大河「光る君へ」
三月放送分まではノリが少女漫画で、女子中学生は、この大河好きかもですね。
道長役がもっと二十代のイケメンでないと、ときめかないかな?
柄本佑さん個性的な顔ですもんね。
男性陣はみんな身長が高すぎな気がする。
烏帽子をかぶる都合で、バランス的にもう少し低いほうがいいかも。
最初は戸惑いましたが、定子さま、見慣れました。
そうなんや……古典ファンの日蔭のアイドル定子さまを、あんな感じの可愛い系でいくんや……。
一条天皇が子どもの頃からのお付き合いになるので、あれはあれでいいかも。
一緒に遊んでくれる優しいお姉さん
↓
一条天皇が庇護に奔走した悲劇の皇后
そんな定子さんに仕えた清少納言は才気ばしった生意気な女みたいに云われて、いつもそのように描かれていますが、そういう面もあるんだろうけどさ、
かつてこんなにも美しいご夫婦がいたのですよ。
わたしがお仕えした定子さまはこんなにも素敵な方だったのですよ。
楽しいことが沢山ありましたよね。
どうかどうか、定子さまが中心にいた頃の宮中の華やぎを忘れないで下さいねと、一生懸命書き遺そうとした枕草子。
負け組のことを、すばらしいものとして書く。
もし性格が悪かったら、とっとと勝ち組に媚びて、あんなの書かない。
定子さま陣営は、清少納言も含めて、ピュアピュアしいですよね。
厭味なほどの批評眼と美意識をもち、キャリア志向の清少納言が、「きれい……」と素直に魅了されてしまうほど、定子さまは邪気のない存在。
だからこそ清少納言は、
「薄汚い権力闘争には負けたが、定子さまこそが二心なく一条天皇をお支え申し上げていたのだ。勝ち誇る者どもよよく聞いておけ」
とばかりに、彼女の文才とプライドを注ぎ込んで、枕草子を書いたのでしょう。
紫式部の「源氏物語」は光源氏(光る君)一強のハーレムものだけど、ウフフじゃなくて、人生の悲哀が随所にあって、とにかく名付けのセンスがいい。
美貌も地位も財も才覚も、モテテクも、すべて持ってるのに、天皇の子なのに天皇にだけはなれなくて、次々とぼんくらが即位するのを臣下の位置から見ていなくてはいけなくて、本当に追い求めている女人(母)の面影だけは手に入らなくて満たされることはない光源氏。
そして最初に「いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり(身分は低いが帝から寵愛されたよ)」で登場してきた光る君の生母の桐壷更衣が、若くして死んであっという間に退場した後も、ずっーーとこの物語を引っ張ってる。
あまりにも小さい頃に死んでしまったから、父である帝が最愛の桐壷更衣と似てるというので迎えた藤壺中宮(輝く日の宮)が母的な、狂おしいまでの思慕の人になってしまい、渇望のあまりついに道を踏み外す。
父である帝の女を寝取る。
当時この部分は、「げええっ」と読者が絶句してのけぞる、相当なセンセーションだったんじゃないでしょうか。
庶民が読んでるんじゃなくて、今上を身近にしている人たちの間で回覧されていたものですから。
それでも発禁処分にはならなかったのだから、つまり平安時代から人はちゃんとフィクションとノンフィクションの区別をつけて、物語を愉しんでいたということですね。
小説は教えられるようなものではないので、教えるというよりは、自分の失敗もまじえて、体験談を正直に語るのが一番いいよね。
だって心なんて教えられないじゃない。
全員が同じ方法で、同じ文体、同じ構文、同じ構造で小説を書くの?
門下生が全員、ハンコみたいに似たようなやつになるの?
