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小説道場の功罪

西野ゆうさんから許可をもらい、こちらの記事から一部を引用します~。
https://kakuyomu.jp/works/16816927863040174149/episodes/16818093074606175190
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 なぜ説明ではなく言い訳になるのかは「粗探ししてくる読者に『こういう理由だと合理性があるでしょ?』」と、筆者が意識して書いているからです。
 物語を面白くするため、没入させるため、ではなく。言い訳のために。

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此処まで。詳しくは元記事を。
その言い訳の箇所を西野さんは削除されたという内容です。


ケチつけに命をかけてる読者だと、粗さがしをすることが自分を賢くみせると本気で想っていますから、「ここはどうなってるんですかぁ~」「設定はあるんですか~」と細かい部分にいちいち突っ込んできます。
それに応えてひたすら説明していった結果どうなったのかというのが、前にも近況ノートで触れた(こればっかり云ってる気がする)、こちらです。

https://togetter.com/li/2219843


今の風潮として「読者が誤解なく理解する為に」という名目で、やたらと細かい説明や描写を持ち上げがちなんですが、昔はこれは全く逆で、


(説明的)文章は不親切なほうがいい


とされていたのです。
わたしもそう想います。
描写するのが好きなので、とてもそうは想えないようなことになっていますけど、これでも削ってます。

どれほど言葉を尽くして説明したところで、読者の脳内と作者の脳内に浮かんでいるものには、差があります。
象を見たことがない人に、「ゾウさんとは」と象を文章でいくら説明してみても、絵に描かせてみたら、象……? になってしまうのと同じです。


わずかな描写によって漠然と浮き彫りになるものを、読み手が想像するほうがいい。

誰かが登場してくるたびに、外観的特徴から家族構成や趣味なんかを書き連ねたり、「これはこういう合理性のある行動だったんですよ」と本文中で説明するのを、「さすがは設定をちゃんと作っていますね。この人の書く小説には厚みと深みがある」なんてことになったのは最近のことです。


いちいち作中で説明する。

これは、「下手なのが一発で分かる」とされていたことでした。
ところが今はそちらの方が「小説とはこうやって書くんですよ」「詳細な設定があることで小説に厚みと深みが生まれるんですよ」とよく分からない声の大きい人たちによって、賢そうにみえる玄人小説のように云われています。
上記のマンガの担当さんもそう想っているんでしょう。


こういうことを書くと、「そうなんだ、説明部分、描写部分、言いわけ部分は下手な証拠なんだ」と丸呑みに捉える人というのがまたいて(…)、主人公がいろいろ読者に説明します☆ ここは言い訳しておきます☆ そんな芸風まで被弾するんですが、何事も、物語に没入するのにはちょっと不親切かな? 邪魔かな? あえて伏せて隠そうかな? と想ったら、説明的な描写を減らしたり増やしたりすればいいだけのことで、『~だから駄目』はないです。

それが駄目ってなったら、そういう眼で見ると、「ここも言い訳、ここも説明だ。この作品は駄目なんだ」ってなるじゃない?
そういうのが嫌いなんです。
文章の自由度を潰し、せっかくの面白いものも面白くなくしてしまう。

究極、どうしても描写したければ、「その武器の仕組みはどうたらこうたら数ページ」、あるいは「ここでこうしたのは~だからです、合理的な理由ですので」と書いてもいいんです。
一番いけないのは、打ち切りになったマンガ作品みたいに、作品そのものを殺してしまうことです。


編集者が「設定魔」で、「設定は~? 設定は~?」ばかりを云って、それを作中に書かせることで「設定描写をちゃんと描けと口酸っぱく指示命令したおかげで、漫画に深みと厚みが生まれた」と悦に入るような人だったら最低ですよね。
作者自身が「設定魔」で、ねちねち説明描写をするのはまだいいんですけど(そういう作風)、自分がそれを書きたい! と想うのと、他人から指示されて厭々書くのとでは全然違いますから。


セクシー田中さん問題の時も、おかしな担当者の暴露大会になってましたが、「上にあがりたければ云うとおりにしろ!」こんなことを人に向かって言う人は、何かを根本的に間違えてます。
相手の為でも、作品の為でもなく、人に想うさま威張ったり、ただ八つ当たりして暴言を吐きたい自分のための言いわけ。
そして間違えたことを平気でゴリ押ししてきて、何事も人にやらせ、自分はやらず、責任もとらない。

ところで、


「上」

ってなんでしょうね。
売上?
人気?

