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バックログ「それは黒歴史ノート、魔法の呪文、第三魔法への挑戦」


 最近、「バックログ」というタイトルを多用しているが、特にこれといって深い意図がある訳ではない。いわばタグづけのようなもの。たぶん「ビーズログ(BL)文庫」から発想が来ている。英語にしてアナグラムすると「ブラック」が現れ、「黒歴史」を匂わせる。

 他の近況ノートとどう違うのか、どのようなタグづけか、というと、他がコンテンスと関連や投稿したもののあとがきなどに対し、こちらはごく個人的な考えのまとめのようなものだと考えている。

 とはいえ、近況ノートを個人のブログのように使うのもあれだし、そんなものに興味を持たれるのは芸能人レベルの話。自分としてもどうでもいい日々のあれこれを書いてもつまらないし、書けるようなエピソードも特にない。
 なので、まあ、創作論というと烏滸がましいが、そのような感じのあれこれをまとめるものとして考えている。

 ……それっぽい序文のような文章にしているのも、そのため。
 何かしら「書く」習慣、いろいろな表現方法を模索する訓練の場として考えてもらいたい。

 ところで話は変わるけども、先にブログがどうこう書きましたけれど、ツイッターなどで「共感したら、いいねしてね」とか……一般人がやってるやつ。あれはなんの意味があるんだろう。何かしら宣伝するものがある、それこそ芸能人などであれば分かるんだけど、ごく普通の一般人がいいねとかリツイートとか集める、意味。
 別に何か得点などが得られるわけでもないし……。
 まあ、いわゆる承認欲求とかって話になるのだろうけど。
 現在はそれで稼ぎが得られるっぽいので理解はできるが、それにしたって……ただの一般人が自分のツイートを拡散されると思っているのは、だいぶ自意識過剰じゃないか、と思う。
 ……全部自分に返ってくるような文章ではあるけども、少なくともこちらは投稿、創作活動をしていて、拡散されることに利益がある身なので。

 まあどうでもいい脇道なのだけど……比較的印象に残っている、SNS関連のエピソードがある。
 テレビを観ていて、すごい不快に感じるVTRがあった。コメントしてる芸能人とかもまあ直截的ではないがドン引きしていた。
 視聴後、なんかもやもやして、自分がしたのはツイッターのトレンドの確認。その番組の名前が上がっていた。なければたぶん検索していたと思うが、だいたい毎週トレンドに上がっている。別に普段からツイッターを見ている訳ではないのだけど、この時はそうした。
 すると、自分と同じような感想のツイートがちらほら。それを見て、このもやもやとした嫌な気持ちが少し和らいだ。やっぱそうだよな、と。

 まあつまり、そういうことなのだと思う。共感性羞恥じゃないが、誰かと共感することで持て余した感情を中和するというか。逆に(逆に? 使い方あってる?)、何か良いことがあった時、その感情をより高めるために、他者の共感、つまり「いいね」を求めるのではないか。そんなことを考えた。

 ちなみに、「ツイッター」と表現しているのは意図的である。もう名前変わってるから、旧名称をどう使おうがこちらの勝手なので。あるSNSを表す伏字のような扱い。あと、上述のエピソードはまだツイッターがツイッターだった当時のものなのもある。



 ところで、この近況ノートの題は最低二つ以上の話題を扱っていることを意味していて、いちおうそれぞれ独立した話題なので、上述の題の文章に意味のある繋がりはない。が、繋がりに意味を感じられるような文章にしている。あと、理想をいえばこれらの話題にも何かしらの繋がりがあり、総括したオチ、まとめをつけたいところ。

 という訳で、二つ目、魔法の呪文。上がそこそこ長くなったが、こっちが本題で書き始めたノートである。

 魔法呪文というものが好きなのだ、という話。それは「あぶらかたぶら開けごま」とか「るるるるー」とか、そういう感じのものではなく。「ハリポタ」の呪文も良いが、あれはファンタジーに寄りすぎていて今回意図するところではない。

 まあぶっちゃけて言うと、中二病的なやつである。世間一般ではそういうイメージだが、自分が思うにもうちょっと高度、「高二病」レベルのやつが好みなのだ。
 どういうものかというとパッとはたとえが浮かばないが、ただカッコよさそうな言葉を並べているだけじゃなく、その下、その裏に深い意味を含んでいるようなもの。

