続き。
藁にも縋る想いで、創作活動の参考になるだろう、いわゆる指南書、技術書的なものもいろいろ読んでいる。
今回読んだのはいずれも著者が海外の人。もちろん日本語訳だが、海外の小説理論が日本の、それもウェブ小説界隈にどこまで通用するのか、みたいな疑問を抱きつつも買って読んだりしたのが――実は一年以上前のこと。今回改めて、それぞれ読み直すことにした。カクヨムコンやKACで心折れたのもあったり、「なにもわからん」状態になって困ってたので、「話づくりの指針」を求めて。
一年前に読んだ時点ではこう、一気に詰め込んだ感じで、それぞれについてきちんと理解・吸収できてなかったと思われる、自分。実際、改めて読んでみるといろいろ発見というか実感というか、思うところがあった。
改めて読んだといっても、前に読んだ時に要所要所に付箋というか紙切れを挟んでいたので、そちらを重心的に、イントロとか「余計な部分」は斜め読みにしたので、読むこと自体に時間はかかっていない。
前回読んだ時に理解しきれなかったのもそうした「余計」までまとめて読んでたせいで肝心な部分が頭に入りきらなかったっていうのがあるのかもしれない。必要に応じて、それが紹介されてる部分を読み返す、というスタンスが有効と思われる。なんにしても、こういうものは一気に読むべきではない。
そんなわけで……これから小説を書いてみようって人の参考になれば幸いの、個人的にも情報を整理するための感想とまとめである。
……あと、余談だが、これらの本を買って、読んで、しばらくしたころ、カクヨムでこれらの本の一部無料公開がはじまったという微妙に間の悪い想い出がある。
調べてないが、たぶんまだカクヨム上で公開されてるんじゃないかな……。いずれもフィルムアート社の本です。
・「アウトラインから書く小説再入門」
アウトラインっていうのはプロットとかまあ、作品の設計図みたいなもの。現在の自分はそういうのをあらかじめ考えてから、細部は思い付きで、というスタイル。なので、探せば世の中こういう本があるのか、と驚きを得た。まあネット上にはそういうサイトはいくらでもあるとは思うのだが……。
今回読んだ本はいずれも、大まかには同じことを言っている。あと、思い付きのまま書く人(パンツィング、というらしい。それをする人をパンツァーと呼ぶ)に対して「アウトラインを決めて書く」ことを勧める「イントロダクション」などにそれなりの文字数を割いてる。個人的にはそれらが上述した「余計な部分」に当たる……こっちは最初からアウトラインについて学ぶつもりで読んでるので……。
当初の印象としては、これ一冊でじゅうぶんだったな、という感じ。そのあとで無料公開されたのもあってね……。
ぜんぶを二回読んだ身なのと、他にもいろいろ情報がごっちゃになってるから、今は断言はできないものの、「再入門」っていうタイトルにふさわしく、「話づくりに煮詰まった時に手に取ってみる」のにはちょうど良いと思える内容。最初に読んだのもあり、付箋もいっぱい挟まってる。
どの本にもいえるが、「こういうものを書きたい」というアイディアがあることが前提で、それをどうかたちにしていくか、という良い指針になる。
こういう本なので内容についてはあまり書けないが、アウトラインに対する複数の作家へのインタビューが幕間に数ページずつあって、それらだけでも参考になる。
著者の作品をサンプルとして提示しつつ、各要素について紹介しているので……これから小説を書いてみようっていう本当の本当の初心者にはちょうどいい、のかもしれない。ある程度の知識や経験がある人間には「何を今さら。そんなのは知ってる」みたいに感じる部分もあるが、感覚的に分かってることを文章化して説明しているので、やっぱり「再入門」って感じである。個人的には今回読んだなかで一番良いのかな、という感じ。
・「物語のひねり方」
分厚いが、中身はそうでもない。
正直なところ、わざわざ買って読むほどではないな……とは思ったりもした。内容はタイトルそのもの、「物語にどうひねりを加えるか」というものに特化している。
物語のひねりって、まあ当たり前のことで、頭の良い人間ならたぶん自然に出来ることなのだろうが、自分はこの本を読んで、ひねりについて解説を受けて「知識として理解」した感はあるので、まあ買って良かった本ではある。
どういう方向に、どんな風にひねりを加えるかっていう話。「ひねり」っていうのはつまり、読者の予想を裏切る展開のこと。予想外や驚きをもたらす展開にするのは当然というか、おのずとやってることなので……でも先述の通り、これを読んで知識、技術として理解したことで、意識してひねりを加えようという指針、選択肢みたいなものが生まれたのは事実。別の近況ノートにも「ひねり」って言葉を使ってたりするのはこの本の影響なのは間違いない。
