「My Bests(僕の好きな長編小説)」に三島由紀夫の「豊饒の海」をアップするに当たって三島が着想を得たという「浜松中納言物語」を読み始めたことはそこに書いたのだが、「豊饒の海」の項を書き終えて半月近くたって漸く読了した。
対訳なしの原文を寝る直前に2ページほどずつ、読んでいくという形態だったので時間がかかるのは仕方ない。そのうえ、校注にもあるように、意味の通らない箇所がかなり多い(これは写本をする際に転記ミスがあったり、勝手に書き加えたり、或いは削除したりという部分もあるのだろう)。
読後の感想を端的に言えば源氏物語の一部を海外展開(展開の先は唐)したような物語である。
この小説を書いたのは菅原孝標女ではないかと言われている。彼女は「更級日記」の作者で、僕は平安朝の文学の中でも特に高く評価し「My Bests(僕の好きな短編小説)」にも載せている。
「浜松中納言物語」がその彼女の作であるというのは藤原定家が言っているのである。また勅撰和歌集の中に菅原孝標女の作、とされている物があるのも定家の考えを踏襲した物であろう。だからといって、必ずしも史実かどうかは分からないが「更級日記」に書かれているとおり菅原孝標女は「源氏物語」の熱心な読者であり、また優れた文学者であったことは間違えないからそう言う同定がでてきてもおかしくはない。
この物語は今「首巻」と言われる最初の部分が散逸しているので、肝心な物語の「設定」は推測によるしかない。しかし、この物語が輪廻転生を前提とした予知夢を主題としていることは明らかで、主人公の父親は転生し、唐(実際は菅原孝標女の生きた時代には既に唐は滅び、宋の時代となっているのだが、既に中国との行き来は遣唐使の廃止によって途絶えていたし、この時代の人にとっては中国と言えば「唐」だったのだ)の王子となるという予知夢が前提となっている。その夢に従って、浜松中納言は唐に渡り、そこで皇后と関係を持つのだが、ここらへんは「源氏物語」の主人公に通じるところがあり、日本に戻ってきた時に彼の子供を身籠もった上に出家した「尼姫」は葵の上に、実際は関係しておらず東宮である式部卿に連れ去られた吉野姫は紫の上に通じるものがある。
さて、三島の「豊饒の海」がこの小説に通じるものがあるかといえば、先にも記したとおり予知夢という設定以外には僕はそんなものは余り感じない。また、三島自身が書いている「もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼ぶもののはうが、不確定であり、恒久不変の現実といふものが存在しないならば、転生のはうが自然である、と云った考へ方で貫ぬかれてゐる」という文章ほどに徹底した現実からの逃避というものが作者にあるのか、聊か疑問ではあるが、菅原孝標女という人が「夢見る少女」のような人間であったことは更級日記からは強く察せられる。そんな「夢見る少女」の書いた王朝文学の掉尾を飾るような書を読むというのも「源氏物語」という大作を読むのとまた違った楽しみがあった。
この書と三島との関連は「My Bests(僕の好きな長編小説)」の「豊穣の海」の項に詳細に描き込んだのでご興味があればぜひ読んで頂きたい。