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2020年7月25日の近況報告 「何が好きかを他人に決めてもらう」事こそ「普通」だ

 日夜歯を食いしばって血のにじむのような努力をして「普通の」人になろうとしてもなお、決して普通になれない人間「だからこそ」見つけてしまったものかもしれない。

「普通の人」というのは「何が好きかを他人に(「SNSにいるみんな」や「TV」などに)決めてもらう」人なのかもしれない。

「何が好きなのかを自分で決める」ただそれだけをもって普通ではないのだ。



 2019年にはタピオカミルクティーが流行ったが自分の意志で「タピオカミルクティーが好きだから飲んでいる」というひとが今もなおどれだけいるだろうか。

 2020年も折り返し地点を過ぎてもなおタピオカミルクティーを自らの意志で選び取り飲んでいる人は果たしてどれだけいるのだろうか?



 4年に1度のサッカー(最近はラグビーもか?)のワールドカップが始まると普段はサッカーのサの字も思い浮かばないというのに、サッカーのルールもまともに知らないくせに、応援する。

 サッカーのワールドカップが始まればみんなそろって青い服を着て「サムライブルー」などと言って「ニッポン! ニンポン!」と叫ぶ事を「良し」とする。

 そもそも応援自体「自分のために応援している」ものである。

 応援することで「偉大なサムライジャパンにちっぽけな市民が彼らに貢献したつもりになる」と思いたいがために応援するのだ。



 流行りに乗るのは「気持ちいい事」だ。流行の最先端に乗るというのはそれだけで自分にセンスや見る目があるという事の証明になるからだ。

 何より「みんな」が自分に対しポジティブな評価をしてくれる。

 流行に乗ってさえいれば自分の事を「「みんな」と同じことをしている」というただそれだけをもって価値のある存在として評価してくれる。だからこそ流行に乗るのだ。

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