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HEART BEAT NIGHT 自主企画に参加して。

拙者じゃなくて拙作って書くんだね。
「HEART BEAT NIGHT」
ですが、自主企画に地道に参加していくつか感想を頂きました。

比較すると面白いよ、という理由だけで貼ります。
(本編内の応援コメに記されていないものはなかなか探せませんからね)

・桐生深夜さん
企画名「いろんな作品を読みます!」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884978427

→「いろんな作品の感想を書くだけ」内、8話目


・世楽八九郎さん
企画名「紹介とぅしろー!」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885430321

→「【企画開始】紹介とぅしろー!【企画用】」内、17話目


・オーロラソースさん
企画名「あなたの作品、適当に読んで、適当に褒めます。ジャンルはファンタジーなら何でもいいや。」

https://kakuyomu.jp/users/aurora-sauce/news/1177354054885413018

→近況ノート「オーロラさんが褒める企画だよ。」内、コメント83個目





以上、3本。

感想の視点、感覚、特にスタイルにはそれぞれ個性が伺えました。
主催者の方々は多くのジャンルを読むつもりで企画していると思いますが、評価が悪い時の申し訳なさのせいで、その人に合った話を渡したかったなとつい思ってしまいます。

これから自主企画に参加する予定でしたら、すこし参考になるかもしれません。

13件のコメント

  • 『春はまだ青いか』への素敵なレビューありがとうございます。短編集にくっつける時にコメントや★を移動出来たら良いのですが…。
    やはり私がささっと書いてしまい描き切らなかった風景や深度が見られているようで今回も不思議でした。もし時間をかけて書いていてもそれが良い形で取り出せるという保証はなくて、けれど確かに私がタイトルから何場面か思い付いた時の、一番良いカットが拾われたように思うのです。

    やっと読むことを再開しました。もちろんお礼だから読むのではなくて。私も、もう少々お待ちください。
  • わざわざありがとうございます。
    こちらこそ、素敵な短編を読ませて頂きありがとうございました。
    よろしければ、短編集に入ったあと「アオハル(略?)」の応援コメにレビューを感想としてコピペしましょうかね。

    わたしも不思議でした。断片的な情報で、間隙が多い印象で、そのすき間を本当にちゃんと汲み取れているのか確信がないのに、
    確かになにかを受け取っている感覚が残っていて。

    言葉にするのがつらいような(悪い意味ではなく)、深いところにまで触れるなにかでした。

    こういう体験をするのは、自分の心の向きや感覚に相性のいい文章に出会う時か、水のように無抵抗に体が吸収してしまう文章が編まれている時だと、経験上考えます。

    書かれた文字以上のことは、読んだ人の頭の中にしか存在しませんが、わたしが「アオハル」からイメージしたものはどこまで想像しても「アオハル」という短編の領域を出ないのだろうなぁと思いました。

    面白いですね。

    (追伸。最近、更新できていないから通知を切っていて、書き込み気付くの遅くなりましたー)
  • アオハルですね…! よろしければその際にはぜひ。もう少し短編が並んでからと思われますのでどうぞ一旦忘れて下さい。
    以下少し“問い”が含まれるとっても独り言なコメントになりますので、どうぞ、ご自身の物語を先に。1gでも多くのエネルギーを。


    物語の領域と読み手のところを拾いました。どうにも私はこれを乗り越えたいようです。
    輪になった階段がどこまでも続く有名な錯覚の絵(『ペンローズの階段』という名前なのですね、ちゃんと建物が描いてあるもの1つ)を持ち出します。
    私がこの階段のような物語を書いたとして。

    例えば、アーチの下にできた影の部分に雑草が生えていた。私はこれに気付かなかったし、当然描写することもなかった。長時間錯覚の階段を上り続けた主人公。私は10分後と60分後だけを切り取って、32分時点で彼がつまずいたことを描かなかった。描かなかったところは存在しないのと同じかもしれませんが、物語としては存在したはずの領域。深度か瞬間か、読み手から言われたら確かにあったはずだと納得する領域。
    (そんなことはありませんので失礼をお詫びします)日竜生千様が私の書いた階段に少し間違った解釈をしてしまい、ある点と点を結んだ線を描いた。これはやはり階段の構造上誤った線で、渡れない橋なのですが、その新しい解釈線の書かれた階段の絵をスキャナーが読んだとき、こちらもこちらで解釈をして成立する3Dの模型を作り上げた。3D模型を横から眺めると、最初にはなかった小さな区画が階段の一番高い地点に増えていた。

