トップ画面はたまにしか見ないのですが、眼についたものがあればレビューを書かせてもらったりします。
ものによっては他人さまのご著書(←豆ははこさんの真似)につけたコメントレビューに拍手をもらえることがあります。
レビューを書く枠欄がずるずるスクロールするものですから、『記述解答用紙は最低でも四分の三は埋めろ』の刷り込みで、焦りながら沢山書いていたのですが、みんなそんなに書いてなかった。
「面白いです」
とくに異世界Fだと、こんな一行レビューが並んでた。
……あのレビューコメント欄の大きさは何なのかな?
登録当初「レビューコメント欄長ッ」と冷や汗をかきながら一生懸命書いたせいで、後の人に書く時も短いわけにはいかなくなって、何となく今みたいなことになってるんですけど、元記事さまのご威光もあって、どうかすると自作作品よりも応援をもらうことがあります。
そして一度創作論にレビューを書くと、「あなたの興味はそれなのですね」とばかりにトップ画面が創作論で埋め尽くされてしまいます。
それでまた眼に留まったものにレビューを寄せたら、さらに、
「やっぱりあなたの興味はそこなのですね」
とエンドレス状態になっていきます。
この時点でしばらくトップ画面を見るのをやめます。
最近書かせてもらった二つのレビューについては、個人的に辛かったんですよね、PVや評価がないから書くのを辞めてしまう人がいるのが。
(休憩ならOK。充電期間は書き手には必要)
昔の人は誰にも見せることなく、PVゼロで最後まで自分の手許で完結させて公募に応募していたのに、評価システムがあるせいで、作品が無価値に思いやすいのもありますよね。
投稿サイトごとに特徴がありますので、交流型のカクヨムでは沈んでしまっても、他の投稿サイトならば読者がつくかもしれません。
その代わり読み専が多いところは書き手同士の忖度なんて微塵もないので、評価も露骨です。
逆からみたら他所で沈んでいる人であっても、交流が得意ならカクヨムでは居心地よく活動できますよーということです。
※重ねて強調しますが、作品に手を抜いている人はただの一人もいません。
大勢の人とわいわいやりながら書く。黙々と書く。
音楽を聴きながら書く。物音がしない部屋に籠って書く。
どの投稿サイトを選ぶかも含めて、各々、自分はこういうスタイルならやる気が出てのびのびと調子よく活動できるんだなというのが正解です。
長期の休憩はプロだってやりますから全然大丈夫です。
バカボンドなんて十年(略)
漫画つながりで岩明均さんも、体調不良ということもあってなかなか新刊が出ません。
今風の絵ではないし(味のある絵)、歴史知識も、若い頃に吸収した歴史認識のままで新解釈を取り入れてないなんて云われていましたが、それでも新刊まだ? と熱烈なファンがいます。
そこには常にデートアップすることの重要性だけではない、岩明均さん独自の魅力があるのでしょうね。
※基本デートアップはしましょう。
そういえば「七夕の国」がドラマ化しますね~。
評価だってそうです。人によって推すものは違うのです。
ノーベル文学賞候補に挙がったのも、評価がぱちんと二分されている某氏です。
評価が違うで想い出しましたが、「ファントム・メナス」が鳴り物入りで公開された時に、映写室で赤塚不二夫がただ一人、「ああ、つまらなかった」と大声で云った話がすごく好きです。
偶然たまたま、わたしもファントム・メナスは面白くなかったので、「ですよね」と頷いたのですが、赤塚さんがどこをどう、つまらなかったのかは知りません。
わたしのがっかりポイントは「ベン・ハー」の戦車競技をリスペクトしてポッド・レースの場面を作ったわけには、ちっとも「ベン・ハー」を超えてなかったことです。
あとは、モブによる戦闘シーンのだるさです。
「フォースの覚醒」と「スカイ・ウォーカーの夜明け」をJ・J・エイブラムスが監督してくれて本当に良かったです。
ああいう映画は王道のツボというツボを押さえたエンタメの名手が作って欲しいです。
1~3と8はわたしの中ではなかったことになっているんですが、砂漠で出逢った奴隷の少年と若きカリスマ・リーダーが、後に愛し合い、ルークとレイアの父母になるなんてエモすぎますよね。
そしてアナキンに心酔して自ら悪に飛び込んだくせに、ぺえぺえのレイに惹かれていくカイロ・レンの普遍的な男性の優しさと情けなさもよかったですよね。
なんでレイに裸の肉体美を見せるねんていう。
どなたかの近況ノートのコメント欄で拝見したのですが、
【人の心に届いたらその作品は成功】
これが結構気に入っています。
