「なぜ人は生きるのか?」という色々と根本的な部分の問いには「そりゃお前、死にたくないだろ?」というのが答えだと思う。
「そんな単純に言い切って良いのか!?」って思うメンヘラも多いと思うが、多分それ以外に無い。
何せ「首から上」がいくら死にたくても「首から下」が絶対に死にたくない!! 出来るのならそれこそ「1兆年」でも「2兆年」でも生きぬきたい!!!!!
って言ってるから生きてるんだよ。それだけだ。重さ比では「首より上」の10倍近い重さの「首から下」が
「死にたくない!!!!! 何が!!!! あっても!!!!!! 死にたく!!!!!!!!!!!! ない!!!!!!!!!!!」って叫んでるから死ねないだけだ。
俺だって「首から上」は死にたい死にたいって言ってるのに10年以上も生き続けているのは
「首から下」が絶対に死にたくない!! 出来るのならそれこそ「1兆年」でも「2兆年」でも生きぬきたい!!!!!
って言ってるからであって、それ以外の理由は一切ない。
臨終間際の老人だって、心臓は最期の最期まで鼓動を止めないし、ホメオスタシスは死ぬ直前まで機能し続ける。間違っても「首から上」の命令でそれを止めることは無い。
昔の調査で「自殺未遂者」が「自殺完遂者=本当に自殺で死んでしまった人」の20倍いる。っていう結果が出たそうだけど、それ位人は死にたくないんだよ。
死ぬには「倍率20倍」を突破できる「自殺の達人」あるいは「自殺エリート」でなければいけない訳で、
俺も、そしておそらくこれを見ているあなたも「自殺の凡人」であろうから、おそらく死ぬことは出来ないはずである。
https://joshi-spa.jp/1129203/2 で、その「倍率20倍」の試験……東大の受験ですら「倍率3倍」と言われているのに「20倍」だ。こう書くと「自殺試験」がいかに難問なのかがよく分かるだろう。
この試験に落ちた人の一説には全体の60%にも及ぶらしいが、植物人間あるいは首から下が一生動かない。っていう重度の障害が残って
死ぬまで病院で暮らすことになるのだが、それがいかに苦しいか上記の記事で分かると思う。
幸いなのかあるいは不幸なのかは分からないが、意識がある人は「自殺だなんてするんじゃなかった」って後悔するが後の祭りだ。
なので「死にたくないから消去法で仕方なく生きている」っていうだけでも「ものすごく立派」な事だ。そう『ものすごく』『立派』な事だ。
それこそ「文章等という不完全なコミュニケーション手段ではとてもじゃないが表現しきれない」位に。
それが出来ないから毎年2万人もの人が死んでるわけだし、その20倍のおよそ40万人の6割、
つまりは『24万人』が障害が残って「自殺なんてするんじゃなかった」って後悔することになるんだから。
「オレの人生死にながら生きているようなものだ」って言うけど「死にながら生きる」のと「実際に死ぬ」ってのは天と地ほどの差があるよ? もちろん生きている方が断然いい。
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