    このような想像で私は領域を出ようとしてしまいました。認められるかどうかはさておき、です。

    アオハル、物語の裏にある時間は確かに長く重いです。けれどこれはSFの長所をお借りした類です。いくつか私の他の物語に繋がるように仕込んだ言葉もありますが、「実はこうでした。すごいでしょう」な元々作っていただけの領域ですね。どちらも書かれた文字以上のことではあるのですが、上記の雑草/つまずき/3D時の新区画とはタイプが異なる気がします。

    …まとまらなくなってしまいました。もうちょっと勝手に考えてみます。
  • お言葉に甘えて返事が遅くなりました。

    

領域と読み手のお話し興味深く聴きました。

    「領域」難しいですね。
    
書き手としての領域の設定、最初の階段の絵。作者にも見えていない雑草やつまずき、いくつもの因子。

    読み手の領域は書き手が編んだ情報から構成されるもの。書いていないはずの3D。

    

SFの長所という手法とkinomiさんが仕込んだ言葉はいくつもの拡がりを見せてくれました。見たというより(こことあそこはつながっていたのか)とピンと張り詰める糸に気付いたという感覚です。日常の生活の中で思いがけないものにつながりを見つけた時に既視感を覚えるかもしれない程度の、瞬間と深度でした。

    読み手が話の領域を越えても、絵になるくらいの懐の深さがある話がいいなぁと思うので、作業服を着てそこにいながら、いろんな感傷に襲われた「アオハル」は面白かったです。



    描かれていない領域は、観測されない以上は読み手のも書き手のも重なって存在しているのかもしれません。



    新区画を読み手の視点で見出すってえらい大変そうですが、面白いのかな。

    書き手の領域しか決められないと思ってる私は、この椅子を木製だって書かないけど、読んだ人の頭ん中にその像が結ばれるように書くのを目標としています。
  • 埃が被るくらいでも首を長くせずにお待ちいたします。お返事ありがとうございます。
    おかげさまで少し考えることができて、半歩進んだような気がしております。
    (お返事のコメント、何故かケイタイだと字下げになって、ぱそこんだと字下げにならないですね。不思議です。)

    またもや独り言になりそうですので、どうかご自身に。返信もよほどエネルギーが有り余る時でなければ大丈夫です。
    と書きましたが先に一つだけお聞かせください、今私が日竜生千様の物語を一つ読むとしたら、どちらの物語を選ばれますか。


    以下、独り言です。本当に書くことで精算する類のものです。

    >読み手が話の領域を越えても、絵になるくらいの懐の深さ
    灰都市と時間の波がまた思い返されます。“深さ”の意味を取り違えないようにしたいですね。まだ言葉を飲み込めないです。


    描かれていない領域は確かに書き手/読み手で重なり得るようで、意図して組み立てられるかと言えば多分『NO』だと私は思います。ですが、

    >書かないけど、読んだ人の頭ん中にその像が結ばれるように

    こちらは美しい可能性として、書き手の描ける透明な軌跡として存在すると思います。
    意図して組めない方の描かれていない領域とは、そうですねえ、“影絵”の一歩先。一層上。階段の影が綺麗なお城の形になるように、あるいは手の影が白鳥の形になるように組んで、それはやはり書かれずとも(書き手には)観測された領域です。前述の“スキャナ”は、書き手とは、ともすれば第一次読み手とは無関係に存在して、影を持った階段が遠目に誰かの顔になったことを、白鳥を携えた手の持ち主が得意げに微笑んで見せた俯瞰を、やはり観測するのです。SFチックですが何か誤魔化しているような言葉の並び、遊びですね。
    もちろん大元には双方の世界だから、ということがあります。

    さて、そうしてSFを使いやすいように使っていると、例えば目の前で背もたれに触った椅子が薄れていきます。

    少し考えたことで、以前SF視点がどうとご指摘いただいたことを思い出しました。私の欠点の一つにモノ(時にはヒト)の描写が疎かになることがあります。これの“何故か”が少し見えたのです。
    最近の私は先述の階段をいくつか集めて板を乗せて、その上に階段を立てて、と世界観を組み立てようとしています。当然隙間はできて、階段一つ一つの造りは甘くなってしまい、どんな質感だったのか、誰が上って何が隠れて、を省いてしまいます。へんな例えですが、そうやってできた構造を上からぺしゃっと潰すとバウムクーヘンの断面のようにそれなりの密度になります。(本物のバウムクーヘンは製法も密度も全然違いますね、ごめんなさい世界のパティシエ方。)仮想箱で言えば仮想箱を100個作る。外の外を描くことでアンバランスに見えた3つ目の箱が未来の無数の主人公の主観によって、均される。でもこれは途方もない話です。それこそ、私には成し得ないような。
    登場人物に視点を重ねることでどうにかスカスカになることを補完していたような気さえします。この視点重ねが別軸の土台で偶然持ち合わせていなかったら、どうなっていたことか。綺麗に言えば私の図書館、確かにそうですが、どう脆いのかも考える必要がありそうです。

