お米が・・・ないそうだ。
確かに近くのスーパーマーケットではいつも米が置いてある場所に、餅やらシリアルが代わりにおいてある。そこに「一家庭、一袋まででお願いします」というビラが貼ってあるけれど、一袋もないのに「お願いされてもね」、と思う。
テレビでも頻りに「米がない」「令和の米騒動」とか煽り立てているが、見ているとコロナの初期にマスクが店頭から消えたときのような「全くない」「入れた途端に売り切れる」という感じでもない。米不足というのは実際に1993年に冷夏に起因したものがあって、あの時は本当に米がなくなり、古米・古古米の放出やら輸入米の出現やら大騒ぎであった。
誰もが薄々と考えているのは・・・本当にないのか?という事だろう。前回の米不足は明確な理由があった。冷夏で米が取れない、場所によっては「0」の生産地もあった。しかし今回は「いったいなぜないのか?」どうも明確ではない。インバウンド需要とか、地震を始めとした災害対策とか言うが、インバウンドの需要は外食である。ないのは外食用の米では無く、家庭用の米である。外食用の米はそもそも長期契約で決まって仕入れられているから不足は無いそうだ。
災害対策で買い占めたという説もあるが、米というのはマスクやトイレットペーパーと違って、一旦精米してビニール袋に詰められたら結構急速に劣化する。買い占める無知な人間がそれほどいるとは思えない。無知な人間は劣化した米と共に爆死すればいいわけで、そのことでは誰も困らない。
というわけで、これは流通が供給を絞ったとしか思えない。そもそも新米出荷が始まるこのタイミングになって「昨年の米がありませんでした判明しました」、と言って誰が信じるのだろう。そんなことを誰も勘定をしていなかったのかというと、農水省は首を捻る、或いは捻った振りをする。
怪しい、とみんな思っている。その流通操作に加担している農水省が米の在庫を放出しないのは当然で、不足の対策は遅くはない、そのうち新米が出回ると放言しているのがその証左である。
だが、実際に店頭にはないわけで、本当に必要なら消費者は多少高くても買わざるを得ない。ここがポイントなのだろう。取りあえず、今まで2000円で売っていた物を2800円で売りたい、と考えたら、どこかで供給を絞って価格を上げ、それが「標準の価格」だと浸透させる必要がある。
だが、成功するのだろうか?
昔は米がない、即ち餓死、ということが多かった、江戸時代は何度も飢饉に見舞われ、そのたびに米問屋が暗躍した。その癖は直らなかったらしく大正時代には米騒動という事件が起こり、戦後直後の食糧難の時期は米が配給制となり、配給をきちんと守ろうとした人間はやはり多くの餓死者を出したという。
餓死者がでようと、自分の利益を守ろうとした商人はやはり多く居たのであって、そうした活動から庶民を守ろうとした大塩平八郎などは今も歴史で語り継がれている。
いや、何も今の米卸が当時のような悪徳商人だと言いたいわけでは無い。実は米の値段というのはここ二十年ほど、僕の経験値としては殆ど上がって居ない、むしろ下がった印象さえある。
それと同じ事が言えるのは卵であった。卵が近年、鳥インフルエンザや気候変動で供給が不足してかなり値が上がったことは記憶に新しい。他の商品、例えば油や小麦も続々と値が上がり、それを使った商品も値が上がっている、とニュースで散々やっている。大企業を始めとした賃金も上がり、最低賃金も金額ベースでは過去一番上がったという報道が成されている。ならば米も、と考えても仕方ないところはある。だが、ずっと供給過多、需要不足が続いた米には卵と同じ手は使えない。例え、今、「米がない」などと突然変なことを言い始めたと思われても新米が出回る前に「価格を維持したい」と供給サイドが思っても同情する面がないではない。なぜ米だけが上げられないのか・・・。
だが、このバックグランドは真なのだろうか?高齢化が進み、人口が減少する世の中において、無理して「明るい未来」を演出しているのが今の日本の現状では無いか。技術革新は日本では有効な生産の向上を齎さず、むしろ労働力の削減に寄与し、今不足している労働力は決して生産性の高い未来志向のものではない。いや、輸送・小売り・飲食などは寧ろ今後人間から置き換えられていく職種である。
呪文を唱えても景気は良くなるものではない。「有効需要」というものが唯一、景気を回復する物であり、その「有効」というのは、買い手が「欲しい」と湧き出るように欲求するものである。無理矢理作り出せるものではないのだ。景気は気だから、などというのほほんとした考えは今の時代は通じない。景気の気の部分は、呼び水的なことはできるけど本当に「気」なのだというのはとんでもない勘違いなのだ。
多少の不足を演じてみても、実は「価格上げ」は思ったほど世間で成功しなかったように僕には思える。1リットルの油を198円で安売りするところはなくなったが、やはり400円ではなかなか買って貰えずに298円、278円、258円とじりじりと安売り価格は下がっている。
菓子パンを6個から4個に減らして値上げをした結果がどうなのか、僕はしらないけど、やはり少しずつ安売りが増えているように見える。
まあ、菓子パンなどはなくても困らないもので、油や米と多少性格が異なるが、経済的に明らかなのは昔と比べて「代替材」が非常に増えたということで、「米」「サラダ油」にもそれなりの代替材が存在してしまい、供給を絞るという事が果たして正解なのか、良く分らなくなっているのが実態では無いか。
日本産の米が店頭からなくなるのは寂しいが、少なくても我が家では代替食(麺など)の回数が増え、アメリカ産の米も買うことになった。困ったことに買った人はアメリカ産の米は意外と美味しいことに気づいてしまう。正直言って、日本産の米の中には「どうも表示とちがっているんじゃないか」という米も時折混じっていて(これに気づくのは相当レベルの低い混ぜ物が入っている時であるけど)へたをすると業者によっては自分の首を絞めてしまうのでは無いかと心配になる。(米というのは産地や銘柄で選ぶより産地直送なのか、とか卸がどこなのか、の方が実際は正確であるという残念な経験値もある)ちゃんとした米農家、まともな卸業者には是非頑張って頂きたいが・・・。ちょっと違う考えがでてくる小売りや卸も存在するのは事実である。
その上、小売りに「見る目がない」というのは実態として僕らは知っているのだ。「熊本産」のあさりを売っていたスーパーは何の釈明もしていないまま平然としているが、小売りのプロとして果たしてどうなのか?消費者を騙すことに加担していた自覚はないようである。そしてそういう所に限って米もない。よく考えてほしいものである。