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バックログ「SSRの夢」


 今日は寝起き一発目に「テレビが壊れた」とか爆弾発言を喰らいーの、見たら今度はモニタが物理破壊されてたりして愕然としたり、ゲーム内で今もって集団リンチされてたりするんだけど。
 一方で、新規開拓があったり、諦めていたものに復旧の兆しがあったりと、現状まあそんなに悪くないな、という気分。昨日まで鬱々鬱屈としてたのだけど、今は元気。短歌とかも投稿してみたしね。
 あれはほんと、思い付きの出来心。早く寝て早く起きようと思ったら深夜に目覚め、そういえば俳句の番組あったな、そういえば今日が締切だったな、と眠れない中考えていて。適当に575、77とやっていた。投稿する段になって、エピソードタイトルが本文で、これじゃルビ振れないじゃん、となったりもした。

 ともあれ。

 寝付けない時にいろいろと考えていて、主要キャラクターをつくる時に設定しておきたい2つ、次点で3つの要素についての覚書。+α。もうだいぶ+αしてるけども。

 で。
 そのなるべくなら設定しておきたいやつというのが「原体験《オリジン》」と「原風景《ビジョン》」。それと次点の「トラウマ」。設定しやすいようにそれらしい名前などをつけておいた。


 まずオリジン。個人的に最近よく見聞きするやつ。ヒーローになろうと思ったきっかけ、みたいな。ヒーローでなくても、何かを志そうとした動機、人生を大きく変えることになった転換点、みたいなイメージ。場合によっては物語の途中で出くわすイベント。
 そのキャラクターのそれからをかたちづくる、大きな要因。
 ある人物と出会ったことがきっかけで、その人のようになりたいと思ったりする感じ。そういう「出会い」、イベントそのものがオリジン。
 初心に帰るときに振り返るもので、何かに迷ったときに行動の指針になるもの。


 次にビジョン。幸せの原風景。キャラクターが「幸せ」を感じた瞬間、そのイメージ。たとえば、むかし家族と食卓を囲んだ光景とか。いつかそうなりたいという目標に繋がるもの。単純な「好きなもの」よりもう一歩進んだイメージ。
 キャラクターが心から望むもの。守りたいもの。失いたくないもの。
 オリジンとはまた違ったニュアンスの経験、記憶。
 たとえば、みんなが笑顔で過ごせる平和な日常を守りたい正義の味方、とか。そういうアバウトな動機より、もっと具体的な「ビジョン」があるとリアリティが増す、気がする。漫画やアニメだとそういうシーンがフラッシュバックしたりとかするし。
 そうした原風景の場面となるスポットが戦闘の舞台になれば、ビジョンを思い出してやる気が出るかもしれないし、建物などを壊さないようにと細心の注意を払ってパフォーマンスが低下するかもしれない。

 逆に、そうしたビジョンを失ってしまったこと、それがオリジンになって、復讐の道に突き進むというネガティブな要素にもなる。ある意味これもトラウマ。
 おれが奪われたぶんだけお前たちの幸せをぶち壊してやる、という時に人物がイメージする「幸せ」が、失われた原風景、ビジョンになる。
 一方で、敵対勢力を根こそぎやってる際に、自身の思い描くビジョンそのものの光景を目にしてしまったら、復讐を思いとどまったり、逆にそれを破壊してしまって、もう後には引けないってことになるかもしれない。


 オリジン、ビジョンがどちらかといえば人物を前に進ませる要素だとすれば、「トラウマ」は行動を妨げるもの。過去の失敗、恐怖体験。などなど。失った、もう取り戻せないビジョンもトラウマになりえる。
 何かをしようという時に、そのトラウマのイメージを想起するものと出くわしてしまうと、それが障害になって動けなくなる。


 ……とまあ、そういう3要素。こういうのが設定できてると、キャラに深みが増すのではないかと思ったりしたのである。
 オリジンやビジョンはそのもの物語の目標になるし、トラウマは乗り越えるべき敵になりえるし。
 なので出来れば設定したいところなのだが……そう意識すると、何も浮かばないというか。

