……

    作中での改変点を「史実との間に生じる差異」と仮定して、
    その差異を、違和感や不快感ではなく、おもしろさとして読者に認識させるための「目安」を、きっとお持ちだと思うのです。
    漠然とした質問ではありますが、そこがおそらく、回答に個人差が見られる点かと思うので、知りたいところです。

    併せて、「らしさ」に関するご意見もお聞かせ願えますでしょうか?

    具体的な問いになっていなくて申し訳ないのですが、よろしくお願いします!
  • 恐れ入ります。
    また、こちらに書き込みさせていただきます。


    【面白さの線引き】
    史実では「これは無いんじゃないか」と思われるところを、その「これ」が「ひょっとしたら有り得るのでは」という解釈が可能な場合で(私の脳内で)、面白いと思える場合が、ラインです。

    具体的に申し上げますと、「河越夜戦」で、河越の、関東管領山内上杉と扇谷上杉率いる関東諸侯同盟軍に、太原雪斎が軍師として存在しているケースがそれです。
    史実では、おそらく太原雪斎は駿河にいて、今川義元の河東一乱の戦いを補佐しているのが正しいと思います。しかし、では、河越にいなかったのかと言われると、ひょっとしたら居たかもしれません。
    少なくとも、wikipediaとか見る限りは、そういう解釈が成り立つと勝手に思い、そうすると太原雪斎VS北条綱成という夢の対決ができる=面白くなる、と私は思いました。

    また「朝の信濃に、雷、走る。」でも、史実では上杉謙信は、北条綱成来たるの報に接し、即座に軍を退かせています(あくまでも信濃の北側に退いています。越後には帰らず、いちおう、武田軍と「対峙」はしたそうです)。武将としては正しい判断です。地黄八幡との対決は避けるが賢明ですし、この頃は、まだ本格的に北条家とことをかまえたくなかったでしょうから(そうなるよう、武田信玄が画策したんでしょうが)。
    しかし、そうすると上杉謙信VS北条綱成という夢のカード(さっきからこればっかりですね(^^;)が成り立たないので、「伝えられてなかったけど、これくらいの小規模戦闘くらいはあったかも」と思われるレベルで戦ってもらいました。その結果、謙信は戦況の不利を悟って戦略的撤退した、という「歴史の改変」をしました。

    要約すると、「史実」というルールの範囲内で、誰と誰が出会っていた、戦っていたというようなifが成立する、あるいは誤魔化せるレベルならやっています。
    面白いか面白くないかは、ケースバイケース……かもしれません。飽くまでも私が面白いと考えるかどうかによります。
    たとえば斉藤道三と毛利元就が会ったことがある、と言われても「そうかもしれないね」で終わるかもしれません。
    ところが、斉藤道三と毛利元就がタッグを組んで戦った、となると、「え? それ何? もっと聞かせて?」となるかもしれません。


    【「らしさ」について】

    これまで書いてきた中では、その時、その場所に、その人が存在する、ということが解釈できるか、ということで「らしさ」を考えてきました。
    前述の、太原雪斎が河越夜戦の時に、河越に存在できたか、というところです。「いや、いないよ」という史料が、あるいは未発見の史料があるかもしれませんが。
    また、たとえば「花倉の乱」では、今川義元と今川良真は直接対決をしていたかどうか怪しいです。実際は家来同士が争ったのでしょう。でも、良真軍は、今川館を強襲したらしいのです。で、そこを拡大解釈して、そのタイミングでバトルさせました。これで史実では、良真軍が花倉にずっと籠城していたら、ちょっと難しかったと思います。


    ……大体、こんなところでございます。
    なんだか答えになってない答えかもしれません。つらつらと書きました。
    お目汚しで、申し訳ありません。

    それにしても、自主企画を主催するだけでなく、こういった「まとめ」をするとは凄いですね。頭が下がります。

    ではではノシ

  • お久しぶりです!こちらこそ連絡ありがとうございます! 四谷さんがこちらにコメントをあげてらっしゃったので、見失わないよう私もこちらへ書かせていただきます。

    新たに作文法などについてまとめてくれるのですね。ありがたく参考にさせていただきたいと思います!

