『五十にして天命を知る』は、ついに第4章(最終章)に入りました。
物悲しい秋という季節のせいでしょうか。書くことにワクワクドキドキ感が薄れてしまい…。でも、いつものような『書いている小説の内容がおもしろいとおもえない』病ではなく、『なんか面倒くさくて、書きたくない』病です。
それで、『五十にして天命を知る』はお休みにして、気分転換に、新しい小説の冒頭でも書いてみようかなとも思ったのですが。やはり、どういう結果になろうともまた時間がかかろうとも、このまま完結まで書き進めることにしました。
ところで、今回の『五十にして天命を知る』には萬姜さんは登場しますが、可愛い嬉児ちゃんは登場しません。嬉児ちゃんを登場させると、もう一つの小説『義を見てせざるは勇無きなり』と、かなりダブってしまうからです。元ネタの『白麗シリーズ』では、白麗が誘拐された時、この嬉児ちゃんが大活躍するのですが。でも、もし、完結後に字数が足りないようであれば、登場させてみようかなとは思います。
若い時は、何もしたくないという状態には、それなりに「忙しい」とか「体調が悪い」とかの理由があったのですが。なんか最近、忙しくも体調が悪い訳でもないのに、なにかしようという気持ちだけがぽこっと抜け落ちるのです。「何をしたら、いいのだろう?」と、焦ってしまいます。あっ、家事だけは、体が動くのですよ。主婦歴50年の習い性というものでしょうか。
本日の画像は、編み始めた毛糸の帽子。この冬は編み物をすると決めて、ここまで準備するのに1か月もかかってしまいました。毛糸を買いに行くのも、編み針を探すのも、デザインを考えるのも、もうなにもかもが面倒です。これが老いるということなのでしょうねえ。