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バックログ「作品と作者、クリエイターとユーザー」(つい


 人を殺してなくてもミステリーは描けるし、魔法が使えなくてもファンタジーは描けるし、男性でも女性を、女性でも男性キャラを描ける。それが創作というものだと思うのだが。

 ちょっと前、ツイッター上で軽く燃えているトレンドを見かけた。心のよどみにならないよう自衛してちらっとしか覗いていないので、詳しいあれこれについては察するしかないのだが。
 要するに、女性向け同人作品の「作者が男性」だった。それに、女性読者の一人が反感の意を示した。お気持ちですね。それで作者の性別がどうのこうのという議論に発展した模様。

 ……たぶん本題は「それを作者にお気持ちコメントするのってどうなの? 自衛したら?」みたいなことで燃えてたのだろうと思う。
 まあ別に、自分としては特にもやっともしなかったのだが、なんとなく思い出してそのことについてちょっと考えていると、また先日その話題が燃焼していたのを見かけた。ので、ちょっとその件について考えをまとめてみようと思った次第。

 作者と作品の関係、クリエイターとユーザーの関係について、まあ一考の価値があるかなー、と。自分もなんだかもやもやしてきたので。そしてそれをそれこそツイッターなんかでぶちまける度胸はないので、ネットの片隅のこういうところに書いて発散しよう、という魂胆。あと、最近長文を打ってないので、リハビリもかねて。
 別に何かの主張がしたい訳ではなく、思考実験というか脳内会議というか、いろいろな目線からこの問題について考えてみた、という感じ。


 結論から言えば、作品と作者は別物であるから気にならない、といえばウソになる、というのが自分の本音。

 たとえば、女の子たちがきゃっきゃしてるアニメを観て、そのエンディングのスタッフクレジットを見て、「でもこれつくってるのいいトシしたおじさんたちなんだよなぁ」と思う。それはまあ、割とある方。
 しかしかといって、だからといって、それでその作品を嫌いになるか、クリエイターに拒絶反応を示すかといえば、そんなことはなく。
 このたとえだとアニメで、大勢がかかわってるというのもあるが、これが小説であれ漫画であれ、別に作者の性別とかは気にならない。
 でもまあやっぱり、恋愛シーンとかでときめいてるヒロインとか見て、「でもこれ書いてるのおじさんなんだよなぁ」とは思うけどね。でもそれはしみじみ苦笑したりするようなもので、咎められるものではないのでは、と思う。

 究極的に言えば、作者の性別がなんであれ、その作品のことが好きなら作者のことはそこまで気にならないものではないか、と思う。
 むしろ、作品にそこまで入れ込めたのなら、その作者の他の作品にも興味を持つだろうし、そして作者本人に対しても好感を覚えて、サイン会などに行ったりするのではないか。自分はインドア人間なのでいかんけど。サイン会などが実施されてるということは、実際にそうした需要がある訳で。
 そんで「○○さんの新作」みたいなかたちで、作者のネームバリューが発生する。作者人気あって、作品が売れている。そういう環境が実際に存在する訳だから。

 逆に、気になる、作者の顔がちらつく、というのであれば、それで作品にまで拒絶反応を示すのであれば、そこまでその作品のことが好きという訳じゃないのだろう、と。もうそこは自衛して、関わらないようにすればいいんじゃないの、と考える訳だが。

 ここで、「女性向けの作品を扱う界隈なので、男性作家はこの界隈に入ってこないで」というのは表現の自由というか創作することへの否定で、行き過ぎた思想だと思う。
 そも、作者の性別が男性だからといって、内面まで完全にそうだとは言い切れないのでは? シュレディンガー的な。
 冒頭に書いたように、男性であれ女性キャラを描けるし、その逆も出来る。それが創作なのだから。ある意味、作者の人間性を否定する領域になるのではないか。もうAI製のものでも読んで自給自足すればいいのでは、とか。

 女性作家が描いてると思ってたのに、作者は実は男性だった……そんなものに感動していたなんて! 男の作品なんかに!
 ……と、そういう怒りみたいなもの、騙されたような気持ちでもあったのか。まるでそれこそエロ同人のヒロインみたいな一文だけども。
 そこからさ、「この作品書いてたの、実は男性(異性)だったんだ……」みたいな感じで興味、好感を覚えて、恋に発展するラブコメとか、世の中無数にあるくない?