小説道場に通えば目立った欠点は消えて、雑誌の埋め草になるような一定レベルのものが「そつなく」書けるようにはなるかもしれませんが。
奇跡的に先生が人を育てるのがうまい良い先生で、生徒の方も生来のポテンシャルが高いと、「○○道場出身」から優れた作家が生まれるかもしれませんが。
「そつなく」書く。これは、『ピアノが上手に弾けます』のようなものです。
ピアノが上手に弾けますよという人は山ほどいます。
美麗な文体勝負で丸ペンで点描打つみたいに書くとか(画面が美しい)、完璧なプロットありきで、時計を組み立てるみたいに最初から最後まできっちり積んだ推理小説やミステリー系とか、これはわたしの眼には「デザイン」に見えます。
デザインとしての魅力。
悪い意味でのデザインなら、何度も何度も同じ原稿を書き直して、噛み過ぎてスルメみたいになって味わいも失せてるやつ。
書いてる本人は、
「どこから見ても欠点が消えて、上手い文章に見えるようになった」
と満足してるのかもしらん。
「そつなく」書くことは厄介なんですけど、ちょっと文章が上達した時に「そつなく」書いてる! と愕然となる瞬間があった人は大丈夫です。
たとえ時間に追われて「そつなく」書くような羽目になっても、要(かなめ)のところは外してないと思いますよ。
わたしなどはめちゃくちゃ人の作品を見る眼が甘いので、何でも褒めちゃうんですけど、自作については「死ねよボケ」くらいに想いながら書くのが書き手の業なので、そこはある(笑)
死ねよボケって(笑)、もうちょっとお上品にいうなら、ピアノを譜面通りにすらすらただ弾くように書いていたらボツにするっていうくらいの意味なんですけど、こういう重石は絶対に要りますよね。
なかなか上手く書けないなっていう手応えがいつもある方がいい。
十本書いたうち、「よく書けた」は三本である方がいい(人気ではなく自分だけが分かってること)
それは、可能性を探り続けるということでもありますから。
「これが唯一の完璧な小説の書き方だ」
「この作成方法のテンプレに沿って創れ」
誰がいつ?
それを決めたの?
その方法で書いたら見る見る大成功してベストセラーにでもなるの?
「読者に喜んでもらえるものを書く」
これはいいんですよ。
最もラフなところなら、X(Twitter)で「続きの展開はどうしたらいいですか~?」って訊いてあれこれ意見やリクエストをもらってそれを書いてる人がいますけれど、
これは、「書きたいものが自分の中にある」人ではなく、最初から完全にサービス業としての執筆に特化した書き手さん。
漫画なら原作者がいることで華ひらく人。
「読者ウケのいいものでないと駄目」
といわれましても。
全員が全員、ウケ要素の集合体が好きなわけじゃないですよね。
主人公が成長して敵を倒すとか、平凡な女の子がイケメンの金持ちに溺愛されるとか、永久不変の王道はありますけれど。
毎回「?」と想ってるのは、
ウケのいいものでないと駄目!
(人気路線や売上という意味?)
読者に喜んでもらえるものを書かないと駄目!
(この読者とは誰を指すの?)
これを云う人は、本気の本気で、そんな一部の作品しか楽しめない人なのでしょうか。
「そつなく」書くがらみで、純文学と現代ドラマの違いを簡単に。
現代ドラマなら、実は「そつなく」書くだけでも意外といいです。むしろそうであれ。
気難しい頑固おやじがいる店とか、どこがいいのか分からなくても権威らしいからとりあえず高評価になる洒落た料理を出すのが純文学で、誰が食べても安定の味の定食が現代ドラマ。
八百屋さんでも読めるものを書くのがいいとか云われてましたけれど、八百屋さんに失礼ですよね、でも現代ドラマはそんな感じ。
水原一平が純文学の題材になる人。
大谷翔平さんが現代ドラマ。
(怒られそう)
◆「恋人は、魔女」
柴田恭太郎さんの三題噺♯57(予定、ケーキ、沈黙)参加作品。
悪ノリで書いたエロ可愛いやつ。
最初はこれをフィンディルさんの企画に応募しようとしておりました。
でも誰がどう読んでも「大衆的・エンタメ」ピタリ賞しかないものを出しても面白くないなと考え直して中止しました。
◆「天使の石棺。」
上記の代わりにこちらを出しました。
タイトルの「。」は指定です。
十六方位で自分の作品の方向性を考えてみようという企画。よほどの変わり種を放り込まない限り、皆さんの意見をみる限りではほとんどの作品が北半球に入るのね。
クロノヒョウさんの企画のお題「天使の化石」に合わせて仕上げました。
◆「婚約者は、魔女」
柴田恭太郎さんの三題噺♯58(まぶた、桜、ロッカー)参加作品。
エロ可愛いやつの続篇です。
同時期にクロノヒョウさんが「奥様は魔女」という作品をお書きになられましたが、あちらはまったくこちらを知らないと思うので余計な誤解はなさいませんように。
「奥さまは、魔女」が次に書けなくなってしまったのはありますが、しゃーない。
◆「ハトの墓」
柴田恭太郎さんの三題噺♯59(マット、ショート、背後)と、神楽耶夏輝さんの自主企画「2000文字以内・レギュレーションありの書下ろし短編募集」(無糖、電車、ガラス)
双方にエントリ。
タイトルに候補が二つありました。
「レモン水」と「ハトの墓」
ホラーだから後者にしましたが、現代ドラマだったら前者でした。