    では、質問していただいたことについて回答していきますね。とても長くなってしまったので、二回に分けてコメントさせていただきます。ご容赦くださいませ······。
    まずは「長編を書くための前準備」と「キャラクターの描き分け」についてです。

    ・長編を書くための前準備
    お恥ずかしい話なのですが、私はあまり前準備を行わずに書き始めることが多いです。
    いつもの書き方としては、初めに主人公やキーパーソンの経歴を調べ、最終的な物語の着地点を決めるようにしています。その後は何気ない空き時間などを使い、入れたいシーンや出来事を思い浮かべ、「大体このあたりの章に入れようかな」とメモしておく程度です。
    このように手抜きの私が言えたことではありませんが、長編を書く際に大切なのは「物語の始めと終わりをどこにするのか」、「章などの区切りをどこで入れるか」、「舞台の切り替えはあるか」と言う部分かと思います。特に歴史物ですと、「何年から何年頃にかけて(主人公が何歳から何歳頃まで)の物語なのか」、「有名な事変などをどう配置するか」などが話の軸をずらさないポイントなのかなと考えます。

    ・キャラクターの描き分け
    こちらについては、ポイントだと思っている部分が三つあります。
    一つ目は主に実在した人物についてですが、「学説や他作品での描かれ方を幅広く調べること」です。自分の作品展開にぴったりな学説があるかどうかもそうですが、全く違う学説だったとしても、要素を少しずつ取り入れ、組み合わせて、一人のキャラクターにすることがあります。やはり他作品などを見ると、人物ごとに似た傾向があったりするので、イメージを湧きやすくするために王道の性格にしたり、寧ろ意外性を持たせるために多数派とは違うキャラクターにしたり······というやり方も有りだと思っております。
    二つ目は登場キャラクターのバランスですね。先日の企画では私の拙さが見え見えだった部分です······。これはどんな小説、漫画、アニメなどでもそうですが、やはり似た傾向ばかりではなく個性のあるキャラクターが揃うと面白さが増すような気がします。陽気なキャラ、クールなキャラ、のんびり屋などが典型的でしょうか······。歴史物だと特に取っ付きにくさも出てきてしまうので、身分や時代背景のことを考えつつも、我々に馴染みのあるキャラを作るように心がけています。好みの問題はあると思いますが、私の作品では全く違う時代の人物にも共感できるような要素を大切にしていきたいです。
    そして私が一番心がけているのは「とにかくキャラを動かしてみる!」という部分です。私は趣味程度に絵も描きますので、主にTwitterでキャラクターを描いたり遊ばせたりして性格を固めていきます。本編や史実への関係に関わらず、常識の範囲内でどんなシリアスネタでもギャグネタでもとりあえずやってみる······そんな心意気で落描きをしています。そうすると、一ヶ月もしないうちに明るい子、クールな子などは深く考えずとも脳内で勝手に動いてくれるようになりました。ただ思想や性格が複雑なキャラクターはほいほい動かすのにまだ慣れていません······。

    とりあえず前半はここまでです。後半はもう少し短くなるかと思います······長くてすみません。
  • ではここから後半に入ります。残りの「事実と創作との折り合い、織り込み方」についてと、「歴史を扱うことへの考え」についてです。

    ・事実と創作との折り合い、織り込み方
    ここは作者の腕が試されるところですよね······。私も力を入れるようにしています。私は主に古代史を扱っているので、資料が少ない場合が多く、その穴埋めとしてオリジナル要素を入れるようにしています。特に史料や伝説に残っている事柄を組み合わせたり繋ぎ合わせたりしてオリジナル要素を作り込むことが多いです。
    あとはキャラクター性の部分でも挙げたのですが、学説と学説の間をとる戦法ですね。複数の学説に「この解釈いいなあ」と思う部分があった場合、心に刺さった要素を抜き取って、繋ぎ合わせ、一つのオリジナルな流れを作ってしまうことが多いです。史実性を求めている方にはあまり好まれないやり方だとは思いますが、私としてはこの方法が一番腑に落ちる場面展開が書ける気がします。

