• 歴史・時代・伝奇
  • エッセイ・ノンフィクション

歴史的建造物の話(2)

 先だって目黒の土浦亀城邸を訪れたら既に解体されてしまっていたという文章を書いたばかりである。その訪問のきっかけになった「近代建築散歩」という書物は図書館から借りたものだから当然返す期限がある。近々その返却期限が来るので返す前に一軒くらい見ておこうかと思い立ち、眺めていると「白金ハウス」というハーフティンバー(チューダー朝様式)の洒落た建物が白金台にあると書いてある。ロンドンで住んでいたのも同じ様式の建物であった。懐かしい。そこに行くまでの通り道にある東京大学医科学研究所は何度も脇を通ったし、仕事の関係で建物の中に入ったこともある。また東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)も訪れたことがあるので「白金ハウス」に的を絞って訪れてみることとした。
 白金台の駅まで歩き、ドンキホーテのあるあたりで左折すると外苑西通り、俗称プラチナ通りに入る。もちろんプラチナで出来ている特別な通りというわけではなく街路樹は美しいがごくごく普通の道で、ドンキホーテが出来てからますます特別感が無くなった感はある。まあ、別に特別である必要はないのだけど、「そこにある店」というものは街というものの性格を形作る物である、とつくづく思う。
 プラチナ通りを下り、住所に記載されたあたりを散策すると、さすがにそこはやはり高級住宅街であり、土浦亀城邸の周辺と同じように一戸あたりの土地も広く取ってある。プラチナ通りから一本右に入り平行する細い道を歩いて行くと当該の地番に突き当たり、さてどこか、と見渡すと何やら工事をしたばかりの跡がある。嫌な予感がして近づいてみるとやはり白金ハウスのあるべき号の建物が解体されていた。それもつい最近工事が完了したばかりで次に何を立てるのかも決まっているようである。失敗った、ここもか・・・とインターネットを調べてみるが白金ハウスで探しても同じ名のマンションしか出てこない。旧渡辺甚吉邸とあったので、それで調べ直すと邸宅は去年、茨城県の取手市に移築されたらしい。先だって同じ目に遭ったばかりなのに・・・調べてから訪問するべきであった、と臍を噛んだが・・・・。
 臍っていうのはそう簡単に噛めるものではない。噛めないからこの言葉が出来たと(春秋左氏伝)謂れがあるがどうも臍落ちしない説明である。などと、うだうだ言っても仕方あるまい。とにかく移築されたのだからよしとすべきであるし、ネットによると前田建設の子会社が移築を担当したようで、併せてメンテナンスを行ったようだ。欧州に比べると湿気が多く、その上地震に見舞われる日本ではメンテナンスは必須なのだ。
 いずれにしろ、上大崎とか白金台とか、高級住宅街に古くからの住宅を遺しておくほどの余裕はないのであろう。学校とか公共施設、教会などの建物は維持する母体があって存在し続ける可能性はあるが、そうでないと格別の思し召しがない限り解体されてしまう運命にあるようだ。そう考えるとつくづく鈴木京香さんは偉い。同じ金持ちでもネットで騒いでいるだけのような方々には真似は出来ないだろう。(下手に真似をされても炎上目的でとんでもない改造とかしてしまいそうではあるけど)
 さて・・・近辺にある手近な建築物で残っているのは杉野記念館、ここは杉野服飾大学が保存しているので旧個人宅とはいえきちんと残っていることであろう。いずれゆっくりと訪うことにしたいと思っている。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する