    …と半歩進めました!
  • なるほど。

    いやわかってるのか、と言われればどうなのか。でもなんとなく、そういう構造だったのですね、と思いました。
    またこの返事は日をあらためていたします。

    ご質問の答えですが、

    「召喚術士と図書館の魔女」
    です。

    まだ改稿が中途半端で、1話ごとの文量がバラついてますし、連載中ですが、

    今はこれがせいいっぱいの実力で、お見せできる一番新しいものです。
    カクヨムで影響受けたり、勉強になったことや、取り戻せたものを、投げ込み続けています。

    それにkinomiさんと同じく「あな紹」に参加してる作品なので、感想を読んでたら気になるのでは?と思いました。

    (これが完結したら、もういっこの方は下げる予定ですが、当分先のことです。
    こちらは今は書けないようなものがいっぱい詰まってますが、今のわたしの書き方からすると、描写が少ないのでちょっと物足りなく、その分3年間分がぎゅぎゅっと押し込まれてます)

    主人公が違うと、話が変わってきてしまうので、そのへん完全に好みですが、kinomiさんは「召喚術士〜」のバールかな、と思います。


    ちょっと変な話をしますが、男性キャラを書くのが最初は苦手で、友人に書かせるほどお手上げでした。
    「性別ではなく、それぞれ個性ある人間だと思えば?」アドバイスを受け頭ではわかっていても、感情移入しやすい主人公にはできず。
    主人公として書けた人物も稀有な例でいましたが、たしかに性別ではないもので捉えていました。

    克服すべく荒療治でモデルを立てたんです。ラジオをよく聴いていたので、口と態度の悪いパーソナリティ、身近にいる父、父に似てかっこつけな姉妹、動かす時はその人たちなら、どうするか、どう考えるか、そうやって背伸びと無理をして獲得したのが、もういっこの話の主人公です。
    書いて書いて書いていくらでも書けるようになりましたが、どこか自分じゃない歯の浮くような感じが、今では楽しいです。
    (でももうこんな作り方は絶対にしない)

    いちいちモデルに脳内でおうかがいを立てるのが大変で、苦労し、ようやく覚悟がついたのか、主人公を男にする際「これは自分だ」と思うことにしたら、腑に落ちて書けるようになりました。以来、どこかの時点で一回だけ完全にそう思うようにしてます。(一回で十分だ)
    最初にそう開き直って作ったのが、バールです。

    なので、今掲載してる二つの話の大きな違いは、実はここです。

    kinomiさまには(いい意味で)がんばって書いてない主人公をお勧めするしだいです。



    お口に合うかわからない、異世界ものなので、無理しないていどに、よろしくお願いいたします。
  • ご自愛ください…! なるべく短く。
    回答ありがとうございます、そちらから。
    自分で読む前には他の方の感想やコメントをなるべく読まないようにしていますので、読んだ後に見るのが楽しみです。

    そのように苦心…とは微妙に違うのかも知れませんが、エネルギーを使って生み出された主人公もいるのですね。キャラクターとしての最低ラインと言うのか、作家の方々が“一人分”として基準にするキャラクターの深さ重さがあるとして、自分が最初に思い描けない主人公たちはそれくらいの熱量がいるものなのかもしれません。すんなり頭の中にたくさん住民を歩かせる方もいるでしょうけれど、エネルギーを込めた登場人物だからこそハイヒールが綺麗な足音を作るような。

    ご指摘の通り私は「自分だ」の方で、仮想箱の彼女は私と考え方の摩擦が少ないように動いていました。

    >(いい意味で)がんばって書いてない主人公
    とてもしっくりきます。“作者の気持ちを~”ではありませんが、どんな世界を見ているのかな、とその方の物語を読むのが最初です。拝読しないことには分かりませんし、技術で埋められるところとも思います、多分頑張って書いた主人公には非常に微細なノイズが入ると思うのです。眼鏡をかけた視界、コンタクトレンズの視界、完全透明ガラスの視界。今の私では分かりませんが、ピコピコしていた頃の私なら感じ取って見逃さなかったかもしれません。
    私も最初は異世界でした(?)、それでは箱を開けます。
  • ご心配おかけしましてすみません。
    お見舞いありがとうございます。大量に寝てまったーり過ごしています。