遠い昔のことです。
善良な方々が集う創作掲示板でわたしの作品が紹介されていたそうなのです。
「こういう作品が読みたい」のリクエストに対して、誰かが回答するようなやつです。
その時に、その掲示板経由で読者になってくれた人がいるのです。
その方は今も昔も、完全なるサイレント読者です。
性別すら知りません。
拙作エッセイ「読み専の神さま」のHさんのように書き手に感想メールを出すわけでもなく、どんな書き手に対しても、ただ画面の向こうにいる人です。
わたしが自己愛性人格障碍者のターゲットになり、創作世界から追い出されてからも、その「無名の読者」さんはずっとわたしを探してくれていたそうなのです。
ネットではなくもしや同人誌でも出していないかと、外部もずっとチェックしてくれていたのだそうです。
「読み専の神さま」内のヒントから奇跡的にわたしだと分かったようで、再会したという嬉しい一言をくれました。
それからまた見事にサイレント化して影も形もなく潜っておられます。今も読者でいて下さっているのかどうかも分かりません。
「書いていて、良かったな」って思いました。
良かったな~って。
自分の書いているものが誰かにちゃんと届いていた。
立派な文章でもないし、『この方法であなたも小説家になれます』をなぞってないし、大正解の作品でも何でもない。
でも、ちゃんと読んでくれる人がいたのです。
その無名の読者さんがついてくれた頃のPVは、PV1~3でした。
ずっと探してくれていたそうなんです。
そんなにも何年も何年も、熱心に探してくれていた人がいたことなんか全然知りませんでした。
母校に残っていた文章を読んだ後輩がわたしを探してくれたことがありましたが、それ以来です。
無難に、きれいに、「上手いですね」で書いていたら、きっとこんな読者さまは生まれていなかったことでしょう。
昔は今よりももっともっと下手だったのですから。
今よりも下手……。
……あまりの下手さゆえに余計に印象的だったのかもしれませんね(;'∀')
だから云い切れます。
誰か一人でも、誰かの心に届くのなら、その作品は書いた甲斐があります。
カクヨムの☆の数があなたの作品の絶対的な価値じゃないんですよ~。
【第44回横溝正史ミステリー&ホラー大賞 】で『カクヨム賞』を受賞された岩口遼さんなんか、現時点でも星の数は☆27です。わたしが見た時には☆の数は一桁でした。
つまり受賞者は、カクヨムにおいて上位の目安とされる「☆三桁(異世界なら四桁)」圏外の方なのです。
みちのあかりさんがおっしゃっていた、「書けるものしか書けない」これも気に入っています。誰もがその中で、精一杯書くしかないのです。
「読者のニーズに合わせて、喜んでもらえるものを書くのが書き手の仕事だ」
このスタンスの人も立派です。
元々から、読者の心情を第一に考えた、社会性ある信条をもとに書き手になっている方なのです。
戦争になったら戦意高揚のために戦争に協力する作品を書く方々です。
そんなことしないよ?
いやします(笑)
悪い意味ではないのです。
「絶対にそんなことはしません」は現代の感覚で戦争を捉えるからです。
こちらの信条を持つ人たちは、いかに世相に迎合するか、商業の流行に乗るか、社会に窓を開いて、大衆に喜んでもらえるものを書くのかが、書き手としての役割だと自認している方たちなのです。
戦争協力者として戦後に名が挙げられたお歴々だって、戦時中は心の底から国民に寄り添い、心を痛め、国のために何か書かなければ、兵隊さんや銃後の皆さんを応援しなければという、純粋な気持ちだったのです。
国全体が有事の際に、「好きなことを好きなように書きたいの~」と花や蝶の浮かれ切った作品を創ってる人のことをどう思いますかっていうことです。
世の為人の為と、意識高く、時代の風潮に同調する側からしたら、戦時中は戦争に沿うのが当然だったのです。
そんな話はどうでもいいです。
全て出し切って欲しいです。
死ぬ前に、「どうして自分の好きな物語を書かなかったんだろう」とそんな後悔をしたいものでしょうか。
PV1~3でも、好きな作品を書いていたから、わたしの書くものが好きだという人が現れてくれたのです。
もし好きな物語を書いていなければ、そんな読者さまはいなかったかもしれません。
(新作)
暗いものを書きたかったら書いたらいいじゃないという応援もこめて書いた暗いやつです。
◆「まぼろしの鈍色」
お世話になっているクロノヒョウさんの二千文字企画♪
◆「六組の廊下」
お世話になっている柴田恭太朗さんの三題噺企画♪