 多少意図するところとはズレるが、「ジョジョ」6部「ストーンオーシャン」のプッチ神父の天国に行くための言葉というものがある。
 イチジクのタルト……カブトムシ……秘密の皇帝……カブトムシ……的なあれです。検索してみると出るのではないだろうか。
 何か意味があるのだろうと思って考察動画とか探したら、いろいろ出てきた。イチジクのタルトはアダムとイブに関係するものだとか、そういう、一つ一つの単語にちゃんと意味があるという。
 自分が好むのはそういうやつで、一見するとなんの変哲もない、あるいは難解なフレーズなのだが、そこに込められた意図があり、術者はその意図を理解したうえでそれを意識しながら口にしている。だから力がこもるし、魔法を発動する呪文たりえる……。

 そういうのをね、書きたいんだ……。
 でもかつては恥ずかしさが上回った。しかし、直近の黒歴史コンテストでいろいろぶちまけたり思い出したりとダメージを受けたことで、耐性がついたように思う。だからまあ、今度投稿するのにはそういう考え抜かれた呪文が出る予定。
 その前に……考え抜いてかたちにしています、こういう意図があるんですよ恥ずかしいやつではないんです、という予防線を張っておく。このノート冒頭のあれこれもそうした予防線の一種である。


 前置きが済んだところで、ようやく本題。
 魔法に限らず、必殺技とか、無言で放つよりも技名を叫んでいた方があらゆるメディアで「映える」と思う。でも別に、口にする設定的意味ってあまりない。むしろ、技名を口にすることで相手に事前に回避されてしまうリスクもある訳で。冷静に考えるとおかしな話。
 ゲーム的に考えれば、まあ「コマンド」として技名、魔法名が表示されているのは都合がいい。
 技名を口にして、相手に「情報」を開示することで思考にプレッシャーをかける、というのならアリだが。あとは暗示的なもので、能力の内容を説明するほどプラシーボ効果的なものが働くとか。まあ本題ではないので割愛。


 自分がよく使う手、というか、羞恥心から逃れる安易な設定として、暗示的なものがある。自分に言い聞かせるとか、魔法はイメージすれば自在に使えるが、その思考の方向性とかを定めるため、手早くかたちにするために「ファイア!」とか呪文を口にする系。
 でもそういうのは都合がいい設定ではある。口にすれば誰でも使えるし、何気ない会話で暴発するリスクもある。そこら辺を魔力とか世界観の設定でフォローしていくのだけど。魔力を持つ人間、魔力を感知できる才能ある人間にしか使えない、とか。でもそのレベルの設定で「高二病的呪文」を扱うのは羞恥心の方が勝る。

 それに関連して思いつく、ファンタジーのみならず「現代ドラマ」でも作用する呪文の設定としては、術者に能力が備わっている場合。まあ要するに権力者とかすごいオーラを持ったタダ者ではない人物が「黙れ」と言ったら、周囲が静まり返る……といったような。
 好きな人に「お前キモい」って言われたら衝撃《ショック》を受けるし、その状態で「死ね」って言われたら本当に死ぬかもしれない。
 でもそれらは今回の話題とはだいぶ離れるので割愛。


 他に、「聖典からの引用」がメジャーな呪文だと思う。いわゆる聖書だけじゃなく、その作品に登場する独自のものでもいい。これはフィクションのみならず、現実でも使われる呪文なので恥ずかしさは薄い。
 たとえば、悪魔祓いとか。エクソシスト的なやつは聖書からの引用が使われるイメージ。

 聖典の設定を「神から賜った言葉を記したもの」としておけば、その言葉自体に力があるため(だからむやみに口にしてはいけないが)、邪悪な魔物に対して効果がある、という感じにできる。「神は言った、闇よ去れ」とかいうと、魔物が逃げ去る、ダメージを受ける、みたいな。
 このパターンの強みは「解釈」出来ること。上述の「闇よ去れ」は魔物に対する攻撃呪文としても機能するし、闇を晴らす光を生むという日常的な扱いも出来るし、状態異常の回復とかにも使えるかもしれない。術者の解釈、そこに「目的意識」をもって口にすることで効果を発揮する。便利だし、理に適ってるというか、ちゃんと下敷きとなる設定があるので、何も恥ずかしいことはない。
 加えていうと、こういうのは漫画やアニメでより映える、特徴を持たせられる要素になると思う。文章媒体だと「闇よ去れ!」とか「去れっ!」くらいの違いしか見せられないが、漫画なら吹き出しに工夫できるし、アニメとかなら音声に抑揚や独特なテンポを持たせることが出来る。

 よりカッコよさを追及すると、「第3章28節……近況ノートの言葉」とか前置きしたい。
 が、あくまで「引用」というていをとると、意識していないとどこかで矛盾が起こり得るリスクがある。同じ「3章」からの引用なのに、「28節」と「29節」でぜんぜん文章につながりが感じられなかったアレなので。個人的にはもう聖典丸々つくるくらいしないと安心できないが……大雑把に章単位の内容くらいは定めておくべきかも。


