本日のお題。
『カクヨム甲子園SNS騒動に思う』三屋城衣智子さん
https://kakuyomu.jp/works/16817330662890045011前提として、NTR(寝盗られ)ものは禁止されていません。
ログインする前のトップ画面は、どこのエロゲーサイトかっていうほど過激な単語が溢れかえっています。
未成年が書くものだから駄目だ。ということ?
一番興味がある年代だと想うんだけど。
「書いては駄目」なのに、もっと過激なものを読みたい放題にカクヨムの中では読める、それはいいのかという。
奴らはRじゅうはち(数字で書いていましたが警告がくるそうなので書き換えました。教えてくれて夏川君、感謝!)がついているものから積極的に読んでますよ。
作品が高校生らしくない?
作品は爽やかであっていいと想うけど、高校生が爽やかだと想ってるような人は物書きには向いてないのでは笑
でも云わんとすることは分かります。
とても分かります。
甲子園の名がついた高校生限定コンテストにおいて、NTRを含む過激なエロものが上位にずらっと並ぶ。
これは完全に悪い大人の見本を毎日見ているからです。
もろに影響を及ぼしている。
個人的には高校生であろうと、エロならエロで、エロのすっごいものを書いてぶっちぎりで優勝、そういう人が作家に生まれた方だと想うのですけど。
漫画だったら応募してきた未成年が、エログロバイオレンスをひたむきに、パワフルに描き上げていて、絵はまだ未熟でも、どす黒い才能に圧倒されて満場一致でトップ通過するみたいな感じ。
「流行だから~」
「これが今トップに乗っかれる作風だから~」
というので安易に大人の真似をしちゃっているのは、可哀そうというか、内的なところに書きたいものがない人みたいに見えて『大損』じゃないかな? と想うのですが。
学校の国語の成績はふるわなくとも、「真似してこういうものを書いてたらじゃんじゃんランキングが上にいって超楽しい!」という気持ちがあるのでしょうか。
その流れの中からでも飛び抜ける人はいるので、みんなと同じものを書くのは良くないとも云えないのですけれど。
レイティングについては、流石に無法地帯になってしまうとエロ小説投稿サイトになってしまいます。
一定の制限はあった方がいいし、そういうものを読みたくないという方に自主的に避けて頂くという目的でのタグ付けはあるべきと考えていますが、無味無臭なものだけが存在しても許されるみたいな、たまにいる、言葉狩りやレイティングにピキピキして、ちまちまと告発に嬉しそうに大活躍する風紀厨は、他に承認欲求を満たす手立てがない暇人だと自己紹介しているようなものですし、創作には向いてないよな~って想ってしまいます(※目に余るものは別)
それにしてもNTRが(寝盗られ)なんて、世間の人は知りませんよね。
わたしも最初は何だろうと想っていました。
モブレ(モブによるレイプ)も。
夏の間、たて続けに、【♡応援する】に関するお悩みや考察を眼にしました。
各ページの下にある、【♡応援する】のアレです。
・読んでないのに、読んだふりして付ける人
・読んでるけど、付けない人
・読む読まないを問わず、応援の気持ちで付ける人
・ここまで読んだという自分のしおり代わりに付けてる人
・営業名刺がわりに、♡を押して回っている人。
使い方はさまざまです。
ハートをつけることの意味合いが、受け取り手と食い違っていると、歓迎されるどころか、余計な悪感情を書き手にもたらしてしまいます。
営業かと想われたら星爆同様、効果があるどころか、反感しか生みません。
♡問題に関しては、実はわたしも「?」と想う♡の付け方があるのです。
それは、「わたしなら、それはやらないし、出来ないな」というだけで、圧倒的多数の方がやっていることです。
それは何かというと、作品の最初のページだけに♡を押して、去って行く方です。
連載初回ではなく、或る程度進んでいたり、完結作品などのことです。
ここで、
「やってる」
という人、ほとんどの人がやってることなので、堂々と続行されて下さい。
大多数の人が、一ページ目でバックしましたの足跡を、『わざわざ』残している。
「一ページ目で読むの止めるね」
告知のハートを、『わざわざ』残す。
これがわたしにはとても不思議に想えるのです。
「この作品は一応読んだことがあるという自分のための目印です」
「わたし向けではなかったので、わたしはこの話の続きを読みませんが、頑張って下さい」
「営業に来ました」
このうちの、どれかなのでしょうか?
カクヨムでは営業が大切であり、営業努力が星の数に直結するといっても過言ではありません。
星爆こそしなくとも、『顔を売ってあるく』これがひじょうに重きをなしている。
それは分かります。
その営業の一環として、名刺がわりに足跡を残したい。それなら、短篇作品や近況ノートがありますよね。
なのに、複数ページある作品の一ページ目に♡をあえて遺す。
なんのために?
ずっとこれについては想ってるんですけど、大多数の人がとくに他意もなく普通にやられていることなので、わたしだけの素朴な疑問です。
それで冒頭に戻りますが、大長編作品を含む全作品の全てのページに、♡だけ押していく方がいるんですって。
評価(☆)は入れない。
♡だけ。
滅多なことでは評価(☆)を入れないスタンスの方なら分かります。でもそうじゃない。
他の人にはどんどん評価を入れている。
その方にだけ、全てのページに♡はつけるが、全ての作品に評価は入れない。
……謎じゃない?
これをやられる不可解さを吐露された書き手さん。確かにわたしも想います。謎の行為すぎます。
「好みじゃない、つまらない」のなら、通常は一ページ目だけに♡を付けて立ち去るじゃないですか。
でもそうじゃない。
大長篇でも、更新するたびに♡をつけて、最後のページまできちんと♡をつけてくる。全ての作品の全ての頁に♡だけはつける。
でも、評価(☆)は入れない。
他の人には次々と評価を入れているのに。
☆くれくれの催促で、もらった☆の数だけ、同数の☆を厳格にお返しする主義の方なのかも知れませんけれど(嫌すぎるわ)、それにしては、全作品の全ページに♡をつけていくその手間、その執念がちょっと怖い。
作者さまは結局、場外退場を促されておられました。
その他にも、いろんな気苦労と温度差が発生する♡と☆。
はっきりいって、すっごい無駄な悩み。
不要なストレス。
前回の近況ノートにも書いたんです。
もし、『書き手は他の書き手に☆を送ることはできません』というルールだったら、一気にドーン! と☆ゼロになる人が大量発生するでしょう?
営業名刺を配る必要もなくなりますよね。
それなのに、小説を書くという本筋とはべつの、決して小さくはない悩みや行き違いが常時つきまとう。
それもこれも、投稿小説サイト特有の、読者選考という仕組みがあってこそ発生するお悩みですよね。