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第九章「身勝手なémotion」について

 私は決して友人が多い方ではありませんが、千歳の勉学の日常を描いていると、級友たちの顔が思い出されて、彼らに出逢えた幸せを改めて実感します。

 五郎には特にモデルはなく、中高を通して私が憧れていた理想の学友像で描いています。
 賢くて真面目、一緒に考えてくれて、ユーモアもある。大学に入って、そんな友人がふたりできました。

 人生の意味だとか、愛とは何かだとか、思春期の青くさい哲学的な問答によく付き合ってくれて、時には、真冬の夜、学寮の門前で3時間立ち続け、他人には明かせずにいた過去の恋愛を打ち明けたり、
会話を通して互いの自己に向き合い、内面を言語化して開示する、そんな実に(文学少女というにはトウが立っているので)文学青年らしい遣り取りをしていました。

 啓之助のちょっと空気読めないけど好きなことに対しては大人顔負けの知識を有するキャラクターは、中学のころの同級生で同じ部活に所属していたMくんをモデルにしています。
 絶対恋愛関係にはなりたくないが、一生友達でいたいこの人は、先日、四年ぶりのプチ同窓会に相変わらずの遅刻癖を発動したり、古道具屋で仕入れた器械の構造を私の理解が追い付かないままに解説したりと、中学生のころと全く変わっていない為人に妙に安心しました。

 しかし、やっぱり本物は違う。話の飛び方が本当に予測できない。
 凡人に変人を描き切ることはできない、と突き付けられた一日でした。

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