前回の近況ノートは、第八章「身勝手なémotion」について、と題していましたが、「身勝手なémotion」は実は第九章だったらしくてですね。
書き忘れていた本当の第八章、「手に負えぬimpulsion」に関して、改めて述べたいと思います。
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主人公は絶賛反抗期。
泣くわ、怒鳴るわ、モノに当たるわ、ちょっとヒロインとは思えない荒れっぷりです。
そんな主人公も斯波との教授のなかで、西洋思想のみならず、問題を構造として俯瞰的に捉える技術をも身に付けていきます。
そのため、これまでは「歳三が○○してくれないから/○○するから、嫌だ」と思っていたものが、
「自分に○○を強いる/歳三を○○させる社会構造に不満がある」と視点を引くことができるようになり、
歳三も自分も同じく、社会規範のなかで認められる姿/行い/関係性になろうとするがゆえに衝突してしまうのだと気付いていくのです。
じゃあ、社会を変えていこう! と奔走したのが、幕末の志士たちですね。
(攘夷論に則って、ただ排外運動を行っていた初期から転じて、植民地獲得戦争が激化する世界の政治構造の中で、いかに主権を守っていくかとの視点から、国内産業の振興や近代的な対外政策を行っていったわけです)
とはいえ、外交や国防はメリット・デメリットがわかりやすく、またその影響も大きいため、政治的な運動になりやすい対象です。
一方で、主人公が我が身に抱える不満とは、
・勉強したい→学問は男が独占している→仙之介の姿でいたい
・歳三がそれを認めず、娘姿や結婚を強いようとしてくる
・今さら歳三を父とは認めたくない、歳三は千歳の持つ父親像と合わない
という、世の中の道徳規範や理想とされる姿、または効率などから見れば、とっても小さな、わがままで身勝手な不満なのです。
ですから、歳三個人の考え方が変わってくれたら千歳にとってはハッピーエンド、なんて簡単なものでもありません。
世の中、全てが敵!!!
私しか私の気持ちを守ってくれる者はいない!!!
という、孤立無縁の戦いが主人公の中では起こっているんですね。
げに懐かしき思春期の心情。
ある程度、大人になると(今の時代だとインターネットなんかで、生活圏外にいた人々を知ると)、
自分に類する価値観や境遇の人が、悩みながらも自分らしさをもって生きていたんだと知ることができますが、
幕末当時の出会いは、かなり限られてますからね。
(だからこそ、遊学とか脱藩が流行ったんでしょうが)
主人公がせっかく出会えた女勤王家も、
「ようは心の持ちようよ。生き残りなさい、そしたら私たちの勝ち」
という、今の千歳には全く役に立たないアドバイスしか残してくれません。
(いや、あなたは生き残れたかもしれないけどさ、私、今にも負けそうなんですが……ていう)
主人公がこのアドバイスを活かせるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。
やがて、世の中から与えられる「女のあるべき姿」とか「親子のあるべき関係性」とかの無言のプレッシャーを受け入れつつ、かわしつつ、
自己を確立し、歳三と向き合えるようになる……はずです。
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ママンと最後にハグしたの、いつかな……