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バックログ「推し問答、尊いって何?」


 尊いってなんだ? という考察。何かこれきっかけで連想できればいいな、と。

 なぜ急にこんな話を? あなたカクコン落ちましたよね?

 という疑問に応えると、まず「ビーズログ文庫」のコンテストに挑戦しようとしてるのと、落ちたからこそやらねばっていう訳で。

 ビーズログ文庫。正直、たぶん読んだことはないレーベル。文ストは違うのか? ビーンズだっけ?
 ともあれ、レーベルの名前はけっこう好き。これ「BL」になるんですよね。でも別にBL特化のレーベルでもないようだ。いちおう、発刊されてる作品はチェックしてみた。女性読者向けのレーベルなのは断言できる。となるとつまり、今回のコンテストもそうなんでしょう。
 この系列なのかはわからないが、いちおうこれまで賢いヒロインセカンドライフ運命の恋と毎回挑戦している。なんか美少女戦士を投稿したイケメン系の企画もあった気がするが名前を思い出せない。むしろそっちがビーズログだった気もする。

 ともあれ。
 尊いについて考える前にいちおう書いておきたいのは、このコンテスト、男性主人公と男性キャラの絆的なものを描けばいいわけで、それがBL的な恋愛や肉体関係の話でなくてもいいんですよね?
 いちおう……このコンテストのページに載ってるイラスト、そして例に挙げられている作品らしきもののあらすじをチェックしたんだけど、そちらは女性主人公がBLゲーム内の「主人公の弟」に転生して……、というものだった。
 つまり、ガワは男性だけど、中身は女性。女性読者を対象としてるならそれがちょうど良いところではあるのだろうけど。主人公への感情移入とかの面で。
 一方で、読者は蚊帳の外にして、男性同士の関係・物語を見てもらう、という向きもあると思う。
 無難なところで自分は後者をとろうと思うのだが、「主人公が実際は女性」というのは今回のコンテストではアリな方なのだろうか? 役割として男性であればいい? 男装は? 怪しいところである。いちおう我、コンテストの最低条件は守りたい所存。そのうえで裏切りたい腹積もり。


 さて。
 尊いってなんだろう? あと、「推し」っていう概念も改めて考えたい。たぶん「尊いから推せる」んだと思うし、「推しがどうこうなってて尊い」という感情に繋がるんだと思う。

 自分の話をすると……これはジェネギャとか価値観の相違ではなく、シンプルに自分の心が荒野のようだからだと思うのだが。荒野のようだ……。繰り返したかっただけ。
 あまり特定の何かを好きになったことがない。「推せる!」みたいな感情がよく理解できない。

 たとえばソシャゲとかやってて、かっこいいかわいいと思うキャラはいる。複数いる。ものによっては全キャラ好きになる。DDというやつである。でも誰でも大好きっていうのは、誰も特別ではないってことで。特別好きな一人とかはなかなかヒットしない。
 いちおう、初めて引いたSSRとか、初期からいてずっと使ってる高スペックキャラに愛着は持つ。人気投票とかあれば、とりあえずそのキャラに入れる。
 かといって、たとえばそのキャラの新SSRとか新衣装が来るまで石を貯めるとか、何十万も課金するとか、そういう感じにはならない。そもそも無課金だし。課金するっていうことに面倒臭さを感じるし。あと、石あったら使っちゃうし。
 そこまで何かを強く愛してる人たちを羨ましく思う。そこまで心動かされることってない。ポジティブに捉えれば、どのキャラのSSRが出ても相応に喜べるということではあるが……。

