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天職と適性の話


 最近数か月、定期的にオススメレビューをするようにして、
 書き手よりも読み手の方が向いているのかもしれないと思うようになった。

 色々な作品の草案を練ることに時間をかけるよりも、カクヨムを渡り歩き、作品ごとに真摯に向き合い、レビューを返していった方が良いのではないか。
 今はレビューが書き易い短編作品を対象としているが、時間があれば中~長編作品も視野に入るだろうし、それは新しい経験にもなるだろう。


 とはいえ、それよりもはっきりしていることがある。
 書き手や読み手……つまり文筆に関係するものよりも、今やっている仕事(本職)の方が間違いなく向いているだろう、ということだ。

 小説をはじめ、創作の場所は鬼才が多い。居れば居るだけつくづく分かる。
 仮に自分の適性がAだったとしても、平均がSだったら、大概は実らない。
 母数が多くてなじみやすいから、気軽に挑戦しやすいし、上手くいきそうに見えるだけだ。
(ちなみに、実際の自分の適性は甘く見積もってもDなので、尚のこと実らない)

 更に言えば、選ばれた彼らですら栄光が「ずっと」続いている人は、更に一握りである。10キログラムの米袋にある、たった1粒の金色の米粒のようなもの。


 
 自分が本職で飯を食べていけているのは、たまたま他の方が敬遠しそうな領域に落ち着けたからだ。
 中核となっているスキルは「率先して地雷を踏みにいく」「面の皮が厚い」「体力ゲージが長い」。これだけである。

 それは天職ではない。
 天職というとまさに天が選んだ職業……「適性:SSS」みたいなイメージで、それ以外の職業とは格が違うといったイメージがあるからだ。

 本職に対する自分の適性は、甘く見積もってDがいいところだろう。「仕事楽しー!!」と感じるまでには達していない。
 ただ、席が定員割れだったので、なんとかなっている。


 見渡してみると、人生のサブプランはたくさんある。
 収益のため、精神安定のため、能力向上のため、刺激的な体験のため。目的によって、進むべき道は変わってくる。
 執筆である必要は必ずしもない。
 投資、スポーツ、ゲーム、友人との時間……
 それこそ周りをあてもなくぶらついたり、適当に自分に関係のない分野の本を手に取って、意味わからないなりに読み進めるというのも、ありかもしれない。

 意外とそういうのが天職だったりするかもしれない。

 もう、就職活動という儀式を踏まないと職業と認めないなんていう時代ではないのだから。

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