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二人の偉大な変人(オットー クレンペラー、そしてウォルター レッゲ)

 クラッシック音楽を聴き始めて50年以上が経った。
 若い頃はカラヤンやベームといったドイツ・オーストリアの音楽界(ベルリンフィルやウィーンフィルなどの世界トップのオーケストラ)を牽引する指揮者を聴いていたのだけど、やがてクライバー(カルロスもエーリッヒも)やライナー、ムラヴィンスキー、ミトロプーロスなど、徐々に「新旧の時間」や「大陸・地域」を越えて幅を広げていった。
 そんな中、ドイツから海峡を一つ隔てただけのロンドンで活躍していたオットー クレンペラーだけはその名声に関わらず、避けていた事を僕は否定できない。
 この音楽家の名前を知ったのは実は中学生の頃、角川文庫ででていた「世界のこぼれ話」(というタイトルだったかは正確に覚えていないが)の中でであった。指揮者台から転げ落ちたとか、指揮棒で自分を刺したとか、火だるまになったとか、そんなエピソードを読んだときであり、音楽そのものからではなく、いったいどんな迂闊な人間なのだろう、「音楽馬鹿」なのかしら、と呆れていた。しかし、ある日LPのジャケットにある写真を見、その男が異様に厳つい鷲鼻の男と知ったとき、そのギャップにやられてしまったのかもしれない。
 冗談なぞ一個も通じそうにないこの怖そうなドイツ人(ユダヤ系ドイツ人であり身長は2メートル有ったと聞く)が冗談としかおもえない愚行を繰り返したことが却って不気味であった。その後、とんでもないセクハラ体質であった(のは本性というより病気の後遺症でもあったらしいのだが)とか、滅茶苦茶口が悪かったとか、(ワルターとの逸話は有名である)どうにも音楽以外のところで評判が悪すぎ・・・。そのためか「敬して之を遠ざく」、という論語の謦咳に従った「鬼神扱い」はほぼ50年続き、その間に買ったのは僅かにベートーベンの7番交響曲、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の2枚・・・。
 どちらもその曲のベストとまでは思わなかったけど、今思い起こしても、とても「気にかかる」演奏であった。
 けれどその「気」はそれ以上広がることはなく、彼の手勢であるフィルハーモニー管弦楽団(とニューフィルハーモニー管弦楽団)の設立の経緯も知らぬまま僕は馬齢を重ねてきたのである。そのフィルハーモニー管弦楽団がEMIの音楽ディレクター、ウォルター レッゲによって個人的に設立されたオーケストラだと知ってその規模に度肝を抜かれたのもつい最近のことであり、(個人がオーケストラを作るという発想がなかった)それがいつしかクレンペラーの為に使われ個人的な専属オーケストラへと変化し、その上英国病のために設立者からいきなり解散宣言をされるというような経緯を辿っていた事さえ知らずにいた。
 てっきりバルビローリの監督下にあったハレ管弦楽団のような昔からあるオーケストラだと思っていたのである。(バルビローリ/ハレ、トマスビーチャム/ロイヤルフィル、マルコムサージェント/ロンドンフィル・・・懐かしい響きの組合せである)もっともフィルハーモニー管弦楽団などと、偉そうな名前なので勘違いしたのも理由の一つかもしれない。ウィーンフィルとかベルリンフィルとか、地名を冠するのが普通であるのに、いきなりフィルハーモニー管弦楽団って「どういうこと?」と思うではないか。オックスフォード大学とかケンブリッジ大学とかの話に突然、「大学」という名前の学校が登場したようなものである、と、まあ言い訳をすることになるのだが、これもフィルハーモニーというのが「音楽の愛好者」とか「楽友」という意味であり、その語源を調べずに勘違いする方の責任である。
 破天荒、性格破綻者タイプの指揮者クレンペラーを後押ししたレッゲという人物もなかなかの型破りの人物である。イギリスの音楽界とEMIというレコード会社を背負い、カラヤンやらリパッティやら気難しい芸術家と渡り合い、その中でも取り分け扱いの難しいオットー クレンペラーという人物に惚れ込んで(クレンペラーはアメリカで様々な問題を起こしたために、その時期は過去の人物として「死んだ」ような音楽家扱いであったのだけど)様々な名盤を遺した挙げ句「リストラ」を敢行しようとしてそれが失敗する、という一人芝居の極みみたいな行動力は余り「クラシック音楽界にいなさそうなタイプ」である。