 直近だと「アルテ・レ・コンキスタ」の主人公がこれといった目的もなくなんとなくその日暮らしをしている人物、というイメージから始まった。戦闘狂みたいなところはあるけど、「何を幸せに感じるか?」イコール「人生の目的」みたいなものがまったく思いつかない。
 一方でヒロインの方は目的がはっきりしてるから、まあなんとか話は動かせるなあといった感じ。
「アルテ」の片割れ、「トレーン」のいちおうの主人公"黒衣"は幸せどころか自我を持たない黒子みたいなものになってしまった。

 主人公が何をしたいか、どうなりたいか。いろいろ書いてきてるのだけど、あんまりその辺ちゃんとしたものを書けてない気がする。比較的最近完結した「いものめ」も、状況設定だけで進んできて、主人公がどうしたいか、どうなりたいかっていうビジョンがはっきりしてなかったから、途中で詰みかけたりした訳で。
 そういう部分に作者の個人的なあれこれを投影すると書きやすいのだろうけども……。


 やや話変わって。
 作者の個人的なあれこれについて。あんまり投影したりはしないのだけど、切り貼りして利用すると話づくりに活かせることもまた事実。
 そこで振り返る。オリジンのように思い出すもので、自分の中にある幸せの原風景。最近これを思い出すようにして、書きたいものの方向性、雰囲気を定めている。上の「アルテ・トレーン」にも活かされているもの。「いものめ」もだいたいそう。なのでハッキリ文章として残しておくべきイメージなのだと思う。

 人生でいちばん「幸せ」を感じた経験、その原風景というものがある。ただし、「夢」で。リアルではないのが残念で、目が覚めた時に「あぁ、夢か……」って現実に虚無感を抱くようなレベルのもの。
 しかし夢とはいえ目覚めた後にも幸せを感じたのは事実で、いつかそれを実現することを夢見て、その夢を追いかける。それが現実を生きる原動力、そう目指すべき夢になるのだゲシュタルト崩壊。

 で、どんな夢を見たかといえば、それはもう何年も前のことなのだけど、今でも思い出せるイメージ。だから原風景。
 疲れてるから寝るっていうのもあるけど、あの夢の続きを見たいという想いから寝ることもあるくらい。
 前のノートで「睡眠欲」についてちょっと書いたけど、夢を見るために眠るっていうのはじゅうぶんな欲求だと思う。夢って、現実にはない体験が出来る、誰でも体験することができうるフルダイブ系VRみたいなものだと思うのだ。
 明晰夢って言葉があるけど、あれこそまさにフルダイブ。しかし残念ながら、「あ、これ夢だ」と気付くとすぐに目覚めてしまうもので。なかなか理想的な明晰夢体験は送れない。
 それどころか、夢っていうのは自分で選んで見られるものではなく、たいていが目覚めると忘れてしまうような、そもそも夢を見ていたかどうかさえはっきりしないようなものばかり。最悪、悪夢を見る。今日もそうだった。なんかミミズみたいなうねうねしたものを生やした人型の怪物に近寄られて、来るな!と振り払ったところで目覚めた。まあまあ悪夢率高い。だからこの「幸せの原風景」は夢の中でもSSR、最上級で低確率で見られるものなのだ。

 で、どんな夢を見たかといえば(2度目)、ふだん自転車で汗水流して進むような長い道を、車の後部座席に座って眺めている……そんな夢。そこに幸せを感じた。
 旅というものに憧れのようなものがあって、異世界ファンタジーはそういう物語にしたいのだけど、あんまり「歩き」での旅には魅力を感じなくて。そういう心の動きの根幹に、この「車で移動するイメージ」があるのだろうと思う。旅をするなら、車や鉄道で。なるべくなら「拠点ごと」移動したい、みたいな。キャンピングカー的な。歩きの旅だとどうしても持ち物に限りがあって、何かを切り捨てて進まないといけないけど、拠点・ホームごとの移動だとアイテムも集められる……。