わたしは「上」だと自負する人がいたら、何をもって「上」なのか、訊いてみたいです。
あと「期待しているからこそ厳しいことを云ってるんだ!」とかも謎です。

職場の上司でもないのに(これもアウト)、上から目線で厳しいことを云う権利と立場があると想い込んでしまったその超ド級の勘違いはどこから。
その態度に効果があるんでしょうか?
気にした方がいいのは、上から目線で厳しいことを云うのは効果があるの? の方では。
そもそも自分で書けばいい。


小説道場の功罪は「小説道場が云ったから」というくくりに、ある意味素直に縛られてしまう人がいることで、鵜呑みにして作品を書いたり読んだりしてしまうことでしょうか。
いろんな文章のいろんな小説を、素直に面白く読む力まで削ぎ落して、殺してしまう。
視野が広くなるどころか、その逆の結果です。

それが名作・名文と呼ばれる小説の吸収ならばいいのですが、「小説に厚みと深みをもたらすために説明描写をいちいち書かないと上にはあがれないんだぞ?」などとマジ顔で教えるような人だったら、リンク先のマンガの惨状になります。

説明くさい部分も言い訳くさい部分も少な目のほうがいいですが、こんなのも、巧い人が書いたら何十ページ説明が続こうが、未知の生物の詳細描写が続こうが、物語の邪魔になるなんてことはないです。
最大の邪魔になるのは、自分の感性を信じることや、自分で考える過程をすっとばして、「小説道場が云ったから」で判断することです。
(※自ら望んで門を叩いて生徒になったのなら、生徒である間は、いい子ちゃんでいましょう)


◆チラシの裏風に書いていた最近の書き散らしにコメントをありがとうございます~。
いただくコメントも熱くて、楽しかったです~。

◆昨年末から、四月にやりますと予告されていた、とある自主企画に作品を出すつもりで五万字のものを連載しようと用意していたのですが、その自主企画自体が、企画主さんの私生活のご都合で今回、流れてしまいました。
年度の変わり目だと、そんなこともありますよね。
落ち着いたらまた活動を再開されるとのことなので、それまで作品は封印です。
報告でした。

13件のコメント

  • >文章は不親切なほうがいい
    ああ~わかる、わかるなあ~と深々頷いちゃいます。

    昔から説明的な文章が嫌いで、出てくると「そんなことまで言われなくてもわかっとるわ、読者を馬鹿にするな!」とイライラしていました。
    でも、夫が私と真逆な文章一切読まないタイプでして、あるとき言われてハッとしたのです。
    「君は今まで培った読書経験とか知識から自分の想像で補えるからいいけど、俺は全部言ってもらわないとまったくわからん。丁寧に説明してもらわないと楽しめない」と。
    そうだったのか……。

    ついでに、
    「言っておくけど世の中の大多数が俺と同じタイプだから。本読むときに頭なんて使いたくないから。小説書くならそういう人のことを意識した方がいいと思う」
    とも言われました。

    一理あるなと思って、それから文章をちょっと親切にするよう心掛けるようになりました。

    そうかー、小説読むときに頭使いたくないのかー! というのがすごく衝撃的であると同時に、なんか納得しちゃいましたね。

    読者がストレスフリーで読める文章は軽く見られがちですが、その分、作者にものすごい負担がかかっているのだと思います。ライトノベルは読者の負担がライトなノベルであって、作者の負担はヘビーなノベルだなと思うようになりました。