 ちょっと連想するもので「月刊少女野崎くん」という好きなラブコメ漫画があるのだけど……まああれは「告白した相手(男)が実は少女漫画家だった」という話で、若干ニュアンスは違うかもだが、でも「主人公(ヒロイン)の好きな漫画を描いてたのが、彼でした」という訳なので、まあ近いところだと思う。
 なんというか、そういう、好きな作品の作者が「異性だった」というシチュって、好感はあっても拒絶することなくない? と個人的に思うのだが、どうだろう。自分の場合、ちょっと嬉しく思うのだけども。

 それから、上述の怒りとか騙された云々のところに戻るけれども、「女性の心理が良く描けて、好感が持てる」……「でもこれ書いてたの男性だった!」というところ。感動の前提が崩れた、みたいな。
 それって、クリエイター目線でいえば、「作者(男性)とは異なる性別のキャラクター(女性)の心理描写を、女性読者にも共感してもらえる」レベルで描けてるってことで、すごいことだと思う。
 そこで、「作者は男性だったんだ。女性のことよく分かってるんだな」……で、納得して終わればいいところを、作者にブッコミかけてるから、炎上してるっぽいんですね、ええ。詳しくは知らんけど。
 なんかこれはもう、創作うんぬんではなく男女差別みたいな領域の話ではないかと思う。男性が女子トイレに入ってきたら叩き出すのは自然な流れかもだけど、創作にそういう境界はない訳で。にもかかわらず線引きしてるのは個人の勝手、思想の問題、といえばそれまで。

 それとも何か、もっと違う感覚があるのだろうか。女性だけの世界、男性だけの世界、みたいな。聞くところによると、少年漫画の世界に女性作家が入ってくるのに抵抗がある、みたいなやつもあるらしい。しかし、それで「少年漫画のことを全然分かってないし、本当に面白くない、ジャンル違い」ならともかく、ちゃんと売れてるし評価も得ているなら、何も問題ないのではないか。にもかかわらず、作者が実は女性だったと分かった途端に叩き出すのは、もう男女差別の領域で。
 個人的な経験から言えば、「鬼滅」の作者が女性だと知った時、驚きよりも「なるほどなぁ」感が強かった。道理でこれまでの少年漫画とはキャラの雰囲気が違って新鮮味があったんだ、と。これ、仮に男性作家が同じものを書いていたとして、ここまでヒットしたのか……そういう仮定ほど無意味なものはないけども、ちょっと考えてしまうところ。女性作家だからこそ生み出せたキャラクター、ストーリーなのではないか。

 面白いものを書くのに性別とか関係ないのです。面白ければ正義、それだけ。
 ……とまとめたいのだけど、やっぱり「男性的思考」「女性的思考」というものはあるのだろうな、と思う。
 考え方、思考体系……それを培ってきた人生経験。そこから生まれる作品である、という風に考えると、やっぱり「男性だから書ける」「女性だから書ける」ものっていうのはあるのだろうなー、と。

 個人的に、異世界ファンタジーを考えていて最近感じたのは、「異世界にいる異種族とかエイリアンの視点から見ると、人間の男女ってもうほとんど別の生きものだよな」という。
 つまり、猫と犬みたいに、同じ小動物のペットだけど全く異なる生きものであるように、男と女っていうのもまた異なる種族の生きものなんじゃないか、とか。性別が違う、身体機能が違うっていう時点で、もう別の生きもの。少なくとも見かけが大きく違うから、エイリアンからすればそう見えるのでは。
 西洋人がアジア人を……日本人と中国人をいっしょくたにするのに似て、人間の男女だから一緒に見えてるけど、本質的に違う生きものだと捉える視点もある。宇宙人からしたら。
 そういう異種族が一緒にいるのだから、そりゃ衝突もするわなぁ、なんて。


 ちょっと行間あけまして。

 たとえば、「男性作家の描くヒロイン」に男性ユーザーは好感を覚える。書き方が硬いが、まあそういう「男性受けするキャラ」っている。
 一方で、そういうキャラを女性がどう受け取るか。「こんな女の子現実にはいないし」みたいに、若干の抵抗を覚える人も一定数いると思う。
 逆もまたしかりで、たとえば女性向けの……乙女ゲーとかアイドルを扱った作品、恋愛ものの「ヒーロー」。それを見て男性は「こんな男いないだろ」と思うのでは。どちらもなんというか、変に現実的に捉えてる感じはするし、そういう意見って「客観的なもの」で、その作品にちゃんと触れていないから浮かぶものではないか、というのはさておき。

