『現在「ルール・オブ・ファンタジー」は、一部システムのバグによる緊急メンテナンスのため、接続できません。確認が終了したフィールドから再開しますので、しばらくお待ちください』
*
事務所に入るなり、回転椅子になだれ込んだ柊馬は、よれた黒スーツに赤いネクタイとついでにカラスアゲハみたいに緑がかった天パの黒髪を振って、勢いよくキャスターに引きずられた。
新聞に目を落とすホルスタインに向かって回転のかかった椅子が突進するも、慣性の法則は限界。ぎりぎり届かない。
肩に垂れる銀糸のような髪も深く青い目も凍結しているのか、真横で起きた一瞬の危機はなかったことにされた。
タイを好まない博士は、スーツの下はハイネックとどこまでもマイペースでかえって余裕があるようにも見える。
そんな相方の丁寧な無関心にひたっているのは悪い気分ではなかったが、下マツゲが目立つ柊馬の大きな目には、思い出したくもない記憶が次々とよぎった。
血のような深紅の瞳に浮かんだのは、決意のような断念。
「ダメだ……終わんねぇ。明日っからしばらく帰れねーかも」
「おつかれ」
「……お前さぁ、来るなら来るって言えよ」
「どこに」
「ゲームに」
「柊馬、味方を欺くにはまず味方から、」
「あざむいてんじゃねーよ、意味わかんねぇ。何情報で来たわけ、お前」
「何を言う。あのゲームについて、アカウントの作成からアクターの作り方、物語世界の詳細までオレに言って聞かせたのはお前だ。さらに、ぴあのくんと二人で昼休みにスプーンゲイルを踏破して、夜は星の都に行くって言ってたじゃないか」
「たしかに言った」
「じゃあ見学に行こうと思って」
「は? なによお前、純粋に遊びに来たの」
「試しにアカウント作ってみたら、すんなりログインできたよ。武器の扱いは最初にひと通り試しておいてよかったな」
「ど素人じゃねぇか」
「そうだな。刀をよこすなんて、よくも最後にオレを信じられたものだ」
「ぅぅうううぉおおあああおまっ」
「コーヒー入りました〜。ど、どうしたんですか先輩っ、帰ってたなら言ってくれないと、コーヒー足りないじゃないですか、またホルスタイン博士にイジメられてるんですか?」
「こんなヤツに負かされてたまるかっ」
「じゃあがんばってください、コーヒーもう一つ淹れてきますね」
「最近、動じなくなったよな、ぴあのくん」
コーヒーが揃うまでの間、先輩たちは舌戦をくり拡げていました。
「ウッシーって、ホルスタイン博士だったんですね」
「あれ……なんか、ぴあのくん怒ってる?」
「最後まで何が起きているのかわかってなかったのは、私だけってことですよね。ゲームに付き合ってくれるふりして捜査してたなんて、水くさいです!」
「お前、言わなくても付いてきたろ、説明しても同じだよな? え? 巻き込まれないように『落ちろ』って言われて引き下がるかよ?」
「それはっ、もちろん付いていきます!」
「おまえなぁっ。誰も頼んでねーの、そもそもリクにだって、オレは今回の件はしゃべってない!」
「え……。好きで女装してたんスか、先輩」
「どうせなら、自分が一生経験しないようなものになろうと思ってね」
「あの、あのセリフを一人で端末の前でしゃべってたんですか?」
「マイクロフォンは持っていなかったから、すべて打ち込み音声だよ」
「それでも十分、引くわ」
「そもそもお前がぴあのくんを祭の時点で説得し、解散していればよかったんだ」
「ありゃ、高速回し蹴りのせいだっ、あれさえなきゃなァ」
「つるぺたて言うからいけないんです、ユーザーが同じ外見とは限らないんですからね!?」
「ぴあのくん、謝るから、もうその話題から離れてくれないか?」
「ハッカーってゲームオタク多いんだよ、だから、知り合いに手短にゲーム教えてくれって頼んだんだ」
「えぇっ、柊馬先輩って――――マメっ」
「うるっせえ、その反応が気に食わねぇ。だから、言いたくなかったのによ」
「お前の体を狙ってる、両性別種のリーデンくんだろ?」
「どーゆーことですか?」
「深く聞くな。黙ってろ」