 たまに考える「たとえ話」に、たとえば徒歩数分とかの超近所で、好きなアイドルなりアーティストなりのイベントがあったとして。しかも入場無料という。そういうイベントがあったら、行くか? というのを自問する。
 昔の自分なら「行きたい」と思っただろうが、今の自分は「行きたくない」。まず間違いなく大勢の人がいて、その混乱の中にもまれるから。曲を聴いてるどころではなくなる。近所だというなら、音が洩れ聞こえてくるだろうし、わざわざ行くまでもない……。
 そういう感じに考える。人が大勢いて、パニックになるリスクを冒してまで出向いて、それでも生で直に見たい、声を聴きたいと思えるほど、推せる……ファンになるような存在。そういうものと出会った経験がない。
 上述のように、いちおう好きなものはある。アーティストとか、曲。でもやっぱり上述のように、わざわざライブとかに行くほどかというと、否。まあ、ライブDVDとかは買うかもしれない。だけど、長い列に並んでまて握手したい、とは思わない。アイドルオタクの人たちの気持ちがまるで理解できない。否定する訳ではないが、何が彼ら彼女らをそうさせるのか……。


 推しってなんだ? 何が推せるんだ? 分からない。

 じゃあ、尊いとは?
 初めてこの言葉が使われてるのを聞いたのはV界隈で、いわゆる「てえてえ」というやつ。自分も配信といえばVtuberしか観てないのだが……推しがいるかといえば、特には。
 たぶん推してる人っていうのは、その配信者の個人配信とか毎回追ってるのだろうが、自分の場合、個人配信はよほど興味のあるゲームをやってる時くらいしかチェックしない。基本的に観るのはコラボ配信だけ。それもゲームコラボとか。人が話してるのを聞いてるのが好きなのだ。一方で、雑談・対談みたいなのはあまりだし、ゲームコラボだからってなんでもかんでも見る訳ではない。

 で。
 てえてえ、尊いというのは、そうしたコラボなどで発生する事象なのだろうけども。特にこれまでそういう、胸が熱くなるような感覚に襲われたことはない。普通に笑ってるだけ。関係性の尊さっていうのは、いまいちよくわかっていない。

 そんな自分がこのコンテストに挑戦する意義というか、意味というか、資格とまではいわないけど、そういうのはあるんだろうか。全く見当違いの何かを書いてしまわないか。


 パッとは思いつかないが、本棚とかを見ていると、まあいちおう、思い出すものはある。尊いかどうかはさておき、好きだなと思うキャラクター同士の関係性、醸し出す雰囲気。男女よりは男同士の方が多い気はする。ジャンプ作品とかね。
 そういう方向性で深堀りしていけば、何かしら尊いものが見つかるのだろうか。


 人間同士の関係性。絆。絆ってなんだ?
 友情。愛情。信頼。忠義。主従。親子。兄弟。復讐。ライバル。
 そういったものがどうなれば、尊さが生まれるのか?

 それから、このコンテストはどこまでの深度が許容されるのか、という点。

 あえて誤解を招くような言い方をすれば、多少頭が悪いくらいがいいんじゃないかという気はする。つまり、明るい。コメディ寄り。政治とか宗教とか戦争とか、そういう重いテーマは扱わないような。小難しい話とか、複雑な世界設定とかはなく。その辺に落ちてそうな異世界観で。
 人が死ぬとか……。相手が望むから、それに応えて相手を殺す、みたいな関係性の結末。復讐とかではなく愛を以て殺す感じ。そういう方向性に自分は尊みのようなものを感じるのだが、はたして。

 自分としてもいちおう、コンテストとは別の意図から、創作カロリーの低い、ライトな物語をコンスタントに量産できたらいいな、と考えているもので、だから上述のような軽めな話にしたいのだが。
 しかし尊さというものを深掘りしていくと、どんどん重いものなっていく感がある。

 やっぱこういうのをやるときは、刊行されてる本をチェックして雰囲気とかを掴んでいくべきなんだろうけど……。
 ……最近のラノベ系の本はどれも趣味じゃないんだよな……。
 そういう人間がそもそも挑むべきではないのかもしれない……。
 でもそんなこと言い出したらカクヨムやってる意味がない……。
 つまり生きてる意味もない……。そういうこと? 落ちたしね。