    ・歴史を作品として扱うことへの考え
    最後の回答になりますが、この問題は歴史創作をやっていると必ずぶち当たりますよね······。歴史を史実として突き詰めたい方々からすれば、実在した人物をキャラクターとして扱うことや、オリジナル要素を含めること、創作のネタにすることなどなど解せない部分が多いジャンルなんだろうなと思います。そのため、やはり元になった人物に敬意を払う気持ちは決して忘れてはならないと考えています。
    しかし一方で、事実とフィクションは方向性が違う概念だとも思っております。我々が書いているのは学術的な論文ではなく、一つのあったかもしれない虚構の物語です。元々歴史は百パーセントと言いきれる事象が少ない分野でありますが、それでも学問的に史実を突き詰める論文と、娯楽として楽しまれるフィクションでは、読者が求める内容に大きな差があると思います。そもそも事実だけでは表現できない架空の世界がフィクションですので、それを「面白い、こんな可能性もあるのか」と受け入れることも、「作品ではこう言ってるけど史料に残っている話はこうだよね」と比較してみることも、読者の自由なのではないかと思っています。
    そのため結論としては、あくまで「フィクションである」と明示をした上で、歴史を作品として扱うことは、決して咎められるべきことではないと考えます。しかしながら、偉人の血縁者への配慮が必要なことは事実ですし、確かに現実に生きていた人物がいたことも事実です。そのため、あくまで「偉人をモデルとして参考にさせていただいていること」、「彼らの功績と命があったからこそ創作という娯楽を楽しめていること」を決して忘れてはならず、フィクションという言い訳を使って彼らを侮辱する行為は許されないと考えています。フィクションという世界で物語を作り上げるからには、その言葉の利便性に甘えず、本気で読者を楽しませられる作品になるよう手を尽くしたいと考えております。

    結局後半も長々と喋ってしまいましたね······大変申し訳ございません! 素人の意見をここまで読んでくださり本当にありがとうございます!
    つらつらと自分の意見を連ねましたが、これもまた単なる個人の考えですので、違う意見をお持ちの方も大勢いらっしゃると思います。なのであくまで参考程度にお読みくださいませ。

    小鹿さんの企画に参加させていただき、とても為になる的確なアドバイスをいただけたことを心より感謝しております。特に最近は小鹿さんのアドバイスのおかげで創作意欲や向上心がぐんぐんと増しました。この度も企画のまとめとして声をかけてくださり本当にありがとうございます!
    これからの作品も楽しみにさせていただきますね!
  • 四谷軒さん
    お忙しいなかの度重なるご返答、ありがとうございます

    おもしろさの線引きも、「らしさ」も、
    語られることには共通点があるように思われました
    何度も出てきた「解釈」
    これが四谷軒さんの重要ワードとお見受けします

    「解釈可能=リアリティの限界値」との置き換えができるかもしれません

    限界値を超えない範疇で、時間的&地理的リアリティと、物語における因果関係/必然性とが成立する限り、
    史実の隙間を創作したり、史料とは異なる筋書きにしたりすることができる

    ……できる、というか、四谷軒さんが自分自身に「改変」を許可するラインと定めているのでしょうかね

    「おもしろければ良い」とはよく聞く言葉ですが、
    「なんやねん、そのおもしろさって一体!」と近頃グルグルしておりましたので、
    ひとまずの答えを得られて、ありがたい限りです

    企画や「まとめ」がすごいかと言えば、はて……
    企画は元より、私自身の執筆能力向上を図ったものですからね
    (分析的な作品観賞は、プロよりもアマの方が良し悪しのコントラストがはっきりしている分、課題には望ましいのです)
    皆さんの助力のお陰でありますから、差し出していただいた手には、存分に世話になろうとの浅ましき魂胆です 笑
    それに、教育課程の先生が言ってらしたんですが、学びに重要なのは、やりっぱなしにしないこと、まとめと反省を行うことなんだそうです

    というわけで、四谷軒さんにはもう、本当に助けていただきまして……
    ありがとうございました
    エッセイの完結は、先が見えていないのですが、どうか最後までよろしくお願いします
  • 小鹿様

    私の作品について詳細に分析してくださってありがとうございました!「そうそう!」と思う点もありました(笑)今度はこちらに書かせていただきますね。
    (他の方が読んでも通じるように小鹿様の書き込みを<>印で引用させていただきますね)


    <初音さんの物語は、(史実ベース × 諸説の取捨選択)+ 自身の創作というような方程式に基づいていると見えた気がします。(中略)初音さんの作品からは「歴史には介入しない/できない」という姿勢を感じるんですね。>

    これは私自身の新選組フィクション遍歴にかなり影響されてるんですが(笑)、『風○る』という少女漫画がありまして(ご存知かもしれませんが)、その作者さんが徹底的に細かく史実を調べていて、その姿勢に心打たれたというのがあります。私も、書くなら素人なりに史実をちゃんと調べよう!というのがスタンスとして根底にあります。
    なので

    <『青嵐』『浅葱色の桜』、両作を通して、並々ならぬ資料研究量も伺わせます>

    と言っていただけるのはかなり嬉しいですね!(笑)実際投稿サイト界隈だけでも上には上がいると思いますが(^^;

