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「としよりの戯言」における「大衆による、大衆『への』反逆」のすすめ」に関する補足

以前、掲題の文を揚げた時、 
「『Nobilitate(貴族性)のかけらもない大衆』と彼がいった場合、その概念と対峙する貴族とは社会階級としての貴族と言うより、プラトンの言う哲人に近い、と僕は捉えている」
と記した。これに関して、スペイン語の原文に当たっていたとき(漸く原文を手に入れることが出来た)に、その序文(introduccion)をインディアナ大学のJulian Mariasがオルテガ自身の文章を引用して下記のように指摘しているのを見つけた。
Y,subrayando esa independencia, continua:<Para que la filosofia impere no menester que los fiolosofias imperen ---como Platon quiso primero--, ni siquiera que los emperadores filosophen--- como quiso, mas modestamente,
 大意としては、「(オルテガは)この独立と言う言葉を強調して、続けた。『哲学の支配というのは、プラトンが最初に望んだ哲学者による支配、あるいは次いでより妥当な形態としての哲学王による支配ということを必然とはしない』」即ち、支配者が哲人、哲学者ないしは哲学に習熟した君主である必要はない、しかし哲学が支配するべきであるには変わりないと言うことである。確かに為政者が基準とする行動原理が哲学に則った物であれば、その政治が濫りに流れることはない、それこそが重要なのだ、という考えは納得のいく論理である。プラトンの哲人政治というものの内容をよく理解しないまま、少々迂闊に筆を滑らした感は否めないので補足・一部訂正しておきたい。
 プラトンという人は民主主義がソクラテスを殺したとき、哲人政治を唱えたのだが、当初は確かに哲学者による政治、ついでディオニュシオス2世という僭主を教育して哲人の王にしようとした。しかし僭主と哲学者は共存するものではなくプラトンは命からがらアテナイに戻らざるを得なかった。彼の危惧した民主主義の有り様は、オルテガのそれに似たものであり、その懸念は時代が下るにつれますます強まっている。民主主義を否定することは出来ないが、今の民主主義があるべき姿なのか、と言えばそうではない。だからこそ民主主義を否定するのではなく、より望ましい民主主義の形を模索するべきなのが我々の使命であって、全体主義が一見効率が良いからと言ってその悍ましい形態に飲まれてはいけない。アメリカでも日本でも一時懸念された全体主義的な動きは少し収まったように見えるが安心してはならないとつくづく思う。

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