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夏の名残の海 或いは「シーシュポス」vs「フナムシ」

 9月28日、東京の気温は昼過ぎには30度を上回ると予報され、日は眩しく空はくっきりと晴れ上がっていた。
 ああ、夏ももう終わりだなぁ(本当は立秋と共にとっくに終わっているのだけど)とふと思ったとき、なんだか心が動いて、僕は迷わず電車に乗って海へと出掛けたのであった。ふふ、会社を辞めて・・・暇だとこういうことが気軽に出来る。
品川で京浜急行に乗り換え、三崎口行きの特急に乗ると、1時間も経てば三浦半島の付け根に到着する。別に行き先は鎌倉でも大磯でも構わないのだけど、京急の終点、三崎口からバスに乗って行く城ヶ島や油壺が今は僕の気に入りである。着いたときにどちらのバスがあるか、で決めるとほぼ確実に行き先が城ヶ島に決まってしまうので30分ほど待って油壺行きのバスに乗った。
 バスには旅行者らしい女性の二人組の他は地元の高齢者ばかり、バスが止まるたびに「よっこらしょ」と立ち上がってから前の扉へ向かうので、全体的にテンポが悪い。でも走っている内に立ち上がったら誰かが怪我することは確実な高齢社会。僕も日に日にその一翼を形成しつつある。東京からわずか1時間の距離でもこんな風景が日本の現実の日常なのだ。
 終点の油壺まで乗っていたのは結局、旅行者らしい二人連れの女性と僕だけだった。京急は本当のところ、油壺まで路線を伸ばしたかったらしいが土地取得の経緯で色々あって断念したらしいときく。まあ、この季節に終点まで僅か三人しか乗っていないのだからそれが正解だったかもしれないなぁ。

 バスの停留所から少し先に行くと左手に東大の臨海実験場があり、その脇を海岸の方へ切れ込む道がある。その道を辿っていく。初夏にきたときはウグイスの美しい声が聞えたけれど十月間近にもなれば既に蝉の声も途絶えており、夏を生き伸びた揚羽蝶がひとり優雅に空を舞っている。
 左側の木々の間からは途切れ途切れに油壺湾の景色が眼下に見える。高所恐怖症の僕には少し怖い景色なので足早に道を抜けていくと、やがて右手に砂浜へと降りる階段が現れ、そこを降りていけば砂浜へと辿り着く。夏の真っ盛りならば、たくさん海水浴客が居たのだろうけど、人影はちらほらと見える程度しかいない。
波打ち際を通って、岩場へと向かう。この海岸はかつて伊豆が日本列島に衝突したときに捩れた大地の苦悶がそのままに切り立った崖に褶曲を描いている。持ってきた組み立て式のダイレクターズチェアを据え、崖と海を交互に眺めた。風は激しいが、体から適度に温度を奪って、日差しに関わらず快適である。鞄から本を取り出した。先だってアルベール カミュの「異邦人」について書いたのだが、その時「シーシュポスの神話」を未読だった事に気づいて入手した物である。
 「異邦人」の定価が180円だったのに、こちらは630円と同じような厚さなのに値段は3.5倍、本の値段はレコード(CD)と違って物価と連動しているようでなによりである。

 さて、ご存じかもしれないが、この書物は「シーシュポスの神話」というタイトルではあるがものの「シーシュポスの神話」という文章そのものは最後の方に僅か8ページしかない。それでもこの書物が「シーシュポスの神話」と名がつけられたのは(おそらく)編集者の才覚に違いない。ゼウスに依って罰せられたシーシュポスが幾ら持ち上げ頂上に辿り着こうが、その途端転がり落ちてしまう岩を永遠に押し上げ続けなければならない、その行為がカミュの提示する「不条理」の代名詞として相応しい事は確かである。
 どこかの台所洗剤の広告で多部未華子さんが「洗っても、洗っても、繰り返し」洗い続けなければならないと愚痴っていたが、敢て言えばこれも「不条理」の1形態である。いや、改めて見直すと世の中は「ほぼ不条理」で満ちている。ただ、タイトルが「多部未華子のコップ洗い」だと、ちょっと重みに欠けるのは避け得ぬ。
 その点、テッサリア王の子で、コリントスの創建者であるシーシュポスは神を二度まで欺いた。就中、二度目はタナトス(ないしはハーディス)でどちらも死を司る神であり、そんな連中が騙されたものだから暫く誰も死ななくなったという困った事象が発生したほどである(これに似た話は中南米では「死神」がミセリア(極貧という意味だ)おばあさんに騙されて梨の木に登らされその間中、誰も死ななかった、という民間説話がある。日本の落語でも「死神」という話の趣旨は違うが、死神を騙す話があって、昔の人は東西を問わずよほど死神を騙したがっていたようだ)。その由緒正しく機知に満ちたシーシュポスが受けた罰ということになれば、普遍性はだいぶ世界に広がる。
 話が逸れた。元に戻そう

