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下の追記、近況ノート失踪事件


 >追記の前置き。
 前のバックログの下の方にばーっと書いてたのだけど、投稿後、改めて「変なこと書いてないかな?」と見直したら、その追記の後半がぶった切られていたので、残ってた部分をコピペして、消えてた部分を改めて書き直すということをした。だけどその時の思考から生まれた文章は、もう戻ってこないのだ……。
 文字数制限あるんですね、近況ノートって。もしかするとこれまでのやつにも、そうやって不自然な終わり方してるやつ、あるかも。もう何書いてたか思い出せないから直せないし、いちいち確認するつもりもないけども。ともあれ。



 >ばーっと書いて頭の中を整理した結果、浮かんできたものの追記。

 作品とユーザーの関係について、「作者の透明性」という自衛策があるのではないか、と思った。

 この場合の透明性というのは二種類あって、まず「作者の情報を公開する」パターン。最初から男性とか女性とかそうじゃないとか分かったうえで……分かるように、店舗側なりなんなりで情報公開する、みたいな。これは女性向け作品ですけど作者は男性ですよ、という注意書きがある、みたいな。
 ……正直、あんまりよくないイメージはあるけども、そういう風にでもしないと今後もこうした衝突は起こるのだろうなぁ、と。嫌な想いをするユーザー、もっと嫌な想いをするクリエイター。そういうのが生まれないための対策として。そういう「過剰なまでの配慮」が今の世のなかの在り方、ですよね。

 まあシンプルに、ペンネームが分かりやすいものであればいいのかもね。一見して「男性だ」「女性だ」って分かるような。でもね、「自分でつけられる名前」なんだから、好きなものをつけたいのだよ。逆に、「中性的、どちらかわからない」名前をつけるのであれば、いろんな覚悟をしておくべきで、まあそれだけ名前って大事なものだっていう。
 最近、「選評コメントの一部で、著者名が不真面目なので減点した、というコメントがあった」ことが燃えていたのを覚えてるけど、まあそういうことだよね。不真面目っていうか、人名になってない、みたいなやつ。
 あと、燃えてたのは「その公募自体に使われてる作家名もあれですよね」みたいなことだろうけど、それくらいは選考者も把握してるでしょう。あれはいわゆる「誤解を招く余計な一言」なだけで、別にペンネームが変だから落とした訳ではなく、落とした理由のダメ押し的な。
 まあラノベとか比較的緩めの公募ならまだしも、お堅い公募に変な名前でいくのは「不真面目」と取られても仕方ないと思う。
 ……そういう格式とか、ドレスコード的なものが意識から外れてるのも、今のSNS社会の影響なのかもね。
 ホームページで結果が発表されて、まあ受け取る側もライトな層な公募ならともかく、新聞とかニュースとかでも発表される規模の公募で、ふざけたペンネームを紹介する出版社の立場にもなってみると、ちょっとは注意喚起もしたくなるというものではないでしょうか。

 脱線した。

 そして、もう一つ。
 作者が透明人間である、という。つまり、一切の情報を出さない。
 これはまあ、作品の雰囲気を守るための、作者なりの自己犠牲、みたいになる。
 一方、作品を売っていくために宣伝は必要で、そのためにSNSは有効的だから、作者がSNSをやっていくのは自然な流れというか、作者以前に個人の権利であるとは思う。
 というか、「世のなかに自分の作品を発表する、というかたちでのつながり」を求めている一面があって創作してるなら、SNSをやるのも必然だから、そこで「自分の声」を一切発さないっていうのはなかなかつらいものだと思う。
 だからこっちの透明性は人を選ぶ部分はあるけど、いちばんの妥協点ではないかな、なんて。宣伝なら編集部とかスタッフアカウントみたいなかたちでやって、作者の人間性を出さないという手もあるし。
 ……でもそういう謎めいた作家こそ、そのひととなりを知りたいとファンは思うもので、営業側としてはそういう需要にこたえようと企画を立ち上げたりなんかして……あらぬところで読者の反感を買うことになったりなんかしちゃったりして、ね。

 ちなみに、自分個人としては後者のスタンスをとってるつもりで、当初は近況ノートも利用するつもりはなかった。作品を見てこっちに興味を持った人が、作者の声をきいて離れていく、みたいなことがあったらマズい、と思ったので。作者とかどうでもいいんだよ、投稿してるやつだけ見てくれ、という想い。というか、ほとんどの作家が「作者じゃなくて作品を」なのではないか。なのでまあ、近況ノートの利用には抵抗というか自戒があったのだが。
 しかしまあ、そもそも作品も大して読まれてないし(そのかろうじて読んでくれてる人さえ失うリスクはあるものの)、別にいっか、と思ったのが近年のこと。そうやって情報を発信していくことで、逆に作品の方に興味を持つ人が出る可能性に賭けている。が、それよりもまあ、いろいろ「作品とは別に」書きたいことが増えてきたという面が大きいか。心象スケッチ、などと申してみる。
 あと、自衛という面では、「好きな人についての情報は追わない」というスタンス。仮にインタビュー記事とか読むなら、覚悟を決めること。あるいは、大人になること。最近、そういう面では自分は大人です。

