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トムとジェリー

 というcartoonを知らない人は少なくとも僕近辺の世代にはいないであろう。子供の頃はテレビで見る事の出る娯楽も少なかったから、アメリカ生れのトムとジェリーは日本で生まれたばかりの「宇宙少年ソラン」や「スーパージェッター」などとともに「真剣に見る楽しみ」の一つであった。
 宇宙少年やスーパージェッターは過去の記憶になってしまったが、トムとジェリーには未だに新しい作品が世に出ているようである(最新作は2021年)。
既に83歳の猫とネズミがまだ生きているはずもない。ネズミなどは産まれて三ヶ月もすれば生殖能力ができ、猫だって一年もしないうちに子供が産まれるわけで、今活躍しているトムとジェリーはトム(第83世代)ジェリー(第332世代)なのかもしれない。
 世代を超越して人気のある二匹であるけれど、登場の間隔は次第に伸びてきているようでもある。様々なキャラクターが生まれる中でこの二人、いや二匹もやがて少しずつ忘れられていくのかもしれない。もう少し頑張ってほしいものだ。

 さて、画面ではネズミの方がいつも優勢であり、利口であるが現実を見るとどんなものであろう?
 つい最近まで、家の近所には地域猫や捨て猫が何頭かいて、いそいそと道路を渡る姿なんかを見かけた物であるが、最近とんと見る機会が減った。それとほぼ同期して、頻繁にネズミの姿を見かけるようになった。それも昼日中に植え込みや店の脇からちょろちょろと顔を覗かせる。おそらくはクマネズミであろう。昼日中に姿を現すというのは警戒心がさほど働いていない様子である。
 最近の野生動物は熊にしろ猪にしろ、ネズミにしろ多少人間のことを舐め始めているらしい。退治するだけが能ではないが、動物との共存というのは思ったほど簡単ではない。熊や猪は物理的な危険、それにネズミには病理学的な危険が存在するわけで、ある程度境界をはっきりさせておくのが互いにとっての幸せである。犬とか猫とかは野良でも本来人間との共存の歴史が長い家畜ないしは愛玩動物であり、野生動物とは本質的に異なるものである。だがこの所なぜか、野犬とか野良猫に対する風当たりが厳しくて、最近野良犬の姿などはとんと見ることはない。猫もどんどん周りから消えているのだが、その代わりに都会ではネズミが、地方では熊や猪や鹿が活躍の場を広げているようで、どうもそれが余り良い兆候には思えないのである。
 今時の猫がネズミを捕らえて食すかどうかは分からないが、動くものに対する好奇心の強い猫がネズミを見ればまず間違えなくおいかけるであろうし、場合によってはネズミを殺すことがあるだろう。殺さないまでも猫の存在はネズミにとって大きなストレスであるに違いない。
 日本に猫が登場したのは(西表島や対馬にいる山猫を除けば)およそ奈良時代に大陸から輸入されたものが起源と言われていて、枕草子に出てくる猫などは官位を持っているほど可愛くもあり、また貴重だったのである。だが、日本に猫がいついたのはやはり、ネズミ退治という側面が強かったのであって、そのために売り買いもされ高値もついた事もあるらしい。
 最近は希少な動物(ヤンバルクイナやカツオドリ、或いはアマミノクロウサギ)などを襲うとして恰も有害な存在のように言われているが、そんなのは人間の注意不足であって、そういう地域で人間が気をつけて扱うべきであり猫(や犬)に責任をおっ被せるのはとんだ心得違いである。猫や犬を売り買いした挙げ句、飼いきれなくなって捨てた結果としての「犬猫」という見方もまた、そうした中途半端な愛好家や業者の罪であり、犬や猫なんかは別に人間生活の景色の中に自然に溶け込んでいるのがあるべき姿なのだと思っている。犬猫の姿が消えた結果、自然との境界が曖昧になりそこに野生動物が進出しているとも考えられるのではないか?
 正直言って、家で飼われている高価な?猫やら、散歩でみかける珍妙な犬よりも人間社会と共存して存在していた犬猫の方がよほど役立つ存在であったような気がする。Cartoonの中ではネズミの方がよほど賢く、また可愛いのであるが、現実ではそうではない。そんなことは奈良時代から誰もが知っている事実なのである。野良猫やら野犬をやたらと敵対視する世の中はちょっとおかしいと思うよ。

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