「自分は常に正しいから意見の違う相手は常に間違っている。だからその間違いを是正するために論破してやろう」
特にWEB上で口論になった時にはこうなりがちです。ですが、あなたが思っている事と寸分たがわず全く同じことを相手も思っているよ。とは言っておきます。
D・カーネギーの「人を動かす」では「そもそも議論を始めた時点で双方とも負けが確定している」と書いてありますが同じことは起こりえます。
あなたは討論相手にコテンパンに論破されて「そうか俺が間違ってたのか!」と心を入れ替えた事はありますか? おそらくないでしょう。
せいぜいが「屁理屈で俺の事を論破しやがって!」と怒りや憎悪を蓄積するばかりで、意見を変えることはしなかったはずです。
なぜ相手ではなくこのオレが!! 何でアイツなんかのために正しいオレを曲がらなくてはいけないのか! と仰々しい言い方をすればこう思っていたはずです。
「正当な理由で論破すれば相手は改心する」っていう「間違った」考えを持ってるのは大人の中でもかなり多いんですよ。
人間はなまじっか知性があるんで勘違いしやすいんですが基本的な部分の99%はサルと同じなんです。人間とサルの違いなんてほとんどないんですよ。
だから「絶対に反論できない完璧な理論でねじ伏せれば相手は改心するはずだ」ってお互い思っている状態で討論をするから大惨事が起きるわけなんですよ。
人間っていうのは「お前の言うことは正しいし、それに従った方が俺にもメリットはあるのは分かってる。でもお前の言う事がなんとなく上から目線で気に入らないから従うつもりはない」
っていう『非合理的で間違った選択』を選ぶんですよ。だから正しさだけでは動かないんですよ。正しい理論で論破しても従いません。
実際私も「映画の手法を小説にも取り入れよう!」っていう本を見ても「終始映画に偉そうにマウントとられているようで嫌だ」って思ってたのに、
全く同じ内容を「アニメやマンガの手法」で、っていう内容なら「するすると頭に入る」ことがあったので、AIには到底理解しがたい事は現実に起こったんですよね。
議論で重要なのは「お互いに歩み寄って」互いの意見を修正しつつ「落としどころを決める」事なのにお互いに「絶対的に正しいのはオレの方であってお前が間違っている!」
って思ってちゃ出来ることも出来なくなるでしょう。上は政治家から下は庶民に至るまで日本人の共通事項です。
他にも、お互いを極論化して極論と極論をぶつけて爆散させるのもネットの論争では良くあるのですが、そんなことやったって意味ないのになぁ……とは思いますね。
極論って叩きやすいから相手を極論化するのは分かるんですけど。
ツイッターやってます。日常生活で思ったことをつぶやいています。
https://twitter.com/agatuma_yui作品一覧はこちらから。
https://kakuyomu.jp/users/agatuma-yuiよろしければスキおよびフォローをお願いします。