黒歴史の短編で、「結果を出せなければ、評価されなければ自信も自慢も黒歴史」というようなネガティブなオチをつけたんですけども。
その前に。
ある時「放課後MMクラブ」を見返していて、とんでもない誤字を見つけた。「犯人はお前だ」に相当するような重要な一文で主人公の名前を間違えていた。ちゃんと読んでいれば誤字だと気付けるだろうけど、ともすればあらぬ誤解を与えかねない。致命的な誤字。一刻も早く直したいところだが、仮にも選考中なので手を加えていいものか、という。とんでもない失敗。
それでも良い結果を出せれば笑い話になるが、評価されなければ深刻な黒歴史となることだろう……。
それはそれとして。
少し時間が経って、思うところも出てきたので、補足。
本文中でもいちおう書いてるんですけども、まあ、なんだかんだこれまでのあれこれが今の自分をかたちづくってるのは否定できないなぁ、とか。黒歴史も含めて、今をつくりだすのに必要な過程。そういう恥ずかしい失敗があったから、それを回避しようとして今に至る訳で。仮に同じ記憶をもって人生やり直しても、避けて通れない道はあるのだろうな、とか。どうしてかは今となっては思い出せなくても、その時の自分にはそうしたかった理由、衝動があったのだろう、と。時を経てその失敗を受け入れてやる度量もついた。そういう考えが持てるのも、失敗あってこそ。
ひととかかわるのにものすごい抵抗があるから、他人やその作品をフォローしたりしないし、応援コメントなどにも反応しない、という今の自分がいる、ということを、ついでに。
さて、KAC。三回目のお題は「箱」。は?
前のお題「住宅の内見」からの連想で、段ボール箱とかそういうことをイメージしたのだけど、はてさて。どういう理由でそういうお題を出したのか、毎度気になるところである。
「ブラックボックス」と「サンドボックス」というタイトルは真っ先に思いつき、採用。しかし中身が何も決まっていなかった。
ブラックボックスに関しては、KAC4作を経て、浮かんでストックしていたネタをねじ込んでやり過ごした。AIとかそういうネタ好きね、自分。なんでだろう。
箱推し、という言葉を使いたくてあのやりとりを書いたのだが……その後の「お払い箱」は書きながら出てきた言葉で、「箱だ!」ってなった時ちょっと感動した。用済みだなんだかんだっていうシーンは前から考えていたのだが、そこから「お払い箱」が出てくるとは。我ながらすげえって思いました。
サンドボックスの方は、連想が連想を呼んだ。
あらすじ部分のポエム的なあれ。適当に「箱」のつく言葉を書いていって、本文も「パンドラの箱」から初めて、なんとか発想を膨らませようとした。いろいろ書いて設定のイメージが浮かぶも、ふと我に返る。
こういう、冒頭から設定とか世界観を並び立てるやつって、よろしくないのでは? と。よく「つまらない書き方」とかで指摘されるやつですね。
そこで、これを後半に保留して、異世界転生風チートスキル系なシーンから書き始めた結果、ああいうかたちに。
こちらも経緯を思えば我ながらよく出来たと思うのだが、やはりふるわない結果に。
しかし、2PVあって、応援が2。星3評価2つではないにしろ、読んだ全員が全員リアクションする内容だった、ということ。つまり悪い出来ではなかったはずなのだ。にもかかわらず、読まれない。そもそも読んでもいないなら面白くないかどうかなど分かるはずもないのに。やっぱりKACって作者人気、思えば昨年とか各回の人気上位作家はだいたい同じ名前が並んでいた気もする。どんなに努力しても無駄、面白さより好感度なんだ、とこころがささくれだった。
その4「ささくれ」
上述のような人が一定数いることを汲んでこのお題なのか、それとも何か悲しいことがあって、心に何か引っかかりを残している人たちの想ってのお題なのか。相変わらず意図が読めない。
これもまた「は?」ってなって、何も浮かばず、多分今後も浮かばないだろうから、この一点。
「Dis is Communication!」
これはカクコンくらいに思いついたネタ、だったと思う。ストックしていたものをこじつけてみた。しかしまあ、このメモがある意味、今回のKAC全体の世界観のベースになってると思う。
ちょっと世間の話になるが――
以前ツイッターで「マルハラ」というトレンドを見かけた。見慣れない言葉はネタ集めのためチェックするようにしているので、覗いてみた。人の名前かな、と思っていたが、ハラスメント系だとパッと見て分かる。
そこで予想を立てた。「文章で、カギかっこの文末に句読点をつけるやつ」に関していろいろ言うやつかな、と。たとえば「こんにちは。」みたいに。ソシャゲとかの文章でよく見て、ずっともやっとしていた。見慣れ過ぎて受け入れる度量はついたけど、そこをつっつく人が現れたのかなー、と。だいたい見慣れないトレンドに関しては、それが何を意味するものなのか予想を立ててから確認することにしている。外れていても今回のように話のネタになりますからね。
で、実際はといえば、ラインとか私的なやりとりの中で、「ありがとうございます。」とか語尾にまるをつける人に対し、「怒ってるみたいに感じるからやめてほしい」みたいな意見。まるをつけるのがハラスメントだというのだ。
それってあなたの感想ですよね、と思った。文章として正しい表現なのに、それを批判するなんて。確かにまあ分からなくもないし、自分も「表現の一環」として、あえてそういう風に書くこともある。
でも、このままこういう意見が増長して、文章の基本的な在り方まで変わってしまったら、小説とかどうなるのだろう、という不安が膨らんだ結果が、今回の短編である。