    <同時に、嫌な言い方になりますが、ストーリーは定説通りに進みますし、主要キャラクターも、その表層は(2000年代後半よりの新撰組モノにおける)巷間のイメージと親和的な言動だと思います>

    これも、私の執筆遍歴が影響しているのですが、もともとお話を書くことを始めたのは二次創作からでした。昔は主人公の名前を自分の名前に変えられるタイプの二次小説が結構ありまして、好きな既存物語の世界に入ってキャラクターたちと絡んだり冒険したりできるのが好きでした。で、新選組もの(歴史もの)なら、二次創作の延長で書ける!と愚かにも(笑)書き始めたのが『青嵐』でございます。
    こうして投稿サイトという場を知り他の方の作品を読むまで、イチからキャラクターを考えてストーリーも考えて、なんてやろうともできるとも思えませんでした。
    ですから、オリジナル物語発想力があんまりないんです(苦笑)。単なる未熟ゆえ、四谷軒様のような「史実ベース × 自身の創作」という次元に行けないというのが実情ですね(苦笑、2回目)史実の流れを「原作」に見立て、それに沿って二次創作をしているという感覚でしょうか。なので、先行作品のパブリックイメージにもかなり影響されてしまってます。


    <・新参組には、幕末特有の時代性を難解に思わせない軽妙な語り口、キャラクター化された登場人物
    ・古参組には、なるほど、これを拾ってきたかと思わせる小さなエピソード、史実を埋める日常性>

    もう、ポジティブに言い換えてくださってありがとうございます!(笑)
    <時代性を難解に思わせない>は単純にこんな感じの文章がもう染みついてしまってるから、という感じですし、小さなエピソードを拾ってくるのは、実は「史実調べてますアピールをしてどや顔したい」という下心から来ています。カクヨムやなろうで他の新選組作品を読んで、「この人、めっちゃ調べてるな!私も負けないぞ!」とそっち方向に燃えてしまったりもします(笑)(最近は、「どや顔したい」は大人気ないな、それよりもテンポを重視した方がよかろうと次第に考え方も変わり、エピソードの取捨選択にはより注意していると思います)


    <(史実ベース × 諸説の取捨選択)と「自身の創作」の足し方/掛け方は、演劇的 or ロールプレイング的な手法で行われているのではないかと考えているわけです。(中略)登場人物同士の掛け合いなどをみていると、頭で捻り出した台詞ではないと思われるんです。 感情が乗っていて、応酬にリアリティを感じます。>

    さすが!よくわかりましたね!(笑)

    <①物語作成の最終段階、原稿を書くにあたって、キャラクター同士の遣り取りを考える手法について教えてください
    ②また、そのさい、気を付けていることはなんですか?>

    ➀私は、本を読む時に文を読みながら頭の中で映像を上映します。書く時も、その逆で、頭の中で映像を思い浮かべ、それを書きとるというイメージです。私の文章って良く言えば特徴、悪く言えば癖、ともいえますが、たぶんやたら「襖を開ける」とか「がばっと立ち上がる」とか、単純動作に関する文が多いのかなあと自分では思っています。
    自分の映像を言語化する⇔読者の方にはそれを各々で映像化してもらう、という感覚で書いているとでもいいましょうか。
    時々、映画監督になったような気分になることがあります。
    「はい、そこで怒った表情の土方さん登場!さくら、振り向いて、そう、そこで台詞『どうした歳三』。眉間に皺寄せてね!」みたいな(笑)

    ②こんな感じで書いた文章を、しばらく(できれば最低1週間以上)寝かせます。ほどよく忘れたころに読み返すと、「ここでこの人がこういう発言するの、不自然じゃない?」となったりして、書き直したり、場合によっては少し構成を変えたりしています。よく「キャラが勝手に動く」という書き手さんを見かけますが、私もそういう感覚に陥る時がたまにあります。

     
    <ご回答くださった内容は、今後、エッセイの方へ反映させていただいてもよろしいでしょうか?そのさいに、初音さんのお名前やプロフィール/作品名を提示するかもしれないのですが、それに対する可否もお返事お願いします>

    もちろん大丈夫です!なんだか長々と自分語りみたいになってしまって恐縮ですが、お役に立てれば光栄です。

    <歴史上の人物を扱う心構えとして、ご本人やご子孫に見せられる内容かとの問いかけは、まさに私自身が行なっているものでしたので、初音さんのご姿勢に敬意を表しつつ、全力で握手の手を差し出させてください!>
    こちらこそ!ぜひ!