 で、どういうわけか、この歳になってクレンペラーの指揮する演奏が気になってきたのは何故だろう?最初はベートーベン、ついでブラームスのミサ曲とバイオリン協奏曲、ロマン派の交響曲集(シューマン、メンデルスゾーン、チャイコフスキーにフランクとベルリオーズ等を加えたアルバム)ブラームスの交響曲・・・。手元にどんどん貯まっていくCDボックスの写真の厳つい表情は変わらない。
 そこまでは余り抵抗なく手に入れていたのだけど、残った2人の作曲家を前に心が躊躇った。一人目がマーラーである。クレンペラーがこの世に出たのはマーラーが推薦したからである。そのマーラーを評価し、尊敬しながらも一方で批判もしたクレンペラーの演奏に意味があるのは理解できるが、そもそもマーラーの耽美的な曲想とクレンペラーの式のスタイルが合うのかどうか?別にワルターに義理があるわけでもない。ワルターの「大地の歌」は好きな演奏だけど、それ以外は滅多に聞かない。どちらかというともっとあっさりとしたアプローチであるセルとかライナーの指揮を好んで聴いている。全く正反対のバルビローリの5番と9番も好ましいと思っている。だがクレンペラーのものは恐らくそのどれとも合致しない。
 もう一人の作曲家がモーツアルトである。ベートーベンやシューベルト、メンデルスゾーンなどの名演を聴くにつけ、むしろモーツアルトへの期待は下がっていったというのが実情である。クレンペラー自身はモーツアルトを好んでいたようで、交響曲のみならず、管弦楽曲やオペラなども数多く演奏しているが、僕に取って好ましいモーツアルトの演奏は、どちらかという小規模のアプローチ(ベンジャミン ブリテンのもの)や柔らかい音質の指揮(オットマル スィットナーの演奏など)で、クレンペラーの方向性とはどうも合致していないという事は容易に想像がつく。
 と、言いつつ結局僕は彼の演奏によるモーツアルトの交響曲集を買ったのである。恐る恐る最初に聴いたのは、コシファントッテの序曲・そしてシンフォニーの25番、小ト短調。
 予想は違うことはなかった。小ト短調の1楽章から余りに速いテンポ、執拗に繰り返される雨音の叩きつけるような響き。額縁に入れた雨の風景と、実際に体に吹き付けてくる嵐のような違いがそこにある。
 僕はモーツアルトが好きで、クレンペラーもモーツアルトを愛している。でも、今のところ僕はクレンペラーの演奏するモーツアルトを余り好きになれていない。それが永遠にそうなのかは分らない。音楽の好みが少しずつ変化するのは何度も経験してきた。いつか、僕の耳はクレンペラーのモーツアルトを理解し、僕らはわかり合える日が来るのかもしれないし、そんな日が来てくれれば良いなと思っている。クレンペラーの最初のCDを買ったのは恐らく30年以上も前で、30年を経てから僕はクレンペラーという指揮者を再評価したのだ。これから30年、もしも生きていたならば、だけど、クレンペラーのモーツアルトを好きになることもありそうな、そんな気がする。

 もう一度僕は1955年盤のベートーベン7番を聴いてみる。それが僕のクレンペラーの原点である。奇妙な性癖を持ち、様々な怪我と病気に悩まされ、短気さでは右に出るものはなかった男。それでもなお、音楽家としては「尊敬」を受け続けたクレンペラーという奇才がそこにいる。彼はマーラーという大作曲家からgifted であると認定された。そんじょそこらのgiftedではなく、本物のgiftedであることは疑いを入れない。やがて僕はマーラーのCD(これは全集ではなく、クレンペラーが好きな曲しか入っていない)も買い、もしかしてすぐ好きになるかもしれないし、モーツアルトと同じように時間を掛けて好きになっていくのを望むのかもしれない。

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