 「シーシュポスの神話」の「不条理な論証」というエッセイを途中から読み始める。このエッセイの始まりはカミュにとって「唯一の重大な哲学上の問題」としての「自殺」に関する考証だという宣言から始まる。といっても、自殺というのは「不条理に対する最終的な態度のありよう」という提示である。
 「異邦人」の主人公たるムルソーが「上訴を拒否し(或いは可能性なしに)」従容として「死に向かい」つつ、尚「決然と教誨師の説得を断った」風景を思い浮かべながら、僕は読み進めた。風が、挟んであったメモ代わりの紙を二度も吹き飛ばしたのには往生したけど、目で舞っていく紙の行き先を追ったときふと周りの風景が「異邦人」に出てくるアルジェの海岸を想起させることに気づいた。
 その海岸はムルソーがマリアという恋人と(母の死後、すぐに)訪れ戯れた海岸でもあり、そこから離れ友人たちとバスに乗って行った先、ムルソーがアラブ人を射殺した海岸でもある。(風景はどちらかというと後者かなぁ、一緒に女の子がいないし)。
 そんな風に聊か文学的、かつささやかに哲学的な気分になっている最中、ふと足下に何かが動いたのを見つけた。フナムシである。目をこらせば、あちらにもこちらにも・・・小さい奴から大きいのはゴキブリ位の大きさまであり、色もそっくりで足も速い。その上臆病なくせに好奇心があるらしく全然人を怖がらない。嫌な奴である。手元に銃があったら射殺したくなるような奴であった。(ちなみにフナムシは虫ではない、どちらかというとエビやカニに近い生物である)
 残念ながら銃は持っていないので、こちらが岩場から砂浜に逃げた。しかし暫くすると、一匹、二匹と数は少ないがしつこく砂浜まで追ってくる。仕方なく椅子を畳むとその場を離れた。フナムシに読書を邪魔されるのは少し不条理な気はする。かくてシーシュポスは敢えなくフナムシに敗れてしまった。
 先ほどの階段の近くの浜辺では若い女の子が寝そべっていて、そのすらりとした脚を引き波が執拗に狙っている。やがて脚と戯れるのに成功した白い泡は女の子を海の中に引き摺りこもうと画策しているのであろうか。その向こう側では五十過ぎの腹の出たおじさんが、孫であろうか小さな女の子を抱え、あやしている。両手で女の子を持ち上げるとゆっくりと水に沈める。女の子はキャーと大声で叫ぶ。だが、何度も繰り返していると声はだんだんと小さくなっていく。もしかしたら飽きただけなのかもしれないし、「いい加減にしろよ、このオヤジ」と密かに心の中で思い始めているのかもしれない。
 夏の終わった人気の乏しい秋の海にも小さなドラマはそこらじゅうに溢れている。

 昼食にしようと、階段を上り来た道を引き返す。途中に「油壺」の由来を書いた看板があったので、読むとその一帯は鎌倉幕府の有力御家人であった三浦氏が宝治合戦で北条氏に滅ぼされた後に、その傍流が北条氏に仕えて再興した相模三浦氏の、最期の地となったとある。相模三浦氏は後北条氏(伊勢新九郎、後の北条早雲の興した家)に滅ぼされることになる。三浦氏はよほど北条という名との相性が悪いらしい。
 相模三浦氏が最後に立てこもったのが新井城、その城を抱えるようにしている海が油壺湾である。その名の由来は、北条氏に敗れ敗走した三浦氏の血で湾内が黒に(或いは赤に)染まり、それが油の壺のようだったからだと言われているらしい。昔の油が何色だったのかは浅学にして知らないが、黒ならば油壺より墨壺の方が相応しかろう。赤の油は昔なら不純物の関係で、ありそうではあるが、油壺が血の色から出たというより、内湾であるこの美しい小湾の波も見えない水面が油を引いたように見えたからと信じたい。「へいぼん」ですみません。

 バス道路に出て温泉のあるホテルのレストランでマグロ丼を頼んだ。以前なら、もう少し量の多いものでもペロリといけたのだが、患ってからというもの、丼飯一杯が外食の限度である(退院したばかりの頃は牛丼一杯を食べ終えるのに30分も掛かってしまったものだ。それまでは5分くらいで完食できたのに)。
 上に刺身、下に漬けのマグロの二層になっていて美味しかったが食べている途中でやはり少し胃の上のあたりが苦しくなり、ゲップのようなものが頻りにでてくる。そんなこともあるので外食はほんとうに機会が少なくなったなぁ、とちょっと切なくなる。
 店員さんにバスの時間を確かめて席を立つ。時にはこんな気ままな小旅行も悪くないなぁ、と思いつつ帰りのバスに乗り込んだ。一緒に乗り込んできた夫婦二組は一緒に温泉にでもやってきたのだろうか?うん、今度は秋にでも来て(だからもう秋なんだって・・・)温泉にも入ってみようかな。

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