なんていうか、もう当たり前のコミュニケーションが、お互いの価値観にズレがあったら当たり前でなくなる、みたいな。世代が違えば間違いなく感覚も違って、善意でしたことが悪く受け止められたりする。カクヨムの評価システムとかもそう。星1は「良かった」なのか「つまらない」なのか。受け取り方次第。
もういっそ、コミュニケーションなんて取らない方がいいんじゃないか、という過激な発想。でもこういうディストピアを膨らませるのが作家というものだと思うのだ。
で、もう一件。
最近テレビで、「下の名前で呼んだ」ことをセクハラとして糾弾されていて、さすがにそれはあんまりだろ、と思った。名前って呼ぶためにあるんですよ? それで「お前」とか「あんた」「おい」とかだったら、それもまた文句言うくせに、と。
でもまあ、女性であれば、大して親しくもない男性に下の名前で呼ばれるのは不愉快なんだろうな、とも思う。だから理解はできるけど、これはセクハラ扱いされた人が可哀想だな、と。
しかし、「手を触らせてきた」はちょっとだし、加えて「頭を撫でた」という。
相手を褒めるために頭を撫でた。まあ、分かる。私の世代では年上が年下をねぎらうためにそうする、みたいな動機も、理解できなくはない。
しかしそれは、「大人が子供に対し」するもので、まあ、大人と子供ほど年齢が離れているのは事実だろうけども、少なくとも社会人同士ですることではない。ハラスメント以前に非常識な気がする。
というか社会人ってボディタッチは握手がせいぜいで、「ロケットの打ち上げに成功わーい」くらいの時にやっとハグするくらいでしょう。少なくとも日本人ってやつは。その点で、「世代」は言い訳に聞こえてくる。もうそれは価値観の押し付けってやつになるのではないか。
セクハラに関しては、そこに「下心があったか」が焦点になるのでは、というのが自分の結論だが、下心の有無なんて証明のしようがない。本気で相手を褒める意図があったのかもしれないが……なんにしても、そこに価値観の相違がある。それでハラスメントという概念に繋がる。
ハラスメントって言葉に関しては、それを「自分の気に入らないものを排斥するため」に使いだしたら、それはもうおしまいだと思う。マルハラはそれに近い。気に入らないものというか、理解できない文化の否定かも。
そんでもって、何々ハラスメントって言葉を流行みたいに使っていけば、やがて飽きられて、本当に深刻な被害が見過ごされるようになる……という、歴史の繰り返し。まあ自衛やリスク回避のために人とのかかわりを避けることで、誰かの助けを求める声を聞き逃すことにもつながるのかもしれないけど。
人類は生きるために集団になって社会をつくったはずなのに、その社会や集団に殺される人がいるっていうね。社会が複雑化しすぎたんだろうか。そういう回収不可能な伏線をバラまきまくった話を終わらせるには、デウスエクスマキナ的なものが必要で、つまり隕石でも降って半壊させなきゃ救いはないのかもしれないな、とか。
まあ、そんな難しいことをいろいろと考えていて、その思考の一部を短編にしたのがこれ、という話。
そういえば「サンドボックス」で「告白」に「セクハラ」っていうルビを振っている。前ぶりではなかったのだけども。それも最近気になった点。
脈のない告白をするのはセクハラ、らしい。脈があるかどうかなんて、分からないから告白して確認するんじゃん、最低限のそういうコミュニケーションも罪に問われるなら、もういっそ誰ともかかわるべきじゃないよね、という考えが短編になっている。誰も見向きもしない短編一つにも、人生の一部がしっかり凝縮されているのである。
短編といえば、KACにあたり、「コレクション」機能を整理した。
色々見てる中で記憶のないタイトルを多数見つけたが、一番の驚きは「卒業式のスピーチ」という短編のPV数が三桁になってた点。そのくせ応援も評価もない。これはこれで異様。だって今回のKACのだって、全部通しても一桁どまりなのに。
短編っていうのは一度埋もれたらもう見向きもされないのに、最近もPV数が増えていた。少しでも評価がついてればたまにどこかで浮上して人目につくのは分かるけど、これは違う。怪奇。内容が内容だけに。いやまあ、内容があれなもんで評価ないのは分かるが。
思うに、卒業式シーズンに当たって、そういうスピーチ原稿などをネットからコピペしようとした人間たちが偶然チェックしたのだろうと思う。どうだろう。答えは永久に分からないが。
分からない謎といえば、上述のMMクラブ。フォローしたはいいが、結局1話も読まないままフォロー外したっぽい人がいるんだけど。そういうのばっかりだ。どういうつもりなんだろう。フォロー返してほしいのならその期待は上述の通り。でもだいぶ時間が経ってからのこの仕打ちなのだが。
……と、「なのだが。」と書いてたら、これも不機嫌そうに見えるのだろうか。まあ実際あまり愉快な気分ではないけど。このノートだって告げ口というか愚痴みたいなものなんだけどね! こっちは人生かけて丹精こめて魂削って書いてるのにさ! 限界ぎりぎりだったから致命的な誤字をしたんだよ!
まあそんな不平不満も全部が全部、黒歴史。……といえるようになるには、圧倒的人気作家になってやらないことには無理ぽいんだけども。
とりあえず、時間が経てば怒りも不満も大人しくはなる。こうして書いて発散もできる。
あぁ、嫌な世の中だなぁ!
(本当はそんな不満をぶつけるようなテンションじゃなくて「だなぁ。」みたいな、しみじみしたノリなんだけど。個人の意見がそんな情緒を殺していきます……)
と書いて終わっておく?
(ずっと「!」だとなんとか構文とか頭の悪い文章のように見えるので趣向を凝らしてみたのだが、終わらなそうな気配がするぜ! あおりのようにも見える……)