「それで?」
「あいつゲーム好きじゃなかったんだよ。もちろんそこは餅屋だ、システムと攻略は学んだ。ところが、偽装アカウントの通信記録に興味があるか聞かれてな」
「なるほど。リアルの出来事とつながったんだな?」
「ただ、次の取引はリーデン(モグラ)の読み頼りだったし、うちの情報部がもっと確実につかんでる可能性もあった。リーデンのヤツがご丁寧に追跡用と破壊用のプログラムを用意してなきゃ行かなかったぜ」
「まるで愉快犯だな、彼女?……は、ゲームに恨みでもあるのか?」
「自分の手は汚さず、プログラムを試したかっただけなんだろ。再生ワクチンも作ってたから、おかしなヤツだ」
「そう言えば……先輩が留守の間に、12支部と、中央局と、あと情報部と、薬種取締官から、何度も問い合わせが来てました。折り返してください」
「いやだ」
「なんで、先輩だってバレてるんスかね」
「だって、オレそこの通信室の大画面でルーファンやってたもん」
「はい? え、でも、外部接続できませんよね?」
「お前、ハッカーの手を借りていじったのか。バレる以前の問題だ、内部に侵入されるぞ!?」
「ヤベーな、オレその連絡、怒られるだけだからぜってぇ出ねーわ」
「わぁああああっこの事務所つぶれちゃうぅぅ」
「今すぐ、カラダで貸し付けて来い」
「だまって聞いてりゃおまえら、ゲームだって世の中の一部だろ、ルール破ったくらいでピーピーと! たまにゃ規律より大事なもんがあんだろーが、オレの判断の何がわるいっ」
「代償が大きすぎるぞ」
「なんで先輩たちはっ、普通にゲームできないんですかーっ!!」
「えっ、オレも?」
「用意されたストーリーとかシステムを楽しむんですよ!?」
「自分の命を天秤にかけるスリルの方がオレは好き」
「問題発言だな。スポーツでもボードゲームでも、ルールを覚えた時点で自分でやるのはおっくうだね」
「うぅ、私が誘ったからこんなことに?」
「観戦するのは好きだよ」
「そんなことねーぞ、ぴあの。大画面の大迫力、よかったぜ!」
「む、むっ、無責任だから!!」
*
某日、仮想オンラインゲーム『ルール・オブ・ファンタジー』内の、ストーリーの中心を担う聖域において、不正アクセスによるクラッシュが発生。
運営はその対処に追われる一方で、「退治局」からこの件に関する開示請求を受け、一時、『ルーファン』は全面的な運用停止を余儀なくされるが、その後〝星の都〟フィールド以外は利用を再開している。
それから。
褪せた金髪とたくましい褐色の肌の2メートル強の肉体が、ちょこんと階段に座る春のような珊瑚色の髪をした少女の、黒い制服の足元に影を伸ばした。
「ぴあのちゃん、そんなところで何してるの?」
「あ、ディビットさん、いらっしゃい。風が気持ちよくて……ゲームしてました」
「リクと柊馬は中にいるかしら?」
「リク先輩も柊馬先輩も謹慎中です」
「あんたたち、いつも謹慎中みたいなもんじゃない」
「そうなんですけど」
「かわいいキャラね、オンラインゲーム?」
「はい。ようやく『ルール・オブ・ファンタジー』が全面配信されるようになったんです。――ディビットさんもゲームするんですか?」
「情報のツールとして使えるしね。でも、わざわざそのために好きでもないファンタジーゲームにまで手は出さないわ。趣味と実益をかねて、ガンファイトとミリタリー系をちょこっとね」
「ゲームをやるのは面白いからですか、退屈だからですか?」
「さあ、どう思う?」
「――なつかしさ」
「そうかもしれないけど、結局、一人で戦ってるようでそうではないし、運命の糸はもっとずっと前の情報戦が握ってたり、誰も虫ケラのように死んでいくわけではないのよ、そう見えても。――でもプレイしていると、手から離れてもふとした合い間に考えちゃうじゃない?」
「反芻したり、次は何に挑もうかとか考えます」
「深刻なこと考えないで済むのよね。システムをもっと楽しめたら言うことないんだけど」
「……センパイたちともやってみたんですけど、あんまり向いてないみたいです」