    エッセイの続き、がんばってくださいね!ここまで丁寧に取材・分析されていますから、どんな風になるかとっても楽しみです。
  • あめさん

     唐突なお願いにも関わらず、大変丁寧なご返答ありがとうございました。

     あめさんの文章からは、いつも真面目な人柄と物事を細やかに見る目を感じられるので、読んでいてとても心地良い気分がいたします。
     とにかく毒や棘がなくて、真摯であるために、作品を拝読するときには特に、
    「この人の創作物を読んでも、決して作者のエゴに傷付けられることはない」
    という安心感のもと、読み進められます。
     本当に、ただ読ませていただくだけでも勉強になるというのに、大層丁寧にご返答を綴ってくださって、感謝限りなきことです。


    ・長編小説を書くための前準備

     こちらはあまり行われないとのこと、少し意外でした。みっちりプロットを詰めてからお書きになるものかと。

    ①物語の起点と終着点
    ②そこを歩ませる登場人物

     これら2点の設定を骨組みとして、描きたいシーン(中身)を追加し、章や舞台の切り替え(外枠)を考えていく、ということでしょうか。
     しかし、サラッとおっしゃいますが、「経歴調べ」に膨大な時間がかかってるんでしょうね……と思いました 笑。


    ・キャラクターについて

     歴史物はとくに、同じ人物を用いた先行作品が多くありますから、そこにオリジナリティを出させる手法のひとつに「キャラクターを遊ばせる」ことがあるのでしょうか。
     これは、上のコメントで初音さんが答えてくれた、「キャラクターAを通して、キャラクターBとの対話を試みる」という主体的なアクションを用いる手法と比べて、より観察的な行いに思えました。
     この差は、もしかすると、現実での対人コミュニケーションの取り方にも現れてくるんじゃないかなぁ、と思ったりします。
    (実はTwitter、こっそり覗いてました)


    ・歴史と創作について

     ご指摘のとおり、歴史論文と歴史創作とでは、その制作意図が異なります。「読み手」が期待するものも、また同じく。
     その一方で、史学系の教授方って本当に歴史創作家大嫌いな人が珍しくなくてですね 笑、恣意的な史料解釈とか、敵役や女性が「頭悪く」描かれることとかを、猛批判なさるんですよ。特に古代は、かの漫画家二大巨頭に支配されているようなものですからねぇ……。
     私としては、気持ちはわかるが、あんま言わんでくれと思いながら聞いています 笑。

     作品に現れる「歴史に対する敬意」とは、実在の人物はもちろんのこと、その時代特有の価値観が尊重なされているかに見えると思います。
     私も、なるべくその敬意が見えるように描くことを努めていますが、難しいところです……。

     さて、改めましてご丁寧なお返事ありがとうございました。
     今後、エッセイの方で創作論などをまとめていくさい、ここでのやり取りを反映したものを掲載してもよろしいでしょうか?
     また、あめさんのお名前、プロフィールや作品へのリンクを掲載するかもしれないのですが、そちらの可否もお知らせください。
  • わあ! このような長文を読んでいただきありがとうございます!
    お褒めの言葉もありがとうございました! そう言っていただけると今後の励みになります。こちらこそ、小鹿さんの細やかで真摯な対応に感謝するばかりです!

    では、返信の本題へ入らせていただきます。

    ・長編を書くための前準備
    さすが小鹿さん······! 私のあの長文が見事に分かりやすくまとまっております! 「物語の範囲と登場人物→中身→外枠」の流れは小鹿さんがまとめてくださった通りです。
    プロットの件、実はよく言われます······笑。普段の生活やプレゼンなどでも真面目に見られがちなのですが、実は手抜きばかりで本番はほぼアドリブ······なんてことがほとんどです 笑。

    ・キャラクターについて
    確かに初音さんの手法と比較すると、私は登場人物たちの世界を空から眺めているような俯瞰タイプかもしれません。考えてみると、普段の生活の議論などでも、自分の意見を言う前にとりあえず中立派として遠くから眺めてみる······ということが多いかも······。
    わわっ、Twitter覗いてくれたのですか!? ありがとうございます! 本編外ではやりたい放題ですのでお目汚し失礼致しました······😌
    私も先日pixivにて小鹿さんを見つけ、即フォローさせていただいたり······。小鹿さんの文章に見える色がイラストにも繊細に現れていて、やはり作者さまの性格も芸術に出てくるのだろうか······なんて考えたりもしました。余談が長くなってしまいましたが、もしもTwitterなどでお見かけした際は無言でフォローしてしまうかもしれません。嫌ならば教えてくださいませ。

    ・歴史と創作について
    そうなのですよね。やはり価値観はそれぞれ違うと思いながらも、真っ向から非難されると辛いところです。私からすると、小鹿さんの作品はとても敬意が見えて読んでいて心地よいです! これからも読み続けたいと思えるような、面白さや丁寧さがあると思います! これからも応援させていただきますね!