ただ、今回読む際にだいぶ読み飛ばしたりはした。というのも、大部分が実在する本を例に挙げて、そのあらすじとか、その本ではどういう風にひねりが使われてるかっていうサンプルなので。
それから、「ケーススタディ」として、ひねりを使った作品のアウトラインを実際につくってみるという部分がある。二作品ぶん。そちらも改めて読んでみた今回の印象としては「余計」に感じた。
とはいえ、メインプロットとサブプロットっていう概念を学ぶにはこのケーススタディが良い参考にはなると思う。
まあ、もし「内容を全部知ってる状態で、改めてこの本を買って手元に置こうと思うか」と問われれば、優先順位は低くなるというのが正直な感想。買って手元にある今としては、間違いなく自分の創作の血肉にはなってるのだが、「読まなくてもいずれ気付けたかもしれない」という感は否めない。もしかすると無料でこの本の内容と同じことを教えてるサイトとか、普通にあるかもしれない。
・1「工学的ストーリー創作入門」
2「物理学的ストーリー創作入門」
同じ著者の本なので、まとめて。
工学的とか物理学的っていうワードに惹かれたのが、別に難しい理系な内容ではない。そういうイメージで創作するっていう話。
1は、6つのコア要素というものを取り扱っている。つまり、「コンセプト」「人物」「テーマ」「構成」「シーンの展開」「文体」……最初の4つに大きくページを割いていて、後ろの二つは実際に書く作業にあたり、個々人の能力とかの話になるので全体的に紹介は少ない。特に文体に関してはまあ他の本でも似たようなことは言ってるよな、という感じ。
参考にはなるが、いろいろと言葉の定義とかあって、今後うかつに「構成」とか「テーマ」、「アイディア」って単語は使えないな、という気にさせられる。アイディアっていうのは「しゃべる犬の話」で、それだけでは取るに足らないが、「しゃべる犬を通して人間と動物のかかわりを描く」みたいなのがテーマ……ということなのかな。思い付きで学んだものを例にしてみたのだが。「コンセプト」にまでなった段階で、ようやく作品にしていける、という話。コンセプトとはなんぞや、そこまでかたちにするにはどうすればいいか、ということが丁寧に書かれている。
この本こそまさに「アイディアがあれば、それをかたちにしていくまでの工程を学んで作品をつくる」ことにおいて、有意義な内容だと思う。
ただ……受け取り方は人によるとは思うが、いろいろと他の作家や作品への批判というか皮肉めいた表現が目立つ。パンツァーをあおるようなイントロとか、随所に。いちばん「余計な部分」があると感じた。
「この人の言うとおりにするのはなんか嫌だな」という反感を抱いたりもする。目に余るというか、鼻につくというか。2ではそれが控えめになってるが。
まあ、海外ドラマとかでも平気で実在する政治家への悪口とかジョークはある訳で、それと似た感じのものではある。しかし最初に読んだ時は反発を覚え、ずっと色眼鏡で読んでいた自分である。今回改めて読んで、改めてそれを再確認はしたが、でもそれを除けば言ってることは理にかなってるし、概ね上述の二冊でも似たようなことは書いてる。
2のなかで「正論だから人はイラっとする」みたいなことが書かれているが……やっぱりこのジョークいらないでしょ、と思うのだった。サムいというより、若干の不快感。いちばん不快なのは、そんな内容でもやっぱり理にかなってるし、確実に役立つものになってる、という点かもしれない。
ただ――これは1と2を読んだからかもしれないが、2の方で1の内容についてだいぶわかりやすく要約されている。なので皮肉多めな1より、2だけでじゅうぶんだったかな、とも思うのだった。
それで2の方だが、1が小説全体、アイディアからつくりあげていくことを紹介していたのに対し、こっちはさらに進んで、ストーリーを描いていく方に重点が置かれている。工学的に、建物をつくるように小説を組み上げていく1と、物語に力を持たせて前進していくための方法について書かれた物理学の2、といった具合。別に物理の知識は必要ないので気構えて読む必要はない。
この2は、実際に書いてて、先の展開が思いつかない、展開の案はあるがそこまで繋げるシーンが浮かばない……そういった時の助け、指針になると思われる。1の「シーンの展開」に関してより深い説明がある感じだろうか。
まあ、本の内容としては、「書いてる途中で行き詰まった時の救済」ではなく、「行き詰まらないように書き進められる方法」を説明するものである。1はそもそも「行き詰まらないように設計図をつくる」ような感じ。いずれの本もアウトライン……予め内容を考えて、設計したうえで書く、ということを取り扱った本なので。
今の自分としては、「再入門」と上述の「物理学」の本が良い刺激というか、指針になると思う。これから「賢いヒロインコンテスト」の中編をつくるにあたって、これらを意識してやっていこう、と考えている。
