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ランドセル考文


 ランドセル・タカフミ、ではない。どこのへんた、あるいは芸人だ。「おじさん構文」みたいなイメージ。考察・文。

 まずはじめに、わいちゃん、別にランドセルに特殊な関心がある訳ではない。ランドセルだ! 女児! とか興奮する類いの人間ではない。
 思えばつい先日、小学生女児をメインに据えた長編を完結させた訳だが、ランドセルという単語を使った覚えがない。単純に忘れているだけかもしれないが、それくらいこれといった関心がない。
 もしも「ランドセル」に食いついてこの文章を覗きに来た人がいたとすれば、もうなんというか、犯罪者予備軍として危険人物指定されてデスゲーム島に連行されるしかないと思う。


 で。
 なぜランドセルなどを取り上げてみようと思ったのかといえば。
 まず、ニュースか何かでそのフレーズを耳にしたのが記憶の底に沈殿していたのだと思う。そして、別の思考の中で「外国人って『若い本』をあまり大事にしないイメージだな」などと考えていた際に、対比として浮かんだのがランドセル。なんのことか? 説明しよう。
 ランドセルというのはたぶん日本独自の文化だと思う。少なくとも、外国の女児男児が背負っているイメージはない。外国の学生はリュックサックとかナップザックとか、そんな感じの柔らかい素材で出来たものを背負っている印象が強い。そういうものに教科書やノートなどを入れていたら、どうなるか。角が折れる。
 一方、ランドセルは四角い。底板的なものもある。教科書やノートを入れていても、それが損なわれることはない。その点、ランドセルには存在意義があるな、と。
 先のニュースか何かを耳にしたとき、「ランドセルの存在意義って?」となんとなく疑問に思ったことが、そこに繋がる。


 ランドセル。海外では戦争や貧困で学校にも行けない子どもたちが大勢います、というCMをよく目にする訳だが、つまり学校っていうのはそれだけ敷居が高い訳である。教材費や給食費やいろいろ費用がかさむ中で、ランドセルを買う意味はあるのか。ランドセルだってそれなりに値が張る。ブランドものだってある。教材を入れるための鞄があればいいなら、何もランドセルじゃなくてもいいのではないか。

 なぜ我々はランドセルを背負うのか。おそらく日本人のほとんどが背負ったことがあるだろう、ランドセル。最近では小学生の「重い教科書を背負わないようにする発明」を指して、一部の意地の悪い大人たちが「小学生の時からそんな楽してどうする」みたいなことを言っていた記憶がある。楽をするための工夫をしてきたから文明が進んでるんだろ、そしていずれ衰退するきっかけになるんだろ、ということはさておき。

 ランドセルを背負わせることで、体力づくりをしようという魂胆なのか?
 思えば教科書を毎日持ち歩くというのも変な話だ。まあ机の中に入れておくにも容量的な限界があるにしても。宿題とかをするために少なからず持ち帰る必要はあるだろうけど。ランドセルを置くロッカー的なスペースはどの小学校にもあるだろうから、そこに教科書も入れておけばよくない、と思うのだけど。まあつまり、別にランドセルなくても教科書とか運搬できるよね、という。

 ランドセルは主に小学生の六年間しか使わない。まあ六年も使うならお金を払う価値はあるのだろう。高いぶん、つくりもしっかりしているはずで。しかし、ランドセルにこだわる必要も特にないのではないか。
 あるいは、その仕様に理由があるのかも。エアバック的な感じで、たとえば車にはねられた際、ランドセルがクッション代わりになる、とか。吹っ飛ばされて背中から着地した際、ランドセルが下になれば頭が直接地面にぶつかるリスクは減るだろう。
 重いランドセルがあれば、子供の体重がプラスされる訳で。そうなると、誘拐犯などが無理やり連れ去ろうとする際に邪魔になるのは間違いない。そういった防災・防犯上のためなのか?


 別のアプローチから迫ってみよう。
 アイコンとしてのランドセルである。
 たとえばイラストなどで「小学生女児を描いてください」と言われれば、まず無難に赤いランドセルを描いておくと思う。そういう意味で、アイコンとしてのランドセルには大きな意義というか、共通認識のようなものがあるはずだ。
 エンタメ界隈では特に、「ランドセルだけが地面に落ちていた」とかいう一文だけで事件性を匂わせることが出来る。「その部屋には埃の積もったランドセルが置かれていた」とか。たとえが不穏すぎるが、描写に伏線を仕込むことが出来る。ミステリとかではこれだけで「あの人には小学生の子供がいたが、今は亡くなっている」とかの推理に発展出来る訳だ。