    最後になりますが、やりとりやプロフィールなどの掲載はもちろん可能です! むしろ、私の考えや作品を参考の一部と捉えていただけてとても嬉しい限りです。
    エッセイの更新、これからも楽しみにさせていただきますね!
  • 初音さん

     こちらにご返信いただくお心遣いありがとうございます。

     『風』は存じていますよー。少女向けでは、もうひとつの恋愛シミュレーションゲームと並んで著名な新撰組モノですよね。着物の解析度が圧倒的に高かったことをよく覚えていますから、やはり調査量は作品へと現れるし、読者の心を掴むものなんでしょうね!

     なるほど、二次創作畑の方でしたか。歴史モノはたしかに史実の二次創作とも言えますからね。
     とっかかりやすさの面で、二次創作は良い入り口になります。(小学生のころ、教科書に載ってる物語の続きを書く課題が、年1で出されていましたが、あれは楽しかったです)
     一方で、一次創作との間に習熟や優劣はないと思っています。二次創作って、ほら……ファンが怖いじゃないですか 笑。迂闊なものは、よほど書けませんもの。
     だから、ある程度は「歴史ちゃんと調べてますアピール」しておきたくなるのもわかります。自慢もしたくなりますよね、自分の見えてる世界が、本当に鮮明なんですから。(んで、負けたくないって思います 笑)

     そして、初音さんはやはり脳内映像書き取りタイプでしたか。臨場感ある所以ですね。
     私もカメラワークというか、漫画のコマのように、アップや引きのある映像が見えているので、それを読み手に文字情報から再現してもらえるような書き方を気を付けています! 仲間ー!

     それを、寝かせると。初音さんの物語に筋が通って見えるのは、このチェックがものすっごく厳重だからなんでしょうね。

     さてさて、貴重なご意見ありがとうございます。掲載のお許しもいただきまして、感謝の限りです。
     エッセイの続き、頑張ります!

    ありがとうございました!
  • あめさん

     エッセイへの反映と掲載のお許しありがとうございます。
     どうなるかはまだ未定ですが、よろしくお願いします。

     しかし、自分からTwitter見てますとか言っといてなんですが、見てるよと知らされたときの動揺って凄まじいですね! はわわわってなりました。
     えっと、私はTwitterほぼ放置なので、それでもお目にかかる機会がありましたら、フォローどうぞ。
     『おもかげのCharme』も本当は漫画にしようと思っていて、そのプロットとして、お話作りを先行してたんですが、期待してたほどには絵が上達しなくてですね 笑。一枚絵が限界なので、文字書きに移行したわけです。

     あめさんのpixivも拝見しましたが、たくさん作品を上げてらして、なるほど、これが遊ばせるということかと納得です。本当に奈良がお好きなんですねー。良いところです、奈良。

    それでは、また
  • 小鹿様からお尋ねのあったことについて、2回に分けてこちらに回答させていただきます。

    ①物語を考えるときに気を付けていること(ストーリーの構成、キャラクター性など)
    ①-1
    まず、私はその物語のテーマから考えます。
    その物語で自分は何が言いたいのか。これをいちばん最初に固めます。これはある意味、テーゼと言い換えることができるかと思います。作者の主張やその物語を介して作者が世に問いたいこと、つまり自分が何を考え、何を読者に伝えたいのかを明確にします。

    ①-2
    次にそのテーマを伝えるために、どのような舞台装置が必要なのかを検討します。過去から引いて来るか、完全なファンタジーか、それとも現代か。自分が伝えたいことが、どのような背景で語られれば伝わりやすいかを検討します。

    ①-3
    物語の背景が決まったら、その背景で考えられる登場人物に、どのような“種類”があるのかを考えます。その中から作者の主張を代弁するのにふさわしいキャラクター=主人公を選定します。この辺りはだいたい、という感じです。

