本日(この文章を書き始めたのは8月24日である)福島第1原発の海洋放流が開始された。正直なところ、この話が持ち上がって放流に至るまでの時間は思ったより短く、通常「話を挙げて世間の様子を見ながら徐々に話をなし崩すパターンに慣れていた国民の目にはやや性急と映ったであろう。IAEAのお墨付きがあり、「それが世論に与える影響が有効なうちに」、とか何らかの理由があったに違いないが、それはマスコミの追求に任せたい。だが、その背景には必ず何かがある。そういうのをきちんと探るのがマスコミの本来有るべき姿であり、大本営発表を鵜呑みにしてはいけない。
もちろんこれに反対する人々はたくさんいるわけで、1番影響を受けるのはやはり漁業関係者である。「風評被害」と一概に「風評」とまで言い切ることはできないが経済的影響を否定できない。これを批判する人間はたくさんいるけど「ではあなたたちは安心して海産物を食しますか?」といわれて、少なくとも躊躇うことなく「はい」、と答え、それを実行できる人だけがその「反対を批判」することが出来るわけである。
科学的根拠があってもなんとなく怖い。そういうものは避けたいと感じる。風評というのはそういうものである。根拠のはっきりしない噂に流される人はそもそも余り人を批判しない方が良いが、往々にしてそういう人間ほど攻撃的である。自信が無く、人の意見に流されがちで不安だからこそ攻撃的になる、というのは単純なメカニズムである。
もっとも漁業関係者にしても「放出は約束違反」みたいな話をいつまでしても、物事は進まない。このまましていればいずれ溢れるのである。何の処理もしないまま溢れてしまったら目も当てられないわけで、そんなことも理解できずに文句を言っていても仕方ないであろう。下手をすれば「ごね得」みたいなことを言われかねない。原発事故に由来する様々な「ごね得」やら「不正行為」が頻りに発生した(その後はコロナでも同様なことが起こった)この国では「そういう視線」も存在するのである。
他にも外野から様々な反対の声が上がっているが、基本的に「トリチウム」の放流そのものに関しては国際機関の評価に準じて構わない、というのが標準であろう。もちろんトリチウムが全く無害と言うことではなく、自然でも生成されるトリチウムは人工的に生成されるものと含めてあくまでその濃度との関連によって影響を観察しなければならない。とはいえそもそも核実験を行ったり、他国が行うことを許容していたりする国家が「世界の共通財産を傷つける」などと正義面をするのは笑止千万であり、まずは自ら土下座をしてから人を批判するのが宜しい。まあ、水産物を輸入しないというのは結構なことで、是非自らの海産物・農産物で「安全な食生活」を送っていただきたい。その国家の食料を食べて真剣に健康被害に遭った人を僕は何人か知っているけれど。
「反対」には二つのパターンがあって、それを混同して批判するのは避けなければいけない。漁業関係者を某国家の手先などと詰るのは多きに間違っている。何であれ「風評」というものによって実害を受けることが明らかな関係者と、実害はないのに「風評」を起こす側に回るものたちであり、後者は国内外を問わず、厳しく問い詰める必要がある。
それはともかくとして、この放流に関して僕は二つのことを懸念している。
一つは従来通り政府が「東京電力」を通して本件を処理しようとしていることに対する懸念である。東京電力という会社は今や半分「ゾンビ」と化した企業であり、将来にわたって健全に維持できるかどうか分らない企業になってしまった。少なくとも今後「非常に優秀な人材」がこの会社に入社しようとするであろうか?ということを政府関係者は冷静に考えねばならない。本来なら他の電力会社と纏めて発送電分離をした上で送電会社として(必要なら送電地域を再編し、何らかの競争原理を取り入れ)分離し、一方で補償を担当する会社を国有化して投入される「国民負担」を明確にすべきであり、同時に「発電」を国家としてどうするか真剣に取り組まなければいけないのを、あいも変わらずの経済産業省という三流化した省庁が目眩ましのようなことをやっている。東京電力の社員に対して現段階で不審を抱いているわけではないが、将来にわたって「信頼できる会社」であり続けることは難しいのではないか、と懸念を抱かざるを得ない。他の電力会社に関しても同様で、特に関西電力には懸念が残る。かなり犯罪に近いこと(原子力発電に関連する地方自治体との癒着、他の電力会社とのカルテル)がこの会社の周囲で起こっている。それらを総合して地域電力会社のあり方の見直しを指導すべき省庁は果たして三流という呼称を返上できるのであろうか?
もう一つの懸念は最初の懸念と関わることである。日本が1番注意しなければならないのは国家として、国際的な信認を破るようなことがあっては決してならないということである。IAEAを初めとして特殊な国家を除いて放流を認めているのはあくまで「ALPS処理」を完全に行ったものを認められた数値・処理手続きによってのみ放出する、という厳格な運用である。その点をなおざりにした途端、日本は特殊な国々並、あるいはそれ以下の扱いを受けることを甘受しなければならなくなりかねない。トリチウムそのものの濃度、トリチウム以外の放射線物質の流出、そうしたコントロールは東京電力に任せてはならない性質の物であるはずだ。国際機関もそれを懸念しているのであろう、監査について全面的に協力をする構えを見せている。政府はその意味をきちんと理解しなければならない。
即ちこの点に関しての覚悟は「東京電力」に問うのみならず政府・行政として責任を持って行わなければならないのは明白である。
もちろん一義的に責任の有るのは経済産業省である。この問題の最初、即ち、津波に備える事を怠った会社の管理責任から現代に至るまで原発関連の事故における経済産業省の責任は限りなく重い。
残念ながら東京電力は「トリチウムの半減期」以上には残るかもしれないが、いつまでも存在できるような構造にはなっていない。その上ALPS水処理の全ての処理が終わるのには数十年がかかり、その数十年後にも「残存する放射能廃棄物」は残るのである。トリチウムの半減期は12年、それでも世界に存在するトリチウムのかなりの部分は1940年代から行われた核実験(と広島、長崎での核使用)の結果である。福島第1原発の残存には半減期の短いトリチウムだけではなく、さまざまな放射能廃棄物が存在する。それをどうするのか、未来に負担をかけることを最小化する知恵と努力が求められているのである。経済産業省は東京電力と違い、良くも悪くも国家が存立する限り半永久的に残る組織である。その組織が現状のままでは日本のお先は真っ暗、なのかもしれぬ。