    なんか話が逸れましたが、私も不親切な文章が好きですー! と叫びたかっただけです(笑)
  • なぜ説明ではなく言い訳になるのか……。
    西野さんのところで読んでグサッと刺さりました。
    そうなんですよね、説明なんて本当はいらないんですよ。

    読者の想像に任せる。小説はそれでいいと思います。
    最近の漫画も結構説明が多いなって思うものが多く、なんか台詞がめちゃくちゃ長かったりしていますよね。
    大ヒット作「鬼滅の刃」でさえ、アニメで説明文を炭治郎が独り言として喋り続けていたし……。アレはアレでいいのかもしれませんが。
    もう、いっそのこと某タツノコプロのアニメのように「説明しよう!」と説明を始めてしまった方がいいのではないかと思ったりも。

    説明文を書く書かないは、読者と作者(WEB小説なら読み手と書き手?)の関係性が関連してくるのですね。
    「これはどういう意味ですか?」とか聞かれちゃうと「ググレカス」って思っちゃいますが、大切な読者さんなので文章を書き替えて説明文を入れてしまうんですかね……。

    ハードボイルド小説なんて、説明文どころが文章自体が必要最低限にまで削ぎ落すようになるので、文章の練習にはもってこいかもしれませんね。

    五万文字もの、残念です。封印が解かれるその日を心待ちにしております。
  • 想像が出来ない人、多いですよね。
    例えば「作者が何を考えたか答えなさい」の問題、意味わからないと言っている人の作品を読むと、まあ説明が多い。

    「突然声をかけてきた金髪碧眼の男は~」で済む話を「黄金の髪に青い瞳、すらりとした身長で緑色の軍服を着た男が声をかけてきた。がっしりとした体つきで体重は100キロをゆうに超えるのではないかと思うくらい筋肉粒々としているのに着やせして見える」と身体的特徴をつらつらと説明されていたりします。
    文章の途中でそういうのいらないんですよね。ストーリーがぼやけてしまうので。
    そんなに登場人物の特徴や設定って必要ですか?と思います。しかも、一人称で絶対得ることが出来ない情報が満載に入っていることもあったりなんかして。

    仰るとおり、巧い人(プロ作家)が書く小説って、そこまで設定書かれていないと思うんですよね。ところどころにちりばめられていて、すごく自然にイメージできるよう書かれています。
    必要な場面で必要な情報だけでいいんですよ。今、全部詰め込まなくていいんですーって思いますね。

    しかし、いつから小説ってこと細かに説明しなきゃ読めないものになったのやらと…悲しくなりました。

    説明厨の人は、漫画を読んでも白黒でしか表現されていないキャラの色を説明しろ!って騒ぐのでしょうか(何のために?それ今必要?)。

    どちらにせよ、ウェブ小説は斜め読みされることも多いので、あんまり特徴を沢山書いてもみんな最後まで覚えてないですよね。
    私が覚えられないだけで、皆さん覚えているのでしょうか。

    説明はされ過ぎない方が物語をイメージしやすい私でした。
    激しく頷きましたのでコメントさせていただきました。
  • コメント書く手が寝起きで止まって動かないので「何も言うことはない」ということかな。

    あーちゃん、おはよう。
    挨拶だけして朝ごはん食べるためにお布団から出よう。
  • 西野ゆう様のエッセイ読みに行ってきました
    おもしろいですね

    あとコメントのとこの人物描写過多についてちらっと目に入りましたので…↓

    最近は文章よりも映像やイラストの方が受けるのかなってXとか見てると思うんです

    なので頭の中でキャラクターを想像しながら読む時にどんな服着てるとかわかる方が読む方もいいし
    読ませる方も緑の服着てる設定だから読者が勝手にピンクの服着てるの想像して欲しくないとか
    なんかそういうこだわりみたいなのが増えてきてるのかなぁって
    ちょっとそんなことを思いつきました