    前々回のもうひとつの返信です。

    以前はアプリ使用だったのですが、先頭字下げになっていたかすっかり忘れてました。同じ通知がHPと2通来るので引っこ抜いて現在はiPhoneでHPを覗いてます。アプリの方が更新情報はリアルタイムで確認できるんですが。

    さて。
    現実的かは問題とせずスキャンというものが存在するのは、SFの醍醐味ですね。
    ちょっと違うかもしれませんが、以前NHKの宇宙系の番組で、ポアンカレ予想やら超ひも理論やらを観て、数学ってエキサイティングだと唸りました。
    この面白さを身近な人に伝えようとした時に、これ説明できても人を感動させるポイントはどこだろう? という壁を自覚しました。
    ポアンカレ予想が立証されるまでの軌跡も「おお」なのですが、宇宙の形が予測できるという着想がすごいと思うんです、です、が……ただ喋っても欠片も伝わる感触がしない。相手にもよります。個人的に一番手強い相手は自分の子どもが知恵の輪やジグソーパズルをやっていると顔をしかめる母でした。
    感性は素直なのに、頭を使って受け取るのはイヤという手合い。でも理解できる人に伝えるよりも、ぜんぜん興味ないという相手に伝えることにやりがいを感じてしまいます。


    わたしの話を書く時の前提みたいな話しになってしまいました。
    無意識に想定読者としているところがあり、いつも無意識に絶対読まないだろう人に向けて考えてるところがあります。是非はわかりませんが、癖のようものです。


    SFもまた机上の論理のようなところがあると思うのですが、みなこの世界があって、その外側を意識するという出発点があるせいか、逆に現実を意識させられることが多いです。

    そうした構造的なことだけでなく、kinomiさんの「仮想箱」の感想で遠藤さんが〝たーのしー〟と言ってたように、読む人が抱く言葉からの印象も伝える力だとふと思い出しました。
    いつも話の話ばかりで、文字についての考えを甘いままにしているので、大事にしたいところだなぁとこれを記しながら思います。
    (今のところ余裕はないので次回作あたりでがんばろう)

    作った文章を読んで誰がどう感じるのか、そこまで考えるのも技術かもしれませんが、計算し尽くすよりやはりノイズが入らないためにも、書き手がその文章の世界に浮遊しているのが素敵かなと思います。



    そういえば「sepia color」は異世界ファンタジーになっていますね。実は随分前に途中まで読んだのですが断念しています。
    スチームパンクなどを経由したらまたそのうち。
  • 先に、イメージが消えないうちに。やっと門をたたきまして「オネエさん」の気配がする直前におります。

    温度の通った家族たちの一場面、“大勢”の呼吸が感じ取れました。食器と水を扱う音、海風と、それに吹かれて低くしかし緑濃く茂ったであろう草木と。毎日の光景という感じで忙しなく置手紙の向こうに走り去っていきましたが、名残惜しい密度です。
    旅路の途中で崖の下に見た飛行庭園の光景はきっと裏表紙まで忘れないです。自然が作った景色の雄大さと心に広がった期待が重なって、美しい景色でした。細かな虹の群れも船出を祝うカモメのようです。ファンタジーなので大きな怪物や強力な魔法で何かされないか心配になるほどです。とっても綺麗です。ファンタジーはこうでないと。
    いよいよ魔法大学の敷地に入って私の方が落ち着いていないですね。バールさんは歳相応以上の経験を積んでいるのか驚くというよりも自分の持っているものを頼りに削って食べていくようで、一項目“並”じゃないことを彼自身より知っているこちらは今のところ安心して見ていられます。いられますが、広がった景色の広そうなこと深そうなこと。そうな、ではなく実際に広くて深くて濃いのだと思います。楽しみです。

    ひとつ、私には世界の地図が描けませんでした。今でも描けそうにないのです。スモールスタート、ともすればそのまま、ですね。『sepia colors』は私がもう少し熱を加えるまでは読んでもらうに値しない気がしてきました。何故載せているのかと言われてしまいそうですが、少なくとも筆を置いているのです。

