某芸能事務所と書いたのは、もちろん、その事務所に冠された人物名を書くのが嫌だからだし、そんな名前を冠したままで事業を継続しようとする当該事務所の無神経さに反発しているからである。蟷螂の斧であるかもしれないけど、それが普通の感情でしょ?こやつ、性犯罪者ですよ?
ところがテレビで見ていると、どこぞの通りがかりの女の子たちがインタビューを受けて嬉しそうに
「なじみがある名前だしぃ、ブランドだから・・・継続して良いと思います」
なんてのたまわっている。もしも同じ事を「所属する少年」ではなく君たちが、即ち女の子たちが被害者だったとしたなら、
「許せなぁい、きもい。名前もききたくない」
などと「のたまうん」でしょう。テレビもそんな人にインタビューをしてはいけない、と僕は思うんですけど・・・。
国民の声って、聞けば良いというもんじゃないし、そんな馬鹿なことを言う女の子たちにしても自分の愚かな発言が日本中にばらまかれた挙げ句アーカイブに残されたら可哀相でしょ。そんなの、一種のdigital tattooみたいなものです。
よって事務所の名前を僕は記さない。現在、日本に於いて最も悍ましい人物の一人だからである。しかし、この件を巡る日本のあまりにもお粗末な反応(上記の女の子たちのような原初的な反応はともかくとして)に同じ日本人としてびっくりしている。これから幾つかの論点を挙げていこう。
1)この機に乗じてマスコミ批判を行うお馬鹿さんたち。
マスコミがこの事務所に忖度して事件を公にしなかったというのが第三者委員会による結論の一部である。事実、テレビ局にとってこの事務所所属のタレントを使用できないとすれば、視聴率に大きく影響する可能性があった事から「おおごとにしない」という判断をし、それがこの事務所の思い上がりに通じ、この犯罪を助長させたのは厳然たる事実だ。
その始まりは1960年代、今から60年以上前・・・ハラスメントという言葉さえなく、倫理という言葉はテレビ業界に辞書の一番奥底に隠されていた時代である。テレビ業界はその時代の名残を引き摺り、スポンサーの意向、視聴率、視聴者の意向、芸能事務所の力などの波を掻い潜りながら、長期的低迷の世界を流されてきた。それは「マスコミという社会的使命」を帯びたパワーと言うより長期的衰退に直面した私企業という側面の方が残念ながら強かった。
マスコミには幾つかの問題があるが、それは「構造的な問題」に起因しており、此処のマスコミやそれに所属している人間の問題ではないことが多い。
例えば、新聞社がテレビ局を所有している問題。テレビが政治・社会・経済・文化などの「報道番組」を中心に編成されているならともかく、テレビの収入源であるスポンサーフィーは主に娯楽番組(ドラマ・バラエティ・音楽など)がメインに担ってきた。そうするとそうした番組への供給元、即ち芸能事務所、やそうした番組のスポンサーに対する配慮が一定、必要になってくる。本来なら報道の一部として新聞とテレビという手段を使うという構造が、本末転倒になっているのである。
そうしたマスコミが批判の機能を失ったのは由々しい事態である。とりわけその点で今回の騒動ではNHKの罪は一等、重い。そもそも、NHKは報道を重視すべきであり、エンターテインメイントとそれによる視聴率に絡み取られても構造的に仕方ない民間テレビに比較して、報道の本旨を全うできる体制であり、全うすべき立場である。時代によって倫理の価値観が変わっていったことに社会の木鐸は気づくべきである。(セクハラが許され、不倫が許されなかった50年前とセクハラが許されず、不倫がさして問題にならなくなった価値観の変更のようなシフトがあったとしても、だ)
とはいえ、鬼の首を取ったようにマスコミ批判をする輩は「何があろうとマスコミが悪い」事を主張する集団であり、マスコミがそうした低次元のレベルになったのは自分たちの所為だとはちっとも思っていない。マスコミのレベルが下がったのは国民のレベルが下がったことの裏返しだと僕は思っている。