 ……ただのエンタメ、消耗品として作品に触れるユーザーサイドも、それなりの覚悟をもっていくべきじゃない? て思った。
 仮に一時間で読み終わる作品であっても、それを生み出すのに倍以上の時間と労力はかかってるので、妥協すべきは作家サイドではないのでは、と。
 商業的には、提供する側はユーザー・需要を意識して不特定多数に向けて発信している。それを受け取るも受け取らないも、ユーザー側の自由。自分で受け取っておいて、気に食わないから文句を言うのはお門違い。みたいな。商品として作家側の責任はあるにしろ……。ちゃんと「女性向け作品」を描いてるのであれば、作家側の責任はそこまで。需要に応える供給をしている訳で。作家が実は男性だったから、男性的な立場にいるから、みたいなとこで詰めるのは理屈に合わないな、と。「女性向け作品を描いてるのは女性作家でなければならない」は求めすぎで、意に添わないから排除しようとするのは横暴だろう、とか。
 この問題に限らず、「純愛だと思ってたらどろどろしていた」みたいな「ジャンル違い」はあって、そういうあれこれも理解できる。最近の「一見カワイイアニメだけど、実際は超グロい」みたいな作品は、いろいろとトラブルの種、トラウマの元になりかねないのでは、とちょっと懸念してる。
 もうそういう問題も自衛するしかなくて、興味を持ったらまず、ネタバレを踏まないという自衛もしつつ、その作品についてリサーチしてみるべき、なのではなかろうか。
 ユーザー側の努力というか……世のなか無数にコンテンツはある訳で、全てを摂取するには時間なんて無限に必要なのだから、本当に自分に刺さりそうなものを厳選する努力もまた求められる時代なのではないか、みたいな。
 作家サイドとしては……というか自分が最近自覚した恐ろしい事実としては、ライバルって、この世界の全てなんですよ。知ってました? ユーザーの時間の奪い合いなのです。小説業界内も競争社会、それに加えてゲーム業界テレビ業界とか、その他のあらゆるエンタメが競争相手なのです。
 作家側がそういう世界にいるのだから、受け取る側も「探す」努力をしないとお互いのためにならない、と思うのだった。まあ、作家側のアピール力も大事ですけども。


 作品と作者を切り離せない、作者の顔がちらついて集中できないのであれば、もう読むのをやめればいい。世のなかに作品は無数にあるし、お金を出して買ったものが必ずしも自分にとって価値あるものになるとは限らないことは、創作物でなくても言えることなんだから。嫌だったからって公の場で感情をまきちらして、あとで恥ずかしいを想いをするリスクはないか、と自問して、思いとどまりたい。
 作者にスキャンダルがあって、というのはもはや不可抗力。事故のようなものと割り切る他にない。人生ってそういうものだ……。そういう嫌なことがあったんだ、と他人に話して共感を得られれば、多少の救いはあるんじゃないかと思う。思い出や感動が損なわれたことは、どうしようもないけど。ただその作品に対して覚えた感情自体はウソじゃない。そこが悲しくもあるんだけど。

 ……人間は頭のある生きものなので、感情や本能に任せるのではなく、理屈でもって心を整理したい。これはそういう指針、自分にも「もしも」があった時に対処できるよう、まあこういう考えがあったことを文章にして心に刻んでおく。

 とりあえず大事なのは、いっときの感情をネットのような公の場にまき散らさないこと。詳しい事情は知らんけど、そんな赤の他人である自分がどこかの誰かの炎上をきっかけにここまでの長文を書くくらい、心をかき乱された訳だから。他人に迷惑をかけるのが本意でないなら、少し、思いとどまる冷静さが欲しい。
 他人の立場になって考えてみたり、自分の感情を発信した結果の「先のこと」を考えてみたりして。そうこうしてるうちに自分の中で整理がついて、思いとどまれるのではないか。
 ……まあ、共感を得るために炎上覚悟で突っ込んだっていうなら、どうしようもないけど。とにかく自分のこの不快な気持ちを、相手にぶつけてすっきりしたい、みたいな。そういうストレートな解決策。

 ただ、世のなか、スマホにぱぱっと文字入力するだけでお気持ちを発信できる訳で。そういう点で、「思いとどまる」余裕が奪われているのかもしれない。思いとどまるという発想にも至らないほど、今の世のなかによって人間性っていうのが変えられているのかも。ブレーキがなくてアクセルのみ、みたいな。

 ……感情をすぐに言葉にするのって、「おいしそう」と思ったからお金も出さずに店の商品に手を伸ばす、みたいなことに似ていると思う。ある意味、炎上する人っていうのはそうした軽犯罪者と本質的に近しいのではないか、という過激な発想とかしてみる。逆に言えば、炎上することでガス抜きして、「物質的な犯罪」にまでは及んでいない、という点ではストッパーになっているのかも。しかし代わりに、精神的な犯罪、いじめみたいなものを助長していたりして。
 なんにしても、みんなが自分の意見を言える素晴らしい世のなかには、心のブレーキや発言のハードルが低くなるという副作用があるっぽい。


 ……こういう世のなかのいろいろな問題、いろんな人の立場、考え。創作のネタとしては面白いのだけど。
 現実的に考えると

 もうめんどくさいな、こんなせかいおわっちゃえばいいのに。

 ……という投げやりな結論に至る。それくらいしか、解決策がないんじゃないか、と。
 そういうどうしようもない、やるせない結論にしかならないから、感情とか本能に任せて人にぶつかっていっちゃうのかもしれないな、とか。

 ……もし創作に世界を変える力があるとすれば、そういう問題への「回答」を提示すること。少しでも冷静になれる理屈、心を整理する指針を示すこと、なのでは。みたいな。そんな感じ。


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