    知らんけど(関西人✨️)
  • 鐘古こよみさん

    巧い人だとそのバランスがいいのか、描写は最小限でも、不親切だとは感じさせないですよね。
    親切すぎる文章であっても、こちらも巧い人が書くと、その親切すぎる部分だってすらすら読める。


    親切すぎる描写も不親切な描写も、所詮は頭に入る情報量って限定されていると想うのです。
    飛ぶようにしてお話に引っ張られて読むのが小説なので、どんなに詳細に書かれていても、だいたいで掴んで、全部きっちり読むなんてことはなく、無意識に字面だけ追ってるところが多い。

    鐘古さんの夫さんの、「世の中の大多数が俺と同じタイプだから」発言については、そうなの……?(ゴクリ) と想いますけれど、少なくとも小説を書いている・小説を読んできた、この人たちまで、何故か「細かい描写が小説に深みと厚みをもたらすプロの技」と信じ切っていたりするのは、ほとほと、アニメの設定資料集を小説に持ち込んだ輩のせいなのでしょう。

    そんなことを云いつつ、わたしは描写するのが好きなので、シンプルな原稿を書く人に比べたらそれと同じではないのですが、不親切な方が良いという意味については重々理解した上で、でもわたしはこっちの方がしっくりくるな~というのを自覚の上で選んでいるという感じです。

     それでは読者に不親切だ。
     それでは読者が意味が分からない。

    どちらかといえば、下手くそな上に、描写過剰である方が、意味が分からなくなるんじゃないかと……。
    童話を頭をひねって読む人はいませんよね。


    上手な人なら、「俺の設定資料集を読んでくれ!」そんな作品であっても、意外とすいすい読ませるでしょう。
    マニア向けすぎて読めないこともありますが、文章の巧い・下手だけでも、かなり違います。

    不親切すぎず。過剰すぎず。
    ちょっと親切かな? くらいが現代は丁度よさそうでしょうか。
    削ぎ落した文章でも読み手がちゃんとついてきてくれるジャンルもありそうですよね。

    何にせよ、小説道場で教えてもらうと、今までは楽しく読んでいた作品まで添削の眼で読んでしまうのですよね。
    あれがわたしは嫌いなんです。
    世の中にはお手本から外れた文体も沢山あります。
    個別のそれを味わいをもって楽しめるのでなければ、AIが書いたものでいいですよね。
  • 大隅スミヲさん

    作者視点が突然現れて、「説明しよう」は司馬遼太郎だって散々やっていることです。
    西野さんが云っているように、【物語を面白くするため、没入させるため】にそれが邪魔になるのかどうかが分かれ目なのかなと。
    司馬遼太郎はあれがスタイルとして確立していますよね。

    今回の大河が平安時代なので、十代の頃に読んでいた平安時代が舞台の少女小説を引っ張り出してきたのです。
    平易な文章でさらさらとラフに書いているようでいて、力強く、ぐいぐい引っ張って読ませてくれました。
    今読んでもかなり面白かったです。

    平安時代が舞台だと、名詞だけ出しても分からないことが沢山読者にはありますよね。
    それを作中で一人称のヒロインが随時説明しているのですが、「○○とは△△のことで~」とごく自然に解説しています。
    それを読んで、この一人称ヒロインは誰に向かって説明しているのか? とか、「解説的文章」なんて微塵も想いません。


    これが読ませる小説であって、下手に小説道場であれこれ余計な知識を増やしてしまうと、「現代の子がタイムスリップしてその子が質問することにヒロインが解説していくほうが自然なのでは?」なんていうトンチンカンな添削になってしまいます。

    そして何もかも解説するのではなく、ほったらかしの箇所も沢山あるんです。
    古典便覧を開くか、ググれポイント。
    そのバランスも絶妙なんですよね。
    いちいち確認しなくても、多分こんな感じのものだろう~と想像できるあたりは、解説せずに放置されている。