    ①-4
    主人公を選定したら、最終的にそのキャラクターが作者の主張を代弁するためには、どのような思考を持つべきなのかを考え、その思考がどのように形成されてきたのか、あるいは物語の進行とともに形成されていくのかを考えます。この作業によって、必要なストーリーと、脇役にどのような人物が必要なのかがほぼ同時に明確になります。

    ①-5
    人がある思考方法を体得するには、外部状況への対応の経験(ある出来事の経験)、親兄弟家族、友人、身近な大人の影響は必須かと思います。書物でもいいのですが、その場合は書物を主人公に与えた人物・状況が必要です。主人公に状況への対応を要求する出来事=物語のストーリーの構成要素で、主人公の考えに影響を与える存在は、物語の脇を固めるサブキャラクターとなります。

    この段階で、物語のおおよそのプロットができます。
    拙作「千鳥シリーズ」は続きものですが、すでにラストシーンを含めた①-5までが現存しています。
  • ②実際に原稿を書くときに気を付けていること(表現など)
    ②-1
    プロットができたら、改めて物語の構成要素を吟味しながら第1稿を作成します。
    私の第1プロットは物語の流れを非常に端的に書いただけの単純なものですが、それは主人公の変化を捉えている物です。どのような出来事があれば、主人公はこのような考えを持つに至るのか、あるいは疑問を解決することができるのか。既に用意した物語の背景と脇役の配置をいじりながら考えていきます。

    ②-2
    1つのプロットのセンテンスが終わったら次のセンテンスに進むのですが、この時気を付けているのは前のセンテンスとギャップがあってはいけない、ということです。普段の我々の生活でも、物事が単独で起きる、ということはほとんどありません。既に生じている事態の因果として今の状況があるわけで、その物事の理を無視してはいけない、というのがここでの私の心構えになります。

    ②-3
    第1稿では、物語の最初から最後まで因果が繋がっているか、①-4と①-5で設定したストーリーに破綻はないか、繋がっていなければどのような要素が必要か、を考えます。この段階で、章立てに目安が立ってきます。第1稿は最終的な原稿のおよそ1/20の分量になります。物語の骨組みだけですが、ここはかなり神経も気力も使うところです。

    ②-4
    第1稿ができたら、後は章ごと、段落ごとに分けながら、その骨組みに肉付けをしていきます。ここは、主人公と他の登場人物の会話文を先に書くことが多いです。あとで地の文に直すとしても会話文というのは他人との対話ですので、ストーリーに無理があれば不自然な会話になります。不自然でない会話を成立させるための背景、状況、あるいは対話している相手が不自然ではないように書いていきます。これが第2稿になります。

    ②-5
    第2稿には状況と背景を書き加えていきます。あまりにも空間的、時系列的におかしいことにならないよう、前後の章や段落を俯瞰しながら、会話の間を地の文で埋めていきます。これが第3稿になります。ここまではほんとうに作業、という感覚です。

    ②-6
    第3稿以降が文章に自分らしい表現を加えていく作業になります。第3稿までは箇条書きの部分もあったところを、文章として成立させていきます。細かな史実や情報を反映していくのはここのところになりますが、あくまで私が書きたいのは①-1に示したテーマであり、テーゼです。細かい事実の列挙はストーリーの妨げになるので極力使わないように、また使うとしたら絶対にストーリーに寄与する部分に使うよう、自分を締め付けます。

    ②-7
    例えば、今、書いている途中の部分ですが、
    【第2稿】
    修之輔と外田が並んで歩く幅の広い道の先、左側には松平安芸守の上屋敷があり、彼方には堀の向こうに桜田門が見えた。

    この文章が、
    【第3稿】
    目の前には幅の広い道がまっすぐに伸びている。修之輔が、この先でいいんだな、と外田に尋ねようと横を見ると、外田はなにやら懐から紙を取り出して広げ始めたところだった。
    「なんだそれは」
    「江戸詰めの者から貰った地図だ。あの先、左側が松平安芸守様の上屋敷と書いてある」
    修之輔がその地図を覗き込むと、屋敷の区割りが細かに書かれていて一々屋敷の主の名が記されている。
    「便利だな」
    「そうだろう」
    張り切って地図を掲げる外田が、そのまま前方を指した。修之輔もつられてその指の示す先を見る。
    「あの堀の向こうに見えるのが桜田門だな。あそこから一度廓の中に入って抜けるようにと言われている」