「そりゃそうでしょ。柊馬なんてシステムに真っ先に文句言いそうじゃない。そういえば……ぴあのちゃんのやってるゲームって、この前炎上してたヤツよね、不正行為を働いていたプレイヤーを、本来同士討ちできないはずなのに、他のプレイヤーが斬ったとか、プログラムを操作したハッカーの仕業だとか」
「さすが詳しいですね」
「リクと柊馬はちゃんと謹慎してるんでしょうね?」
「二人とも局の備品でゲームしたのがバレて、お叱りを受けたんですけど、違法取引と密売ルートは押さえたので、ぎりぎりセーフというか……」
「何をやっているのよ」
「リク先輩はコントローラーを拾った場所にガラクタ漁りに……、柊馬センパイはお世話になったハッカーさんに貯まったツケをカラダで支払うって、」
「ぬぅあんですってええっ!? ムキーッ、どこのどいつよその女ギツネはっ!」
「あれから、お引っ越し業者と化して帰って来ないんです」
「おひっこし!? 泊まりでっ? もうっ、もうっ、ぴあのちゃんそれでいいの!?」
「裏をかかれたり、ハッキングされなかったのは――そういう柊馬先輩の義理堅さのせいかなあって思うんです」
「まぁね……」
「生きてくには妄想っていう夢が必要だって、センパイは言ってました」
『ルーファンはオレたちの世界の都市伝説を集めたようなストーリーだ。都市民は郊外の無法地帯を抜けて、おいそれと大陸には渡れねーし、大陸を越えて未開の地にも、極地の光る海にも、不夜城にも行けねえ。だが、存在は知ってるし、都市でさえ犯罪率が高いってのに、生存さえ困難な見果てぬ土地を冒険する夢を見る』
『そこがルール・オブ・ファンタジーの売りか』
『だから、仮想依存症から引き起こされる疾患以外に、死の危険があったらダメだ。安全というか〝形ある命〟の保証が第一なわけ。プレイヤーは同じプレイヤーを攻撃できねーしな、『ツッコミ』機能はあるけど』
『つっこまれても、ダメージはないんだよな?』
『ないよ。外見が変になるだけだ。必ず発言に対して行われる、黙ってる相手には振るえねーな、プレイヤーに対して五回までだったか。やられるほどひどくなるから、ハロウィンを狙ってどっかの村で『ツッコミ祭』があるぜ、外見をぐちゃぐちゃにして騒ぐらしい』
『でも、一度でも間違えて機能を『ツッコミ』にし忘れると、攻撃と見なされて即時アクターを没収されちゃいますよね』
『ケアレスミスには容赦ねーからな、眠くてうっかりすっと何もかも失う。ツッコミならログアウトすれば回数も外見も戻るし、機能として成立しても不当なツッコミだったと訴えれば、調査が入る』
『少しばかばかしくないか?』
『三権分立じゃなく、摘発者も裁定者も同じって考えりゃ、シンプルな方だろうよ』
『現実と比べられたら、そう思うしかないな』
『現実なら、その分、ルールを無視して勝手に動けるだろ?』
『見つからなければな』
『自分次第だ、その方が面白い』
『その結果がこれですか!? ルール通り謹慎になってもっ?』
『思い出させんなよ、そゆことー』
『運がわるかったんだよ』
『リク先輩までっっ』
「ルールと折り合いを付けてくしかないのかもね」
「ルールのなかで先輩たちはなんの打ち合わせもなく、呼吸が一致してました」
「男どもってよくわからないわよね」
『オレがしようとしてたこと先にやるから、知り合いかと思うだろ』
『お前の言動を見ていればだいたい予測はつく』
「そうですね。柊馬先輩が最後に叫んでた音声だけ流出しちゃって、『仕置人リークさん』て噂になってますけど」
「片刃刀のカウガール?」
「なかなかエキセントリックです」
「でも、ぴあのちゃんはそんな先輩たちが好きなのね」
「はい!」
「まったく、あいつらときたら……。飛び跳ねてて元気いっぱいね、ぴあのちゃんのキャラ」
「〝ハイパースピードウサコ〟って名前にしました」
「仲間はいるの?」
「オンライン上の友達ができました」
「へえ、あらン、でも性別……」
「はい。――ハイパースピードウサコは男の子です!」
END