 まあ要は、恥ずかしくないようにするために、呪文を機能させる下敷きとなる設定が欲しい。
 呪文がコマンド、それによっておこる現象も含めて一つのプログラムだとすれば、それが機能するためのシステム、OSを設計したい。それが独自の世界観、魔法の設定になる。
 魔法というものにそのファンタジーの中でのリアリティを与える、理論的な設定。
 自分はそういうものを現代・異世界問わず、考えたいという夢や希望を持っている。理想を言えば、使いまわしはしたくない。

 直近で「呪文」を描いたやつでは、同じ音を持つ言葉を繰り返すことで意味を強調する、というニュアンスで呪文を機能させてみた。しかしこれは「魔力」という設定を用いているので、上述のシステム設計にまでは至っていない。安易な選択だ。しかし現代ファンタジーだとなかなかほかに思いつかないところでもある。
 過去には、呪文は一度書くも削除して、魔法が機能する媒体だけはつくっていちおうのシステム設計はした。魔法使いだけが感知できる、第三の腕、それが「目に見えない現象」を引き起こしている、という。サイコキネシス的な見た目になるもの。
 異世界ファンタジーであれば、その世界の神の信徒は神から力を借りる、とかで魔力の設定にも説得力を持たせることが出来る。「逃げ」にはなるが、悪魔とかそもそも魔法的な生物との契約、という手もある。



 とりあえず、システムと、コマンド。この二点の設定をつくれれば、独自の魔法観を生み出せる。という結論に至った。ここまでいろいろ書いて、考えをまとめてみて。
 ただ、そういう「先入観」に凝り固まってしまうと、また独自性が出てこなくなるという問題にも注意が必要。あまりに理屈にこだわりすぎると、ファンタジーよりSFベースになりかねない。
 一見魔法に見えるが、目に見えないところで現実世界でも説明できる機械的・科学的作用が働いている、みたいな。それはそれでアリだが、最近の自分はそればっかりやってる感あるので使い回し感がすごい。もっと原点回帰、ファンタジー色を強めたい。だけど理屈も通したい。

 ……呪文に関していえば、手っ取り早く、よく知られた英語以外の言語に精通していれば、それだけで魔法っぽい雰囲気は出せるんですけども。
 そういう、現実社会でも活用できる語学の習得と、基本的にその作品内でしか使えない一点もののシステム設計……理性的な現代人なら、どっちに時間を割くべきかは一目瞭然なのですが。

 現在、ビーズログのコンテストに向けて三つの企画に着手している。
 そのうち企画Aはシステムと、呪文の案は見えてきた。異世界なので神の力を借りる。安易だけど、まずはテンプレートに添って考えていきたい。
 企画Bは呪文の案は出来たが、いろいろ試してみないと不具合出そう。そしてそれをどうシステム化するか。呪文の形態としては英語を考えている。
 企画Cはつい昨日浮かんだばかりなので、今は何とも。魔法はなくてもいいかもしれない。でもこの三つ目の魔法設定もつくれれば、だいぶ自分に自信が持てると思う。
 ……全然ラフじゃないしライトじゃないが、スタンスとしては意識しておきたい。そこに意義がある。気軽に、新しいものをぽんぽん生み出せた、という結果が自信に繋がる。


 なんだかんだ書いてきたが、一番大事というか意識すべき点として、その「設定」が「物語」から浮かないことに注意しなければならない。たぶん、あらゆる要素がちゃんと一つのテーマという柱に添って確立している作品、というのが良作なのだと思うし。
 あと……何より、応募しようとしてるコンテストはそこまで魔法の設定とか求めてない。歓迎されるとすればそれは上述の通り、テーマを活かすものであるべき。

 ……すごいネガティブなのだが、たぶん普通にカクコンとかに応募すれば読んでくれる人、刺さる人が出てくるかもしれない。でも「女性読者向けのコンテスト」に応募したことで、本来読んでくれたかもしれない人たちの視界の入らない、そしてコンテスト対象読者からは興味を持たれない――そんな地獄みたいな場違い感、空気読めてない感になりそう。

 ……そもそも、世の人たちは異世界ファンタジーにそういうのを求めているのだろうか。流行と好みが合わない。生まれるのが遅すぎたのかもしれない。でもそうした流行に合わせ、自分の好みを追及する、というのがプロなのかもしれない。そして自分の好みで流行を生み出すのが天才、ないし運に恵まれた人。

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