 だからまあ、独自に模索していくつもりなんだけども。それが受け入れられるのかどうか。これに限らず、カクヨムユーザーに自分の書いたものが受け入れられてる実感は薄いのだけどもね。どんどん卑下していくね。

 いちおうまあ、手近なところで、既にコンテストに応募されてる他の方の作品をばーっと覗いてみるか……。でもそれがもう趣味じゃないんだよな……。世の中の流行と趣味が合わない……。


 絆、関係。分からん。
 あとこれに限らず根本的な問題として、異世界ものにどのような終わりを与えるのか、それも判然としていない今日このごろ。
 たとえば、同系企画に応募した「シィラの工房」だと、ダンジョンから脱出する、脱出して中の問題を外に伝える……これを達成すれば、終わってもいい。終われる。
 しかし、「中の問題」をどの程度描写するかによっては、脱出も一区切りに過ぎない。脱出の過程で、「ダンジョン内にいる敵の正体とかその歴史」について把握できれば、それ以上は語らなくても終わらせることが出来るけども。
 そうした情報を明かさずに脱出した場合、終わりが見えない物語が始まる。具体的に言うと、地下生物と地上人類のかかわりとか、今後の関係とか、そういうものを書いていく必要があって、その「果て」をどうするか。

 同じ同系の「シナズノキミ」はいちおう「ヒロインをいけにえにする」という終わりを見据えている。ヒロインがその終わりを受け入れるまでの過程、他人とのかかわりの中に何かしら尊いものがあるような気もする。一方で、その終わりを否定するための主人公がいて、自分も書きながらそれ以外の結末がないか模索したいところもである……。これはエモいのでは? と我ながら思うのだが、どうだろう。分からない。

 これがミステリーであれば、終わりがはっきりしている。事件が解決すれば、物語を終わらせることが出来る。でも、人生となると話は別で。異世界を書こうとするとそっちにフォーカスしがちで。

 ある人物が王様になるまでを描いたとして、王様になったら完結でいいのか? そこからの展開も語られるべきでは? でもそうすると、まあいろいろある訳で。結婚とか子供とか。王政もいずれ傾いて。いつまでも平和は続かない訳で。最終的にその人物の死に至らないと、終わりのイメージが見えない。
 ある戦争の物語であれば、話を膨らませる過程で身内の謀反とか起こったりして、戦争が終わってもそれらはなくならない訳で。戦後の敵国民との関係とか考えるとさ。まあつまり、「ハッピーエンド」のビジョンが見えない。いつも。分からない。
 最近お笑いで、「これは僕がなになにになるまでの物語」みたいなネタがあったんだけど、そういう風に定義して、それを達成したら終わりという風に言い聞かせてやれば、どうにか出来るだろうか。でもそれはそれで、クソ長いストーリーになりそうな気もする。シナズがそうだし。

 とりあえずそういう終わりは横に置いといて、「一区切り」をつけられれば、コンテストとしては成立するのだろうけども。ううむ。区切りをつけるにも、終わりが見えていた方がいいのだ……。

 たぶん、自分が何かをライトに書けるとすれば、それはキャラクターに対する感情を割り切って、道具、物語を語る役者として冷めきった目でキャスティング、ストーリーテリングするしかないんだろうなぁ。そしたら容赦なく殺すけど。いちおうふだんは、現実世界が舞台の話を書く時は、登場人物全員が不幸にならないよう考えてるんですけどね。そのせいで雁字搦めになりがち。明確な悪役がいるって言うのは楽ですよ。魔王を殺してハッピーエンドみたいなね。そういう意味では魔王的な配役は、物語を丸く収める都合の良い道具なのかもしれない。魔王に立ち向かってるあいだは、ふだんいがみあってる国同士にも団結するし。まあ自分の場合、「魔王を倒してあと」に目がいっちゃって終わりが見えないんだけど……。

 ……お前は道具だ。

 というパートナー関係。からの絆。とかどう?


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