    ただその想像することすら苦手とする読者がくっついちゃうと、いちいち「どういう意味ですか」になりますよね。

    その少女小説みたいに、言い訳的な、解説的な書き方、作者の人はすーいすーいと書いているんですけど、小説道場出身者だと「解説アウト」とか云い出しそうな箇所があちこちにあるんです。
    リーディングの邪魔になることのチェックポイントが、ある一つの小説の書き方と照らし合わせた間違い探しになっている。
    ろくに本を読んでないと、「文法が~」「視点が~」ということばかりを気にしてしまう。

    それではもう小説を味わうことすら出来ないですよね。
  • MURASAKIさん

    コメントありがとうございます。

    何もかも細々と説明するのは、ひと昔前は本当に「下手の証拠」だったんです。
    それが今は、「不親切」「読者おいてけぼり」といわれる。

    時代の流行はありますから、今の小説が設定資料集的にどこまでも読者にご説明いたしますというものなら、そちらが主流になってしまうのでしょうが、果たしてどれほどそれが読者の脳内に間違いなく伝わっているものでしょうか。

    現代ドラマや、異世界ファンタジーなら、「浜辺美波のように可愛い」「スカイツリーのような塔」と書いて、間違いなく伝わります。
    でもこの手法が使えない場合、どれほど外観が可愛いかを長々と説明しても、「漠然としたイメージ」しか読者には伝わっていないでしょう。

    読者は既存知識から、出来るだけイメージに近いものを脳内で選び出して読むものですが、作者のそれとは同じにはなりませんよね。

    わたしは雑食で守備範囲がとんでなく広いので、長々と説明描写をされようが、ありのままに、そのままに読むのですが、もしそれが「無駄」と云いたくなる時は、MURASAKIさんがおっしゃるように、いかにも設定ノートから丸写しだとか、そのせいでせっかく勢いがあった話の流れが停滞してしまっている時、または文章がヘタで、読むのが辛くなる時でしょうか。

    結局そのへんは、文章が巧いか下手かで左右されるのかもしれません。
    どれほど説明的文章が続いても、上手な人だとさくさく読めたりしますので。
    本人がそういった文章が好きでノリノリで細かく未知の世界や武器を描写しているのならまだいいんですけど、編集者や読者からのツッコミを受けて、不要でしかない描写を「誰からも突っ込まれないように」と長々と説明を書く羽目になってしまったら、悲劇でしかないですよね。

    一人称では説明できないはずのことが書かれてある。
    これは市販の小説にも散見されます。
    わたしが好きな小説は一人称も三人称も混在しており、その切れ目もないというもので、だからといって混乱するかといったらまったくしません。
    視点の混在を規則のように「駄目なこと」とするか、「こういうスタイル」と受け取るか。
    これも文章の巧拙に関わっている気がします。

    小説道場というのは、どんなスタイルでも面白いものは面白いという、文章の自由自在度や、素直な読書の喜びまで摘み取ってしまうことがあります。
    わたしはそれがすごく嫌いなんです。
  • 西野ゆうさん

    こんばんは✨
    もう夕ご飯の時間ですね~。
    台湾の地震の影響は、さすがにそちらにはないかな。最初はなかなかの高さで津波が報道されていましたから、猟師さんも船を出すかどうか迷ったでしょうね。

    引用させてもらったわりにはいつものように好きなように語っていましたが、許可をありがとうございました。
  • @rnariboseさん

    作者のこだわりとして、イケメンなのにそうでないものを想像して欲しくないとか、もちろんありますよね……!
    でもそれを説明するのにいくら行を割いたところで、小説では、作者と同じ映像は読者の脳内には浮かんでいません。
    「○○に似てる」と書くだけで一発で通る方法が使えないなら、近いものをイメージしてくれそうな描写を並べるしかありませんが、いくら書いても、想いうかべる顔は読者の数だけそれぞれ違うでしょう。