ちなみに、これを書きながら念のため調べてみたところ、カクヨム内に「フィルムアート社」のアカウント、あります。上に挙げた本の試し読みが「フィルムアート社の本【ためし読み】」というタイトルでまとめて投稿されてる様子。他にも知らない本がたくさんありました。
ただ……(こう始まる文章が多々あるな、と思いつつ)……カクヨムで無料公開された、と知った時にも思ったけど、いずれの本も著者は海外の人で、それがどこまで日本の小説に通じるのか――技術的なことはそうだし、ペース配分とかも。若干、疑問ではあった。
具体的には、「何ページから何ページまでのあいだにこれこれをする」みたいな風に書かれているのだが、日本と海外ではそもそも「本」の仕様が違うわけですよ。縦書きと横書きなのはもちろん、日本では「(400字詰め)原稿用紙なん枚」っていうところを、海外は「英単語なんワード内で書け」みたいになったり。そのためおのずとページ数とかもいろいろ異なってくるだろう、と。
それから、「構成」の話は理解したが、具体的にその構成の何が世の人たち、業界人に受けているんだ?というのがいまいち解せない。そういうペースが万人にとって「ちょうどよいストーリー展開」なんだろうか――というのはまあ、ちょっとした余談ではある。
上に書いたページ数の問題……「こう出来るのが理想だよな、でも実際は書いてるなかで文字数増えるし、思うようにいかない」というのが自分の現状で、半ば諦めていたりした。
ただ先日、前のノートで感想を書いた「ダンまち」を読んでてある発見があったのです。
……その前に「構成」の話にちょっと触れるが、いずれの本でも「全体の25パーセント地点」で「プロットポイント1またはインサイティング・インシデントを入れよう」っていう風に書かれている。
これならページ数とか関係ないのだが、でもそもそも「全体の25%とは? 全体図がそもそも見えてないのに……」というのが一年前の自分の現状だった。でも改めて読むと、その全体図を考えるための各書籍だったと気づかされる……いや分かってはいたのだが、いまいち理解できてなかったんでしょう一年前の自分。これも「余計な部分」である。こうしたものをなるべく削って「良い小説にしよう」というのが各書なのだが、「本筋とは関係ない、特に意味のない会話」とかもまた好まれるのがラノベ界隈なのでは?という疑問はさておき――
……で、プロットポイントとかインシデントとはなんぞや、という話だが。
つまり、物語が始まって、それが全体の25%に到達したあたりで、「本格的に物語が動き出す事件」が起こるという話。
2時間の映画なら、25分前後のあたりで。ミステリーなら、殺人事件が発生、死体が発見された……みたいなシーンになる訳です。
実際これらの本を読んでからというもの、映画を観るときにそれを意識していると、始まって20分くらいのところで「何かが起こる」わけですよ。そろそろ何かが起こるなっていうのが感覚的に分かってくるようになった。
この「何か」「事件」っていうのは、主人公にとって取り返しがつかないこと、本格的な物語の始まりを告げるもの。それまでのエピソードは全て、この「何か」が起こるまでの布石、人物や舞台の説明に過ぎない。
日本の映画はあまり観ないので分からないが、洋画はほとんどこの「全体の25%前後」っていうところで何かが起こるようになっておるようです。それがわかりづらいものもあるにはあるが、あとになって振り返るとなんとなく分かる。最初から意識してない作品もあるにはあるんだろうと思う。
で――「ダンまち」を読んでて、何気なくページ数をチェックしてみたところ――約320Pの25%、80P前後のところ。ちょうどそのあたりを読んでたので、意識していると――
何気ないシーン。主人公のベルが初めての酒場に戸惑ってるところ。ロキ・ファミリアのみなさんがやってきてどんちゃん騒ぎをしてるのだが、そこでまあ、いわゆる陰口みたいなものをベルさん聞いてしまわれて、大変ショックを受けるという流れ。
そこから確かに、物語が動き出し始めた、と自分は感じたわけで。
それまでどこかふわふわしていた主人公が、明確に「強くなりたい」と思うきっかけ。これってまさしくプロットポイントってやつでは? と、上述の本などを平行して読んでいた自分は思ったのです。
イラストとかあるのでページ数は前後するかもしれないが、なんにしても25%近辺なのは間違いない。
作者が意識してやったのか、おのずとそうなったのかは確かめようがないが、上述の本で触れられていた「構成術」っていうのは確かに日本の、それもラノベでも通じる要素であると確かに実感した、というエピソード。事実としてダンまちは10周年を迎えるほどの人気作。売れてる作品にはその理由があるのだな、と。