 つまり何が言いたいかというと、「男性の理想とするヒロイン」をよくわかってるのは男性作家で、「女性の理想とするイケメン」をよくわかってるのは女性作家……という感じだろうか。
 これが、女性が描いたヒロインだと……男性からすれば「キツい」印象があったりするのかも。一方で、女性ユーザーからは人気が出たりもする。そういう印象。逆もまたしかり。
 そんな意識があるから、「女性向けの界隈に男性は入ってこないで」みたいな感覚があったりするのかな、と考察してみる。
 でもひやかしで来てたり、ツイッター上で女性差別的なことを言ってるならともかく――ちゃんと作品をつくってきて、ユーザーは作者のことなど知らずそれを受け取って楽しんで……その結果として作者に興味を持って、男性だったと知る。その後に否定していくのは、やっぱりちょっとあれなんじゃないかなー、という結論にならざるを得ない。
 過去に男性経験で酷い想いをしたから、女性だけの世界にいたい、そこに男性は入ってこないで、という……個人的な話。
 そういう「個人の問題」はこれまでもうっすらとあったけど、ネットがあって、匿名でなんでも言える環境が出来てしまったから、時折おさえのきかない感情が噴出している……みたいな感じだろうか。


 なんかもう、各人それぞれの問題だよね。作者について、その人が出してる他の作品以上のことは調べない……そういう自衛をしていくべきなのではないか、と。
 個人的に「好きになった作品の作家について」、調べた結果「受け入れられない一面」があるのを知って、好きだった作品を嫌いになる……そういう目には遭いたくないから、「好きなものについては深く調べない」スタンスで生きています。最近黒歴史のやつで書きました。はい。

 結論としては……作者がどういう人であれ、その作品のことが本当に好きであれば、やがて時間が解決して受け入れられる、忘れられるものなんじゃないかと思う。
 それが出来ないんなら、たぶんユーザーにとってその作品への愛は「そこまで」のもの。いや、逆に愛が強いからこそ受け入れられない、というのもあるのだろうか。
 なんにしても、ユーザーにとってその作品は数ある消耗品の中の一つでしかなくとも……プロではない自分の感覚だと、唯一反応してくれた人は「無数にいる読者の一人」として流せるものではなく、そういう人が拒絶を突きつけてくるっていうのは、すごいつらいことだろうなぁ、と。
 お互いに、出会うべきではなかった、のかもしれない。不幸な事故のように思えてしまうのでした、と。



 ……さて。
 実はここからが本題というか、本当に考えをまとめたいところで。

 作品と作者は別、男だろうが女だろうがどちらでもなかろうが、関係ない。

 だけど、個人的に許容しがたいのは――思想の問題。

 たとえば、反戦や平和、差別のない平等の世界を訴える異世界ファンタジーがあったとして。テーマは素晴らしくストーリーも優れている。
 しかし、その作者がツイッターなんかで戦争万歳とか差別の助長とか、そういうことを謳ってる人だと知ったら。

 ……平和を語ってる主人公の言葉が、全てウソになってしまうのではないか。フィクションなのだから虚構ではあるけど、それ以上にもっと根深い部分で、全てがウソになる。

 こればかりは「作品と作者は別」とは言い難い。本当に「別もの」過ぎて、作品に触れるたびに作者の顔がよぎり、抵抗感を覚える。そうなるのも仕方ないのではないか、と思うところ。

 たとえば、テーマの一側面を描く一貫として、作品内に差別的な暴力描写があるとする。それに読者が嫌悪感を覚えるのは当然の流れ、そういう風に感じてもらう作品であるはずなのだから。
 にもかかわらず、作者が「そういうこと」を嬉々として描いてたとしたら。実際に「そういうこと」をしていたとしたら。のちに事件なんかとして、スキャンダルとしてそういう情報が出てきたら?

 なんかもう、感動の前提から崩れるっていうのはこういうレベルの話だと思うのだけど。性別うんぬんではなく。

 作者の思想っていうのはどうあがいても作品の明確な一部で、切っても切れない部分だと思う。キャラクターがすごい邪悪だからって作者もそうだとは限らないけど、本当に邪悪な一面があったら?

 バイオレンスな描写が特徴の作家が、本当に身近な人にDVしてたと発覚した時。
 これはさすがに、作者の顔がちらつくというのも仕方がないと思う。

 傑作ミステリーが、単なるフィクションではなく……作者が本当に人を殺した経験があったうえで書かれたものだとしたら。「被害者」が実在するとなれば、さすがにその作品を好きでいることは難しいのではないか。

 それもなおその作者のことを好きだというのは……どこか盲目的なようにも思う。汚いところに目をつぶるというか、見向きもしない。それはそれでどうなのかなって。

 でも一方で――なんというか……うまく言い表せないが。卵が先か鶏が先か、みたいな……。

 たとえば、人気のあるスポーツ選手がいたとして。成績も良い、人格も良い。
 しかし、実はその成績は薬物による身体強化によるものだった、と発覚したら。

 ……最初は当人の努力で成績を上げていたのが、それ以上を求められるようになって薬物に手を出した、ということもあるのかも。
 あるいは、最初から薬物の力で目立っていた……それで人格にも注目されるようになって、人気者に。