    となる感じです。

    ②-8
    なるべく知識はストーリーの中に段差なく取り入れて、主人公と同じ目線で理解、認識できるように表現しようと努力しています。主人公が認識できない知識を“神の目線”で書くことを、私はできるだけ避けたいと思っています。第3稿は楽しい作業ですが、何度も資料と行ったり来たりを繰り返します。これを物語の最初から最後まで通して行い、第4稿とします。

    ②-9
    第4稿は”音読”の作業です。通して読んでみて、不自然な繋がり、言い足りないところ、他の表現はないかなどをチェックしていきます。説明不足なところがあれば、ストーリーを足して、もう一度②-3からやり直すことを繰り返します。この作業で結局第10稿ぐらいまで積み重なります。

    ②-10
    これ以上直すところはない、という最終稿までたどり着いたら、カクヨムにぽちぽちと貼り付けていきます。貼り付けながら気づいた粗はその場で直し、とりあえず全部公開します。そして公開を後悔しながら、読んで頂いた方のコメントを参考にし、その後も細かい修正をして、公開1か月後にようやく完成したものをカクヨム以外で公開するというのが、私のルーティンです。

    こんな感じですが、小鹿様のご質問の答えになっているでしょうか?
    概要ですので個別の作品に逐一対応をさせてはいませんが、「虎猫の巣」で書いた日ポの法則を言い換えたのが①の部分になります。なにかご参考になることがあれば良いのですが。お返事をお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。
  • 葛西さま

     大変丁寧なご返答ありがとうございます。一近況ノートのコメント欄にお寄せいただくには不相応なほど詳細な内容で、本当にありがたい限りです。

     
     テーマ→舞台→登場人物(属性)→登場人物(思考-過去未来)=ストーリー

     帰納的と評しては、乱暴かもしれませんが、大枠を取り、その外輪を削り取っていく手法を用いてプロットを立てていると理解いたしました。
     設定は、全てテーマに属する(テーマを達成するために働く)との念頭に決められていくために、物語や登場人物の方向性が迷子になる恐れが少ない。同時に、話の展開に迷ったさいには、テーマを顧みることで修正や削除が効きやすくなるとの利点があるように思われます。
     とてもロジカルなプロット作成法だと思いました。
     
     実際に起稿する段階にあって、会話文だけをまず書いていくとの手法は、登場人物たちの軽妙でテンポの良い会話を作り出すのに一役買っているのだろうと、勝手ながら納得いたしました。

     説明台詞にならないこと。私自身、執筆のさいに気を付けていることですが、現実での会話とは、会話を行う両者(もしくは、そのグループ内)にて「前提事項」と認識されていることには触れない、との特徴があると思います。あえて、それに触れにいく場合は、必要性に応じてのこと。共感を求めたり、議論の前提とするためなどでしょうか。
     ところが、カクヨムの投稿作品を読んでいると、不必要に「前提事項」に触れにいく台詞、設定を読者に理解させるための説明台詞が目立ちます。

     葛西さんは、細かい事実の羅列にならないようにしたり、もし説明的な台詞を用いるのならば、不自然さが出ない状況設定にしたりと、
    物語がシャープであることや、不自然さを抱かせないことに気を配っていらっしゃるとわかりました。
     その気配りが、読者の読みやすさと、著者特有のリズム感、言葉選びで書かれた文体とを、上手い具合に両立させているのだと思います。

     予想していたよりも、はるかに具体的で、このまま「小説の書き方」と題して公開しても良いほどに詳細なご回答、本当にありがとうございます。
     人様の創作の過程を伺い知る機会は、そう多くはないために、今回は大変勉強させていただきました。

     エッセイの公開は、まだ先になるとは思いますが、どうぞよろしくお願いします。
  • 小鹿様
    手短にまとめて頂き、ありがとうございます。

    実在した人物や歴史の出来事を題材とした歴史ものではなく、登場人物が完全に作者のフィクションである時代物は、読者の方の暗黙の了解事項がない、という特徴があるかと思います。

    0から"事実"を積み上げる作業は大変な反面、これ完全にフィクションだから!と強硬に言い逃れることのできる言い訳も作者に与えてくれます(笑)

    プロット順守で物語を綴っていくと、時に平板な印象を読者に与えてしまうかと思います。プロットを多少逸脱してのストーリー優先のエピソードは、型に収まらない部分を物語に加えることになり、全体的に緩急が出てくる効果を期待していくつかは削らずに残してありますが、さて、小鹿様には気づかれているようですね。
    …そのあたり作者の性癖、いや、こだわりとお見逃し頂ければ幸いです。

    エッセイの公開を楽しみに待たせていただきます。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する