 引っ張る割には普通というか牧歌的な「幸せの原風景」に思えるだろうけども、もちろんこれには続きがあって。そんな旅のイメージだけで満足できるほど幸せな人間ではなくて。幸せな夢というのは欲深いもので。わんちゃんドン引きされる可能性もある訳だが……。
 ふだん自分は車の後ろの席に座る時はドア側に座るのだが、その夢の中では真ん中に座っていた。まあその辺は些細な差異。些事。自分では運転したくないのだな。
 肝心なのは、膝に金髪幼女を載せていたということ。たぶん抱っこしていた。それを幸せに感じた訳ですね、ええ。

 これがディストピア社会なら、即検閲、ここに犯罪者予備軍がいるぞ!社会の敵め! 思想を矯正だ! ってなりそう。AIによる検閲だったら前後の文脈とか無視して即アウトかもしれない。

 いちおうことわっておくと、別に三次元の人間に興味はない。自分も含めて人間というものが好きではない。ロリコンではないのだ。
 だからこれは、あくまで夢。具体的にどんな幼女だったかというイメージもよくわからない。理想化された存在。夢だからこそ。叶わない夢なのだ。そんな幼女は存在しないのだから。

 でもここまでの文脈からすると、「これ」が幸せの原風景で、自分が目指したい理想、将来の夢みたいなものととられる訳だが。

 そういう叶わない夢を小説にするのです。そういう幼女に萌えを覚える訳です。しかし、この夢には肝心なところがあって、それは「膝に載せて抱っこしている」という点で、これが問題で、つまりそこには接触と体感があって、それではじめて「幸せ」が成立する訳で、しかし残念ながら世の創作物ではそれは満たせないものなのです。夢のまた夢です。VRとかでも難しい。あとだいぶグレーゾーン。

 この叶わない夢を実現させるために、フルダイブ系の装置を開発する……というレベルまでいったら、まあドン引きされる理由がきっかけとはいえ、それが「必要は発明の母」というやつで、文明を革新するもので、世界的に賞賛されるのだろうけど、さすがに自分にそこまでの能力も技術もない。
 しかしこのように実例を挙げると、ビジョンの持つ影響力、原動力の底知れなさが窺えるというものではないでしょうか。身を切って恥を晒して実例を示しています。これだけ人を動かしうつものなのだから、存在感の強いキャラクターにはそうしたビジョンを設定したいもの。
 ちなみに、先述のとおりこうしたビジョンが最近の投稿作に活かされていたりします。登場人物のビジョンというより、話を進めるための一場面としてだけど、「列車で旅をする」というストーリーを思いつく基礎にはなっている。


 ちなみに。
 叶わない夢と切って捨てるには早く、自分はこれを「解決」するすべを見出しております。それが生きる目標の一つとなっている、といっても過言ではない。
 きっかけは、ネットの広告。そこで見つけた「ドール」、つまりお人形。

 ……これなら、夢がかなうのでは? と思ったのだった。立体物でありつつ、生身の人間とは違う二次元的魅力を持った存在……。

 でもクッソ高くて手が届かないそんな余裕はないというのが現状で、だからいつかお迎えできる稼ぎを得られるように、今を頑張ろうという生きる目的となっているのである。

 ……金髪幼女を膝に載せて抱っこしたい、というのと、お人形を愛でたいというの。どっちがドン引きされるだろう。どっちも含んでる訳だが。ハハ。別に人にどう思われようとね。どうせ誰も見てないし。


 ともあれ、夢っていうのは生きる原動力になりえる訳なのである。

 ちなみに、最初に広告で発見したお人形には特別に思い入れがあるもので、たぶんこれが初恋みたいなものなんだろうと思います。これがオリジン。

 ところで、自分がそういう興味を持った具体的な時期というのが、実はカクヨム上を浚うとうっすら見えてきたりする。それくらい、このサイトは我が人生に食い込んでいるのですね。しみじみ。

 幸せになりたいな。
 あなたはいま幸せですか?

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