個人的には「ソシャゲ並み」に嫌いなものがあって、いわゆる「事後諸葛亮」あるいは「事後孔明」っていう奴である。
この言葉はいわゆるネットスラングというあまり品の無い出身であって、騒動があらかた終息してから「あの時こうすればよかったのだ」と後知恵・結果論を述べ立てる連中を指すものだ。
能登半島地震で「道路が使えないのなら空中から物資や人員をパラシュートで空中投下すればいいじゃないか! なぜやらないんだ!?」とか「2千隻のフェリー、20万台のキャンピングカーを用意すれば勝てます!!」ってほざく現場を完全無視したバカ共がいたが、
そいつらは「政治家をやるにはあまりにも知恵が足りな過ぎた」だけで災害に真っ向から向き合ってはいたからまだまともな方だ。
だから「事後諸葛亮」あるいは「事後孔明」はそいつら未満であるとさえ言える。
こいつらが歴史の話をし始めると最悪の中の最悪で「秀吉は家康を潰しておけばよかった」なんていう事を言い始める。
ちなみに秀吉にとっての家康は「妹の旦那=自分の義弟」であった上に「秀吉の無茶振りについてこれる」優秀な部下で『本当に信頼できる側近にして義弟』だったそうで、
絶対敵に回したくない程優秀な「腹心中の腹心」とでも言うべき部下だったんですよ。それ潰すだなんてとてもじゃないけど出来っこない。
実際、秀吉没後の葬式は家康が行ったとの事なので、そこまで信頼を勝ち取ってたんですよ。
それに、これは当然の事であるが昔は現代とは価値観も違うし環境も異なるから、現代人は過去に向かって「全ての答え合わせが出ている上で、当時としては正しかった、あるいはそうせざるを得ない判断」に、
後出しじゃんけんで気軽にバツ印を付けることが出来る、という『極めつけに』傲慢な行為が出来るのを忘れてはいけない。
韓国が脱タバコを国レベルで推進した結果「映画に出て来るタバコにボカシやモザイクをかけるようになった」のがその具体例だろう。
こういう規制は「法の不遡及(ふそきゅう)」と言って『新しくできた法律は過去にさかのぼって適応されることは無い』という法律における基礎中の基礎を破る事にもなるだろう。
「事後孔明」の何が嫌いかと言うと、その「過去の人の労力」を「あれは全くの無駄でしたね。むしろ害悪ですよ」という一言で完膚なきまでに粉砕する事だ。
話が飛躍するだろうが、過去の人への敬意を忘れるのは人命軽視の始まりだと言っていい。
そうやって「過去の人の労力を粉砕する」事に慣れたら、次のターゲットは「現代の人の労力」だろう。「表現を焼く人が本当に焼きたいのは『人』」に連なると思う。
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