色々考えてしまうんです。
特に今年は、またハードなことがあって。
「お盆」って、皆さんにとってはどんな位置付けですか?
私は古い文化が色濃く残る地域で育ちました。
故郷のお盆は、お正月並みの一大行事です。
地域住民ほぼ全員が海に集まる、精霊流しもあります。
ご先祖様の霊を迎えるための巨大な精霊棚の準備が大変だし、見送るのも、その後の片付けも大変(肉体労働)。
故郷を離れて、初めてお盆に実家に帰らない年、思いました。
(ひょっとして私が居ないと、お盆の人手足りないのでは…)
特に初盆の家は立派な精霊船を用意するので、金銭的にも負担が重くのしかかります。
初盆の家の精霊船は、地域の人々に見守られて海に流され(浮かべられ)ます。
今は、少子化と物価高で、慣例通りの供養ができる家も減っているかもしれませんが…
故郷では割と厳しく、『お盆はご先祖様の供養のためのお休み(遊びに行くなんて不謹慎な!)』とされていたので、都会に出て、「お盆は普通遊ぶでしょ!」という価値観に触れてかなりのカルチャーショックを受けました。
日頃から祖母に連れられてお寺参りもしてましたが、お盆は年に一度、『ご先祖様』と『死』について静かに考える期間でした。
お盆は遊ぶ、という新時代の文化を批判するつもりはありません(私も今や、すっかりその文化に染まって遊んでます)。
けれど、『亡くなった人の供養』とか、『死について考えさせられる時間』が無い人々や、それらが無い文化で育つ子供達は、一体どんな死生観を持つんだろうな、と思います。
突然、誰かの『死』を突きつけられて、どうすることもできず動けなくなってしまうんじゃないかな。
人間が宗教を生み出したのは、身近な人の死や自分の死の恐怖を克服するためだと思うんですよね。
精霊船も、仏教色でアレンジされてはいたけど、根っこはアニミズムとかに近いものじゃないかな。
何千年も昔から、故郷の地域は海に対して畏怖と畏敬の念があって。
人智を超えた存在として、魂をこの世に送り出し、そして、魂が還る場所として海が崇められていたんじゃないかと思います。
恐れ、崇め、慕い、感謝し、魂の循環をしきたりを通して感じ。
そうして、『死』に慣れ、『死』を乗り越えてきた。
でも、その文化がアニミズムごと丸っと消えかけている現代。
新しい時代の、『死』との向き合い方を考えなければいけないなと思います。
もう出すことができない、祖母への手紙を書きました。楽しくない、ただ重いだけの内容なので、気をつけてお読みください。
https://kakuyomu.jp/works/2912051601195945962