    応援コメントも★も使うようになって、あとから読む方が先に応援コメントや★を読んだらどうしようと考え始めましたが、ひとまずこちらへ、見えた光景を。
  • kinomiさま

    お返事遅くなりました。
    お読みくださり、感想までいただきありがとうございます。

    文字から美しい景色を描かれたようで、よかったです。
    わたしが登場人物視点でちらっと見たものより、きれいな画のように感じました。

    ただ書いた家族のシーンはわたし自身が過ごしている1分1秒と同じ時間の流れで書きました。このペースで1話まるまる使うことはないので、わたしにとってはこのシーンが一番懐かしく、主人公の精神的な基盤のペースを思い出す支えになります。

    以外と魔法の知識のある上級生の方がデモに感嘆していて、素人であるバールはまだ言葉も聞き取れず、名画に群がる人のような感動するより移動に忙しい具合になってました。
    少し勉強して身に迫るほど近くで見れば実感が変わってくると思いますが、

    それにしてもあとで誰が修復するんだろうとか、普通とちょっとずれてるとこを見ているだろうなとは思います。一般人の設定のはずで、一般の範囲の想像力ではあるのですが、ある意味欲望に忠実なので、時と場所を間違えます。
    地味でイタい人というのもひとつ持ち味になってます、というフォローをしておきます。

    書くほどに書くべきものははっきりしていくのですが、なんとなく書くほどに読者の期待をくつがえしていくような気がします。
    当然あるだろう活躍する瞬間や、主人公の持ってる経験や知識が役に立つ局面や、魔力の特性が功を奏するシーン、
    わたしには周りの人物がにぎやかに過ぎて、主人公のあたりが一番無風で安全、わるく言うと何事もなしに見えるので、そうした当たり前に求められそうな役割は「できない」んだろうなと思ってまして、実感として。

    では何を書くのか。

    できない人がやろうとするところ。

    それはうっすらと後ろに引いた線で、魔法使いになることがひたすら描かれます。
    色んな景色を観に行きたいと思います。

    なま温かい目で見守っていただけると、ありがたいです。




    なかなか応援とか☆レビューとか正解がなくて、考えてしまうと難しいですね。

    応援は何度もやりとりすることができないので、基本的に言いっぱなしになることを考慮し、呟くことが多いですが、それなら書かなくてもいいかなと思ったり。
    がっつり書くには、言いっぱなしなところが敷居が高く。

    わたしは応援やレビューを作品のあらすじ感覚で先に読んだりしますが、
    印象的だったのが以前講評させてもらった「池もふ」の、恋愛ものにもやもやする読者が山のようなコメントを各回に残していて、ネタバレもかくやでしたが、リアルな感情が伝わって来て面白く拝見しました。陽野さんは恋愛名手なだけあり、そうしたコメントのひとつひとつを丁寧に拾い上げ、返信の中に含まれるお気遣いがすごかったです。

    「シックスセンス」(古っ)ばりのどんでん返しがある作品ではないので、作中のネタを自由に書いていただいて大丈夫ですよ。
    もちろんこちらのノートでも構いません。
    何度もやりとりできる点、近況ノートは便利ですね。
  • 水底に沈んで目がやられて三様の幻獣を見た後ですが、変に着飾る余力ができる前に。
    いやはや“広くて深くて濃い”でした。ごちそうさまでした。(?)

    お返事からにしますと、冒頭の家族のシーンの速度について少し考えています。私の感じた時間の速度は、ぎゅっと詰めたものを“第一話”に踏み込むエネルギーで読んだから駆け足に感じたのだと思います。飛び飛びに描かれてると思ったわけではなく、濃密度が故に一文字の上に乗る世界が高容量になっている感じです。“第一話”であることや一話辺りの文字数どうこうのお話もあるので、読み手の歩幅まで考えるとメモを許可してくださいどころではなくなりそうですね…。

    バールさんのことや描くもののお話に。
    バールさんの身のこなしや身の置き方はこの感じでとてもしっくりきています。私は自分の魔法世界から一度手を放して、(色々と敵に回してしまいそうですが、)『私とあなたが魔王でレベル100なのに○○で××~』のような作品群を手に取れなくなってそのままの状態だったので『召喚術士と図書館の魔女』の中でバールさんが再会させてくれたあらゆるものが幸運な距離感でした。突然最強である必要も劇的な登場も少なくとも今の私には「むぅ」となってしまったはずです。芯や軸や考えがあって適度に驚いて友だちになろうとして、温度のある人間だからこそ彼を通して初めて(私はもう一度)魔法の欠片を手に取ろうという気になります。
    彼が魔法を覚えていった後の景色は本当に楽しみです。隣で誰かが見上げる空が曇っていたとして、それが星空であるはずで。その時雲に穴を開けて丸い星空をプレゼントする。使える力が増えれば選択肢が増えて、見える景色が変わって。それを見越した師匠は最初から大切なことを言っていましたが、できない、とも聞こえた気がしますが、果たして…。見守ります。

