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バックログ「今さら気付いた、ごく当たり前のこと」


 ある日、ダルいからちょっと眠るかー、と冷房つけてベッドに入るもなかなか寝付けず、かといって冷房の効いた部屋から出る気にもなれず、だらだらごろごろしていた時のこと。

 そういう時にはたいてい、近況ノートに書くようなとりとめのないようなことを考える。書くのに取り留めがないのか。まあいいか。

 なんというか、全てが空しい。何も楽しくない。やる気もしない。ゲームなんかをして、何かクリアして、「それで? それがなんの意味が?」と考えてしまう。
 人生は長い暇つぶし。などという言葉が浮かぶ。人生において時間つぶし以上の意味がないとしても、そのいっとき楽しめたならそれでいいじゃん、と今は思うのだが、とにかく鬱々としているときは全てが空しく感じる。

 そこで思考が飛んで、ふと思い出すいくつかのこと。
 生成AIだとか、最近の「読者の反応」だとか。

 企業などでの利用を除いて、一般人がネット上で使う生成AIもつまりは「暇つぶし」みたいなものなんだろうなー、とか。まあこれはさておくとして、本題は次。

 先日、完結した投稿作にフォローがついて、応援がついたのだけど、いつも同じエピソードあたりで応援打ち止めになってるな、とか。うろ覚えだけど、たぶん別の人も同じとこまでは応援つけてた気がする。そこからはない。なぜだろう。

 思うに、「そこまでは良かった」のだろうな、と。いやまあ、考えるまでもなくそうなんだろうけど。
 この「良かった」というのが問題で、つまりは、あらすじを読んで興味を持って、じゃあ読んでみようとなって、「そこまでは」期待通りだった。だけど以降はそうでもなかったから、特に評価もしない……という感じ。
 まあ実際のところは分からないのだが……。

 ともあれ、その日は「それ」について少し考えてみたのである。



 結論から言うと、「そこまで」は「期待通り」……「期待通りの体験」が出来たということ。以降はそうではない、ということ。

 件の投稿作は幼女との軽いラブコメ的な雰囲気をあらすじで醸し出している。それで幼女に興味を持った人がエピソードも覗いてみる。途中までは期待通り。カワイイ幼女を堪能できた。以降は、そうでもなかった。ということ。

 省みるに、確かに「それ以降」は幼女との関わりは少ない。ラブコメ調というより、「家族になる」ことに焦点を当てている。そこに関するトラブルを描いている。これが失敗……読者の期待に添えなかった、ということなのだろう。

 読者諸氏は幼女とのラブコメが見たかったのだ。そういう疑似体験を望んでの読書だった訳だ。しかしそうはならなかった。そうできなかった。力及ばずの自覚はある。需要と供給の失敗、読者層の想定を間違えていた。なんかそんな感じのやつ。

 ここで思い出してほしいのが、これを考えていた時の自分は鬱々としていたということ。
 私は思った。読者は謎のある物語よりも「そういう体験」を望んでいるんだ。伏線とかなんだとか、そういうものに凝ってても仕方ないんだ。極端な話、登場人物の生死とかどうでもいいのだ。謎も生死もしょせんは架空の話なんだから。なんかカワイイカッコイイそういうキャラクターとの恋愛とかなんとか、チートだとかなんだとかの優越感に浸りたいだけなんだ、とか。
 つまりは、「都合のいい体験」……読者が求めているものに応える体験、それを与える物語。
 AIだとかが流行ってるのも、「求めているものに応えてくれるから」だと思った。商業的な話に限らず、「こういう絵が見たい、でも自分じゃ描けない」という人の欲求に応える存在。
 聞くところによると、AIと恋愛関係を築いている人が世のなかにはいるという。それも、AIは自分の求めてる答え、反応を返してくれるからで、何かと都合がいいから。嫌なことは言わないし、なんでも肯定してくれる。望む体験を提供してくれる……架空の存在。

 しかしここで思い至る。疑似恋愛といえば、別にAI以前からそういうものは存在していて、たとえばゲーム、それこそ漫画や小説といったフィクション。
 要するに、ユーザーの求める体験を提供すること。それがクリエイターに求められること。

 ……感情移入だとか、疑似体験だとか。頭ではなんとなくわかったつもりだったのだが、ここにきてその重要性というか、真意を理解した。気がする。

 ……ちょっと話題はそれるが、とあるSF作家の人がプロフィール欄に「いつかAIと結婚したい」って書いていたことを思い出した。それを見た時は特に何とも思わなかったのだけど、今はなんだか現実味を帯びてきたなぁとしみじみしている。結婚は制度なんかの関係でまだ先だろうけど、添い遂げることは出来そう。



 閑話休題。

 大事なのは「疑似体験」なのだ、と気付いた我。少なくともラブコメとかそういう系のジャンルはそう。
 登場人物の生死だとかを気にしてくれるのは、疑似体験を経て感情移入が整ってから。
 ……まあ、早い段階で主人公に感情移入できるようセットアップするのが作者に求められるもの、なのだが。

 しかしここで問題がある、と上述の投稿作を省みて思う。
 少なくともラブコメみのあるライトなジャンルでは……読者は、主人公のことなんてどうでもいいのだ! ……ということ。

 読者は、主人公を通して物語を疑似体験する。主人公はフィルター。
 主人公がなんらかのトラブルに巻き込まれること、それを体験する訳だが、これは「主人公の問題」ではなく、ヒロインorヒーロー、つまり恋愛相手のトラブルである方が、都合がいい。需要に応えることになる。のだと思う。
 上述のあれにおける失敗は、「主人公に降りかかるトラブル」を中心にしてしまった点。「幼女の身の回りのトラブル」に、「主人公が巻き込まれる」。そういう風にすべきだったのだ。誰も主人公のあれこれに興味はないのだ。

 トラブルなどを通して、恋愛対象とのかかわりを描く。その疑似体験。カッコいいとかカワイイとかを描く。それを魅せる。つまり求められているのはそういうこと……。なのだと、ようやく気付いたのである。それがエンタメなのだと……。
 お前らこういうのが好きなんだろ、というのをお出しするのである。というとやや悪意があるが。



 ……とまあ、そんなこんなで。
 今後はそういうことを意識してやってみよう、と思った次第。
 叩いても何も思いつかなくてだらだら鬱々としてたけど、一つ、方向性が見えてきた感じ。

 しかし、世の中の人たちがイケメンや美少女に求めるものというのがいまいちよくわからない。なにせ幼女にしか興味がない。いやまあ「絵」とか目に見えるものであれば分かるのだが。

 あと。今になって思い出したが、カクヨムのホラー系の企画。あれの要綱見て「なんだ、体験談か……」とがっかりしたのだが。その時の「体験」というフレーズが頭に残っていて、これこのような思考が得られたのだとふと気が付いた。体験談なんて体験した人にしか書けないじゃん、って不貞腐れてたのだが、巡り巡ってこのような学びを得るという貴重な体験になりました。
 まあつまり、日ごろからいろいろ見ていることで何かしらの発想が得られる……、
 そんな確実性のない発想法より、AIに頼った方が効率的。そんな世の中。努力って空しい。

 そういえばパリオリンピックを見たのだ。テレビでやってたぶんだけだからあれなんだけど……なんかみんなつらそうだった。というのだけ印象に残ってる。この文脈で思い出す訳だから、まあ、うん。ね。運も才能のうちなのかもね。努力をしても勝てないのだとしたら、まあそういうことになるのかもしれないなって。


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