人間は変われない。新しいものに対してはそれがどんなものであろうとも「必ず」拒否反応を起こす。
なぜなら「新しい」からだ。人間は「新しい」物には本能的に拒絶するようにできているからだ。
想像の領域を出ないが、例えば「マニ車」が発明された当初は
「念仏を唱えずに回すだけで徳が得られるなんて仏教の商業利用の極みだ」とボロッカスに言われたかもしれない。
もっと言えばさらに昔、文字が発明された当初も
「文字に頼る奴なんて甘えてる。わざわざ文字の読み方を覚えなくてはいけないところがバカバカしい。伝えたいことがあれば口で伝えればすぐ出来るのに」
と言われたかもしれない。
これは決してWEB小説家の下らない妄想ではない。
実際「ゲームなんかやってないで外で遊べ」と親から言われて育ったファミコン世代が、
自らが親になると子供に向かって「ゲーム実況動画なんて見てないで自力でゲームしなさい」としかる話があるそうだ。
それに、今では当たり前のように普及しているスマホですら、登場当初は叩かれた。今では信じられないかもしれないが実際そうだった。
初期のiPhoneが発売された当初は「タッチパネルで操作なんて指が邪魔で画面が見えないじゃん」とか
「画面触って操作してると画面がベトベトになって汚いじゃねえか」などと散々に言われていた。
他にも昔の話で例えば昭和では「電卓の計算結果なんて信じられない。ソロバンの方が良い」と言われ電卓の計算結果が信用されなかった時代もあるし、
もっと昔だと平安時代に「和歌こそ高尚で、それに比べて物語は低俗なんて言われた」という愚痴が残っているくらいだ。
人間というのは変われない。だから同じ過ちばかりを繰り返す。
新しいものというのは「新しい」というただそれだけで叩かれて、拒否されて拒絶されるのだ。
実際、経団連の会長共は「2018年」(もう一度言おう「2018年」だ)になるまでメールを受け付けなかった。
役所には今でもFAXがあり、会社も「書類にハンコを押す」ため、ただそれだけのために社員を出社させる。
人間というのは変われない。文明が始まってから4000年もの間同じ過ちを繰り返し続けているし、これからも人類が終わりを迎えるまで繰り返し続けるだろう。
今回こんな事を偉そうに言う俺も「ソシャゲなんてゲームじゃない」と言ってるから実際には「目クソが鼻クソを笑う」そのものなんだが……。