 そういう人物がいたとして。スキャンダルでこれまでのキャリアは崩壊。

 だからって、その人の「人格」まで否定するのはどうなのか? とか。

 薬物のお陰で得た成績、名声だとしても、そもそもその人の人格は素晴らしいものだったのに……スキャンダルが出ただけで、人格もすべて否定するという……世の中の流れ。
 でも、素晴らしいパフォーマンスも成績も、それを見て覚えた感動も、全部薬物による「ウソ」だった。感動の前提が崩された。騙されたと感じ、怒る。そしてその選手の人格を否定する……というのは、正当な怒りのようでもあるし、八つ当たりのようにも思える。でもそれは、上述のように、「最初は実力で成績を上げていた」ことすらも否定することになる。そこだけは本当なのに、見向きもしない。あるいは、疑惑の目が向けられる。

 個人単位なら仕方ない反応なんだけど、それが世のなか全体の流れになったりして。一つのスキャンダルで、「それ以外に、その人がやってきたこと」もすべてウソみたいに扱って、なかったことにする……。
 そういう感じがちょっと、受け入れがたいなぁ、と最近思ったりした。「世のなか」と主語を大きくしたが、自分個人としても、こういう「感情」をどう整理していいのか、よくわからない。仕方ない、で済ませていいのか。

 まだ、そういう、「好きな作家の悪い一面」に出くわす、どうしようもない事故と心の後遺症みたいなものは経験がない。少なくとも、忘れるくらいには、そこまで衝撃的な衝突はない。だけどもし、今後そういうことが起こったら、自分はそれをどう整理すればいいのだろう、と。

 自衛が一番。なんだけども。
 いちおう最近の戒めとして、「裏方の人が出張りすぎてるコンテンツにはあまりかかわらない方がいい」と思った。発表会とかイベントとかの配信でスタッフが出てくるぶんには別にいいが、ツイッターとかで作品に絡めて自己主張してくるようなところは……ちょっと、避けた方がいいかなぁって。
 裏方の人が話題になれば、その人の過去のツイートとかが掘り返されたりして、燃える。それが作品にも波及して、その作品についてもぼろくそ言われたり、そういうコメントが目に付くところに現れるようになる……ので。そもそも、目立とうとする裏方の人ほど、過去にヤバげなツイートしがちで。そういう思想が強い人のつくったものだからこそ、とがってて、目立って、多くの人が触れるきっかけが生まれた、という……。

 作品と作者、キャラクターと演者は別もの、だと頭ではわかって線引きしていても……やっぱりどこまでいっても、作品は作者の一部だし、声優はキャラクターの声だし、演じてる俳優がそのキャラクターそのものになる訳で。
 そういう風に考えると、「裏方の人はあまり目立つところにこないでほしい」という気持ちは、すごくよく分かるなあ、という結論になってきちゃったなぁ……。でもまあ、上述の問題は、自分のこの感想より過激めみたいだけども。


 やや話題はそれるけど……最近ちょっと思ったのは、「上手い声優さん」っていうのは、「キャラの声を聴いて、その声優だと気付かせないこと」なのでは、という。声だけでなく、曲とかも。
 あとになってクレジットを見て、「あ、このキャラあの人がやってたんだ」と気付くような……そういう演技が出来る人。
 そもそもその声優さんが好きでキャラを推すのは分かるけど、声優を知らずにキャラに触れてから、「あ、この人だったのか。やっぱこの声優さん好きだ」ってなるのが、上手くて、(その人にとって)魅力的な声優なのでは、みたいな。自然と、好きになる、というか。

 作品世界、そのキャラクターを見せて、裏方を意識させない。その人が演じてる他のキャラクターを想起させないほど、魅力的にキャラクターが描かれている、ストーリー。

 ……「真に最高の作品」であれば、作家の存在も演者の存在も、何も影響を及ばさないのではないか。あるいは、その人にとって「真に最高」に感じられれば。でも個人が「最高」を感じたのなら、自然な流れとしてその作者に目が行く訳で……無限ループする……。

 歴史的な名著とかみたいに……その作家が人間失格レベルのクズでも、作品は傑作として語り継がれてるみたいな……。でもそういうクズだからこそ書けた傑作だという訳で……。

 ううん……なんというか、とても度し難いテーマである。作品と作家のジレンマ、的な。
 こういう問題に、万人に共通しうる「回答」を示せたら……その思考の過程が一つの物語になるのではないか、などと思ったり。でも万人が納得する答えがないからこそ、万人が関心を持つ問題になりうる訳で。賛否両論、議論を生み出すからこそ、名作として人々の記憶に残るのだろう、みたいな。

 話がそれてきて収拾がつかなくなったので、この辺で。


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