    かといって、
    「彼は色男だった」だけで済ませるような、
    簡素
    簡略
    平易
    だけで済ませる文章も、これこそ作者の深みや修練の為せるわざというところがあって、たださっぱりしているだけの文章だと優等生の作文のようで、何の感慨も生まれません。
    巧い人が書くと、「彼は色男だった」と書くだけでも、ズシンとくるはずなのです。


    人それぞれ、書いているものに合った文体を、知らず知らずのうちに選択しているのではないでしょうか。
    歴史小説でも、誰かが出てくるたびに、「この人の顔にはこんな特徴があって~こういう人で~維新後は~」とページを割いて解説したりしていますよね。
    あれが邪魔か?
    といったら全くそんなことはありませんから、読ませる文章を書くということは、何にも勝ります。

    視覚で伝えられるアニメやイラストとは違い、小説は「黄色」と書いても、読者が想いうかべる色は違います。
    言葉を尽くしてどんな黄色なのかを解説するのかどうか。
    小説はどこかで「ご想像にお任せします」にならないといけませんよね。

    あとは読む側の問題もあって、いちいち、「彼がその時、涙を流したそのわけは~」と書かないと「何が起こったか分からない」という人は本当にいます。
    「今牛若」と書いて、「それほどの美少年なのか!」とすぐに分かる人と、「?」のままの人はいるでしょうね。

    今牛若は分かって欲しいですよね~( *´艸`)
  • 蘆 蕭雪さん

    んん?
    理想としている小説とは「私が私自身の理想としているもの」であって、人さまの作品を見る時には「その方の理想としている作品」を見てますよ~。

    私の理想が他の人の理想ではないし、私の理想とする小説を他の人が書いてないからといって、「それは私の考える理想的な小説ではないから駄目だ」なんて判断したりはしませんよ~。

    文中の何かが御作を否定しているように聴こえてしまったのなら(ええ……?)、わたしの配慮足らずその他です。
    けっこう「何でもあり」と云ったつもりだったのですが、誤解させてしまって申し訳ないです。

    レビューはお気になさらず。それを削除することで蘆さんの気持ちが落ち着き、ご不快がスッキリしたのなら、それでよいのです。

    短歌練習帳またいつか復活させて下さいね。
  • 蘆 蕭雪さん

    まことにこちらの配慮不足でご迷惑をおかけしました。陳謝いたします。
    以前にも、ここを読んでくれていたとは知らなかった方の胸に、こちらの記述の何かが突き刺さってしまうようなことがあり、それもこれも刃である言葉を迂闊に扱っているわたしが全面的に悪いのです。
    思いつくまましゃらしゃらと書いているようなチラシの裏的な代物、蘆さんが悩まれるようなことではありませんので、本当に。

    説明描写は少ない方がいいと昔は云われていたものだという箇所の後にも、わたしは描写をするのが好きなので書いているとも書いてますでしょ、ね、ね?

    問題にされているのは「今その説明いるのか?」というほどアクションの流れを堰き止めているようなもののことで、おそらくコメント欄の皆さんの頭にあるのも、エンタメ小説のことだと思いますよ。

    隅々まで行き届いた細やかな描写が嫌いなはずがありませんし、わたしの作品にもそこにこだわったものが多いです。
    でなければ蘆さんの作品を読むこともありません。

    重ね重ね「まさかそちらに跳弾がいっていたとは」な事態を招き、申し訳ありませんでした。
    ごめんなさいね。
  • 蘆 蕭雪さん

    交流のある方への否定的な文言やあてこすりを書けるほどわたしの心臓は強くないですよ(;^_^A
    なので今後も、ご安心下さい。
    不安になった時には悩まずに訊いてみて下さいね。絶対に違うので✨

    執筆の障りになるようなご心労をおかけしました。
    (鏑木清方の随筆は私も大好きです~)
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