 ランドセルを背負っていれば、誰もがそれが小学生だと判別できる。真昼間にランドセルを背負っている子供を見かければ、「こんな時間に何しとるんじゃゴラぁ!」と恐い大人が恫喝出来る口実になるのである。
 そういう意味では、ランドセルを与えることで子どもに社会における役割・ロールを設定することが出来る訳だ。
 制服などもある訳だが、学校ごとにまちまちになる。しかしランドセルであれば、色の違いはあれど共通規格。そうやって幼いころから「お前は社会の一員だ」という自覚を背負わせる意図があるのかもしれない。「制服」という言葉も「制度に服従させる」と読める訳で。
 詳しいスペル(呪文)は知らないが、ランドは「国土」、セルは「細胞」などの意味を持つ。つまり、お前はこの国の一部なのだ、という和製英語による呪術的な意図があるのだろう。日本ってそういう闇の一面ある。


 先に、「赤いランドセル」というフレーズを使ったが、この「色」の設定も不思議なものである。
 現代の現役小学生や十代となると違うのかもしれないが、未だ大多数の日本人のイメージとして、「赤は女児、黒は男児」ではないだろうか。赤いランドセルを見れば、女児。黒なら男児。そうやって「あれはロリ、こっちはショタ」と一部の犯罪者のためのマーキングになっているリスクはさておき。
 
 なぜ、赤と黒なのか。ランドセル実装当時などに、その色分けの方が素材的に染色しやすかったとか、そういう理由があるのだろうか。何かで見た覚えがあるが、昔はみんな黒一色だったらしい。そうした詳しい歴史に本気で興味があればググっているので、やはり自分は別にそこまでランドセルに興味がある訳ではない、と改めて告げておく。ただ単純に、「ランドセルとは何か?」という考察をしたいだけなのだ。

 どうして昔の人は小学生女児に赤のランドセルをあてがったのか。
 たびたび疑問に思うことがあったのだが、赤といえば……それこそ小学校低学年ともなれば履修しているだろう、スーパー戦隊。あのリーダー格の男性は赤、レッドである。フレーズ的にもカッコいい。どちらかといえば男児寄りではなかろうか、赤。
 仮面ライダーを見てみよう。初代のそれのビジュアルがパッとは浮かばないが、赤いマフラーとか赤い複眼をしていたように思う。少なくとも、平成一期のクウガは基本形態が赤い。その後も赤いライダーは多数出ている。
 同じ特撮でいえば、ウルトラマンも体色に赤を含んでいる。

 赤の男児感、強くないか?

 と思う一方で、現実に「赤」を男性が身に着けているイメージは……少なくともひと昔前にはあまりなかったのではないか。自分も某芸人さんのイメージしかない。
 では女性はどうか。うーん。あまり芸能人とか知らないのでなんとも言えないが、男女問わず、赤は派手な印象である。
 派手といえば、目立つ。目立つといえば、これまた防犯的な意味では効果がありそうだ。だから女児に赤ランドセルなのか。

 かたや、黒。黒は目立たないというか、影に入るといろいろマズいのではないか。防犯的に。
 黒い服といえば、スーツ。しかしシャツは白く、それがワンポイントになっていて、あまりスーツ男性イコール黒というイメージは薄い。個人的な感想だけど。まあそれを言うとここまで全部ロクなエビデンスもない妄想の話だけど。
 喪服もあるが、男性は同上。一方、女性は真っ黒なイメージだ。しかし大人の印象を小学生に当てはめるのはどうなのか。

 黒といえば光を吸収する色である。夏場の登下校とか大変そうだ。黒いランドセルに光を吸わせることでそれを背負う本体へのダメージを抑える意図があるのだろうか。どちらかといえば一緒に熱くなって、熱中症のリスクなどがありそうだ。
 そういえば、こんな話を聞いたことがある。都市伝説とか迷信のようなものであるが。男性の人口が増えると、戦争が起こる。という。大昔の価値観でいえば、村に男性が増えすぎれば相手の女性がいなくなり、よその村に出向いて花嫁をさらうといったことが起こりえるから、あながち間違ってもいなさそう。現代なら持て余した生存本能は闘争へ行くのだろうと思う。
 つまり、男性人口を減らそうとして黒いランドセルで集光を……犯罪リスクを上げて……。近代流の口減らし――この話はここでやめにしよう。あまり世界の闇に触れすぎると、危険で危ない。


 ランドセルのことなんてなんとも思っちゃいないが、まあ深堀りするといろいろ出てくるものである。
 こういう下らない雑談を、一般の人は友人知人家族などとして、そういうところから短編などの着想を得たりなんだりするのだろうが、自分にはそういう相手がいないためこうして一人で壁打ちするように文章を綴っている。
 何の意味もないかもしれないし、場合によってはこれが何かに活きてくるかもしれない。少なくとも打鍵の慣らしにはなる。KACなどの短編企画でランドセル関係のお題が出れば間違いなくアドバンテージにはなるだろうが、分の悪い賭けである。

 あなたはランドセル、好きですか?

 私は別になんとも思っていません。
 ……とか再三書くとほんとに誤解されそうなので、この話はここでやめにしよう。


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