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「エロス」を書き終えて


 日曜日の夜、NHKの「クラッシック音楽館」でブロムシュテットの演奏するシューベルトのシンフォニーを聞きながら「エロス」の最終章を書き終え、それを投稿サイトにアップした。ふと画面に目を遣るとシューベルトのシンフォニーは既に終わり、40年ほど遡った4x3の画面の中で若かりしブロムシュテットはロザムンデを演奏していた。小説も40年ほど遡った時点から書かれている。その頃はブロムシュテットも椅子に座らず、颯爽と演奏をしている。そのころは皆・・・若かった。

 ブロムシュテットによるシューベルト(1番と6番の交響曲)は僕が聴いた日である10/21の演奏を放送して、おかげさまで良い追体験ができた。正直言って、先週放映されたマーラーの9番より集中力が高く良い演奏だなんて言ったら怒られるかしら?なんせあちらはAプロなのでお値段も少し高かったわけだし(マーラーの方は券が売り切れていて聴きたくても聴きに行けなかったので逆恨みを言っているだけです、はい)先だって近況ノートに書いた「6番をシューベルト自身は「大交響曲」と威張っていた」という話をブロムシュテットもインタビューでわざわざ譜面に書かれた表題を見せながらしていた。大指揮者がすると説得力がある話になる。
 作曲能力という点ではシューベルトはベートーベンやブラームスを上回る天才だと僕は思っているので、少しくらい威張っても全然問題ない。交響曲における史上最大の傑作は8番、The Greatにある、と僕は密かに思っているが口に出すと色んな人から(特にベートーベン、ブルックナー、マーラーのファンからの否定が凄そうだ。その点、モーツアルトやブラームスファンはもうちょっと大人の反応を見せてくれると信じている)反論されそうで怖い。
 でも例えばピアノソナタのD958以降、あるいは8番の交響曲なんか、本当に完成度が高い。モーツアルトは神の音楽をそのまま持ってきたが、シューベルトは命と引き換えに曲を死の世界から引き抜いてきたのだと僕は思っている。
 それが証拠にシューベルトの音楽には「死」を感じさせる音楽と「生」の喜びを無邪気に表現する音楽が対極的に存在する。前者は「魔王」とか「死と乙女」、「未完成」という名で知られる交響曲の7番、後期のピアノソナタ、特に「遺作」それと「冬の旅」や「白鳥の歌」などのリーダー、後者は「ピアノとバイオリン、ビオラ、チェロとコントラバスのための五重奏曲」<鱒>や「美しき水車小屋の娘」・・・。
 冥界と楽園を行き来した作曲家はワグナーではなくてシューベルトなのですよ(と書くと、クラッシック音楽ファンでもっとも危険なワグネリアンから怒られそうだ。とはいえ・・・ロシアで活躍?中のあの傭兵会社の名前にもなっているようで、ヒトラーに引き続きワグナーも大変な方々に好かれているものだ。ロシア大統領はウクライナをナチズムとか言ってファシスト扱いしているが、間違いなくロシア側にそれはいる)

ん?エロスと死、幸福・・・

 そうだ。話は「エロス」に戻る。この小説は実はずいぶん昔に書いた小説でそのままコピペしてアップする手もあったのだが、手を入れることにした。ところがその後病気が判明してしまったことから、当初の思惑を遙かに超えて初掲載から結局8ヶ月をかけてしまうことになった。
「エロスと死」と書いたものの現実的な死の予感と「エロス」という小説はなかなか両立するものではなかった。(もっともこの小説が情死を扱っていたら別だったかも知れないけれど、主人公は皆若いので)
 実は終わりまで読んでいただければ分かるのだけど、最後の文が示唆しているとおりこの小説には続編がある。昨日その原稿(一応書き終えているが校正中のものだった)をクラウドから引っ張り出してきてみたのだが、いずれ校正を終えたらまとめて発表することにしたい。あまりだらだらと時間を掛けることはやめようと思う。エロスを読んでくださった方、大変時間がかかって申し訳ありませんでした。
 さて・・・続編はある意味、さらに背徳の感が強い。藍さん、あなたはいったい・・・どういう人生を送るつもりですか?

 この続編をまとめて後々と思っている理由には、病のおかげで中断している小説が他にあり(アップしているのにあまり進捗していない)、さらにもう一編書きかけのものがある。音楽に関するエッセイや、アップを考えている別のジャンルのエッセイはそれぞれ単独の話を揚げるだけなのでかまわないけど小説は基本、連続性が重んじられるので、まずきちんと終えてから次に移りたいと考えている。
 完成した暁に・・・よろしければ読んでください。

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