    ネタばれも、とのことですがレビューは案の定とこどころぼかして言葉を選んでしまいました。コメントも含めてそんな楽しみ方があるのは面白いです。場所と機能の良いところ。ちらりと表紙だけを拝見してコメント数に驚いたのを思い出しましたが、なるほど作者様の真摯なお人柄も影響していたのですね。ふむー…。
  • 前回わたしが書いた返事の
    >ただ書いた家族のシーン
    が、「ただただ」の方ではなく、「ただし」に聞こえていたようで、申し訳ないです。紛らわしいかなと思いながら修正しなかったのが、ダメでしたね。すみませんでした。
    1話の空気感がリアルに受け取られていることを嬉しく思い、いろいろ説明してしまいました。
    名残惜しいと言って頂けてありがたいです。わたしも故郷とはそういうものだなという感慨です。

    レビューだけでなく、こちらにまで感想ありがとうございます。

    地味で特徴があるようなないような主人公が、読み手に受け入れられるのか、すごく微妙だと思っているので、しっくりと来ているというご意見を貴重だと思いながら伺いました。
    (遠藤さんは「ウザかわいい」と言ってました)
    読む人の邪魔をせず、ちゃんとナビゲーターになっているのなら、
    ひとまず安心です。


    ゲームシステムを踏襲したような世界観が席巻する前のファンタジー小説を読み、ゲーム機を持っていないせいで、そうした世界観とはちょっと縁遠いです。
    この間図書館で見かけるまで「図書館の魔女」という本があることを知らなかったのですが、パラ見したらしっかりと描写の書き込まれた児童文学のような趣でした。(あの分厚さで上中下巻だと大人向け幻想小説かもしれません)

    自分は児童文学でもないし、ラノベというには王道でもないし、何を書いてるのかなあ、と時々思います。
  • こちらから。いえいえ私の勘違いでした、「ただ、」で区切ってあるように見えてしまったようです…。

    >『私とあなたが魔王でレベル100なのに○○で××~』のような作品群を手に取れなくなって

    ここも書き方が微妙に分かりにくくなっていますが、私も書き物としての流行っているあの類の作品を読んでいないのです。ですので実はあれこれ言う資格は無いと思っております、一旦もごもご。
    けれども主人公の“しっくりくる”理由は一つ見つかりました、私が小さな多感な頃に手に取ったいわゆるゲームの主人公がちゃんと個があって喋るキャラクターだったのです。
    いわゆるポケモンですと「はい」「いいえ」だけしか喋れなかったり、「あなたもそう思うのね!」と勝手に解釈されて話が進んで行きます。が、その作品の主人公はお金持ちの街に行ったときに「どうして同じ人間なのに差別するの、そういうのって意味ないよね」とちゃんと言葉を返していました。その姿と重なったというのも一つあるのかもしれません。
    歩調についても書かせていただきましたが、例えば海を呼んだ後の乾いた砂が場面を切り替えると残っています。マクシー師匠は次の詠唱に入りバールさんは安全地帯を探しますが、私はそっと自分でも砂を一握り触って確かめようとするような場面がありました。何でもない火の粉が一粒消えるまでの間もそうです。彼は彼で確かめる時は確かめる。これはきっと主人公と重なっていても、天から傍観でも出てこない瞬間だと思うのです。という感じが“しっくり”の例ですが…伝えるのが難しいですね…。

    名前が半分でも重なった実在の本があるとは、もし私が見つけた時には変な声が出そうです。きっと何かの縁です。

    “読者あっての”とは言いますし痛感していますが、最後には物語の方から教えてくれるというのが私の理論推測です。それはそれだけに頼るには朧げで儚いですが、一文字進むと2byteだけ階段が伸びます。売れた作品はもちろん尊敬するべきですし積み重ね故ですが、最初から売れようと思って描く世界はもしかしたら綺麗な色が出せなくて、そうでない方が描いた世界の方が…なんて。時々自分に言い聞かせていたような。
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