……でもやっぱり、この構成のペース配分がどうして万人に受けるものなのか、っていうのはいまいち掴めていない自分である。この構成、このペースだと飽きられずに読まれる、という黄金律らしいのは頭では分かってるのだが……自分の場合、一度読み始めたらつまらなくても最後まで読む主義なので。
ともあれ、この構成っていうのは世界的に通じるというか、実践されてる、いわゆるテンプレートなのだというのは理解した。
各書のイントロでさんざん触れられてるが、こういうテンプレやルールめいたものがあるのはいかがなものか、小説は自由に書くものだ、みたいな人もいるだろうが、「どうすればいいかなんも分からん」状態になった時の助けになりうるのは確かである。まだ実践してないのであれだが、希望は見えてきた。
それから――この25%がどうのっていう構成の話。
各書でも概ね同じ話がされていて、物語は四幕構成(三幕構成という場合もあるが、その際は二幕が前後編みたいに二分割できる)という理屈――これ、そのもの「起承転結」っていう話なのがちょっとした驚き。
というのも、いずれの本でも「起承転結」なんていう日本語は使われてないのだが、言ってることはこの四字熟語に集約される。
つまり……大まかにだが――
パート1
25%地点までの説明。
25%で事件が起こる。
パート2
事件を承けて(受けて)、主人公のリアクション。状況を理解するフェーズ。
そして50%地点。折り返し。味方だと思ってた相手が実は真の敵だった、みたいな展開を映画などでよく観る。つまり、転へ。
パート3
アクションのフェーズ。転じて、攻勢へ。反転攻勢。これまでやられるだけだった主人公が、それまでに得た情報をもとに反撃へ。
とある番組で某監督の言葉として紹介されてたのだが、「アクション(戦闘とか、動きのあるもの)が始まった時には物語は終わってる」みたいなのがまさにこれ。
パート4
完結。
……ものすごく大雑把にまとめると、起承転結の四字で説明されることに、ものすごい字数を費やしてる本なわけです、上述の4冊。
読み終えてからそれを実感。
50%、折り返しで展開が変わるとか、こうした本を読む前からなんとなく分かっていたりして。わざわざ買って読まなくても良かった――と、うっすら思うところがそういう部分なのだが、日本の小説執筆の指南書などが「起承転結を意識しよう」でまとめてるところを細かく、分かりやすく書いてるという点で、初心者とか行き詰まった人には大いに参考になると思いますです。はい。
4パートの大まかなイメージを書いてみたが、実際はプロットポイント1とか2とか、もっといろいろある。
「物語のひねり方」も「物理学」もそうした部分により特化、フォーカスしてる印象。50%で折り返すのは読者もなんとなく分かっているのだから、そこにどう予想外のひねりを加えるか、そもそもどうやってそんな予想外の展開を考えつくか、みたいな。
これらは「構成」とか「シーンの展開」の話で、他にもテーマだとか登場人物だとか、いずれの本も小説全般についてあれこれ書かれているので、ためし読みとかで目次とか確認できるなら一見してみる価値はあると思われます。けっこう目次で内容の全体像はつかめる、と思う。
別に小説を書くつもりがない人でも、これらを読んで「作者の考え」とかを知ると、普通に物語を楽しむのとは別の面白みが出てくるかもしれない。実際自分も「ダンまち」と「紫骸城」読んでる時そうだったので。歴史上の人物の人生を知ったうえで大河ドラマとか観るみたいな感覚。
……逆に言えば、一読すると面白みが分からないものにも、そういう工夫があるのだな、という発見になる。何を「面白い」と感じるかは人それぞれだが、その視点、価値観に「構成やシーンの展開」という要素が加わるのではないかと思います。
最近だとハリポタの映画を観て(別に、つまらないと思った、という話ではない)、「シリーズ単位での構成」っていうのを実感したところ。「炎のゴブレット」自体もいろいろ見返してみると伏線とか構成がしっかりしてたのだが――本編で出てこないクディッチ要素に触れるだけかと思った序盤でポートキーについて説明してたりとか、いろいろな仕込み、伏線……長くなるので割愛して――
シリーズ全体という目線で俯瞰すると、この回が折り返しになってるなぁ、と。名前を呼んではいけない例のあの人との戦い、という展開にシフトしていく感じ。
この回までに必要な情報とか設定とかは概ね出した、みたいな印象。死の秘宝っていう要素こそ出てくるが、それだってこれまでのエピソードで触れてきたものに伏線がある訳で。一回、原作を通しで読んでみたいところ。
ともあれ、アニメ等で既に内容を知ってる作品でも、だからこそ改めて読み返してみると新しい発見があるかもな、と強く思ったここ最近の話でした。