そもそも、マスコミを批判している人間は、この芸能事務所の元社長が極めて怪しい人物で、所属タレントに対していかがわしいことをしているという事実を知っていたはずではないか?そんな事は僕だって知っていた。自分が知っていて、忌避しないくせに人の批判をする人間の本性など高がしれた物である。
2)次に「この告発は英国のBBCによって取り上げられた。ハーヴェイ ワインシュタインを逮捕し39年の禁固刑とMe Too運動を生み出したアメリカと比較しても日本は遅れている。西欧の民主主義は素晴らしい」と講釈を垂れる方々。
確かにその通りではある。だが・・・そもそも、ワインシュタインにしても今回の騒動の主役にしても、たかだか映画とかテレビの主でしかない。そんなものに牛耳られている業界や社会というのはとてもではないが褒められたものではない。しかし、真の闇はそこ以外にも存在する。
ヨーロッパでは権威に隠れて行われている少年に対する犯罪はもっと重要な部分に存在する、と言われている。一番の巣窟は教会、それ以外にも例えば少年合唱団。宗教団体は新旧、洋の東西を問わず社会の常識に反する「特殊な倫理」を歴史的に保持し、或いは作り出す。正しい宗教は心の慰めになることを否定しないが、宗教はその広がりを求めるときに常に「異質なもの」を取り込む傾向にあり、常に劣化のリスクに晒されている。そして宗教は身内には寛容なシステムであるから、一挙に汚染が進む。しかし対外的にその膿を晒すことは宗教そのものの危機であるから自浄作用は働かない。権威を持った宗教は中にその崩壊の萌芽を抱えたまま存続する。恐らく西洋だけではなく、あらゆる宗教にそれは存在するのだが、西欧社会においてさえ、その大きな闇を切り裂くことは出来ないのである。ちんけな芸能事務所など、そうした闇の小さな一部でしかないことは確かである。そうした闇に切り込んでこそ、正しい社会の木鐸なのであり、BBCと雖もそこに遙かに達していない。
3)ジャニーズの関係者や所属タレントたちは被害者なのだろうか、加害者の一部なのであろうか?
被害者ではあるが、加害者の一部を「色濃く」構成しているという事実を無視してはいけない。純然たる被害者は彼に性的被害を受け、抵抗し、事務所を退所していったものたちである。所属タレントの一部は、彼の行為を受け入れ成功者になったのかもしれない。或いは他人が被害を受けるのを見て見ぬ振りをして事務所に残ったのかもしれない。或いは噂程度として聞き流しただけかもしれない。しかし、いずれにしても犯罪に消極的とはいえ加担した事実は否めないだろう。
その人たちが新しい経営陣になったからと言って会社の根本は変わらないと言うことは社会に「見切られて」いる。経営陣、社名、方針、今のところそのいずれも社会を納得させるレベルに遠く及ばない。このままならば末日の帝国のように勘違いをしたまま滅亡を迎えることになるだろうし、健全な社会ならば「そうでなければならない」。
被害者からしてみれば、当該事務所が「潰れてしまったら」経済的補償が得られない懸念があり、事務所側も「それ」を目的とした事務所の存続を目指すのかもしれないが(まるで東京電力のようである)そんなものは不要で、元社長の個人的財産及びその継承者の財産でまかなうべき性質のものなのである。本当に能力のあるタレントは実力で残れば良い。そうでない人たちは消えてしまうのも致し方ないことであろう。
4)この犯罪はLGBTQ+にどのような影響を与えるのか?
一番の懸念は実はここにある。男性による女性への加害、という典型的な構図に対してよほど陰湿な同性による性的加害という事実が醜く晒されたことがLGBTQ+の考えにプラスの影響を与えるとは到底思えない。こういう奴がいるから「同性愛」は「許せない」「気持ち悪い」、というネガティブな印象を与えたことは否定できないであろう。その意味ではワインシュタインよりも遙かに悪質なのである。
本人は墓の中でぬくぬくとしているだろうが、この世の中には「こほたむ」(毀たむ)べき墓は結構たくさんあるのかもしれない。そんな事さえ思う事の多い今日この頃である。