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ブロムシュテットのシューベルト

 NHK交響楽団は常任指揮者をファビオ ルィージに決めた。
 実力的にはシャルル デュトワだろうけど、例のセクハラ事件が起きなければ引く手あまたで持ってこられなかったろうし、起きたら起きたで、常任指揮者に迎えるのは世の女性を敵に回す仕儀になる。放送局に付属する管弦楽団としてはいかにもまずい。縁が無かったと諦めるが良いだろう。とはいえ、未だに彼を名誉音楽監督にしているのはやはりその実力を評価しているためであろうか。
 その気持ちも分からないではない。つい最近もサイトウキネンでお得意の「春の祭典」を振ったのをNHKで放送していたが上々の演奏であった。個人的には「春の祭典」(モントリオール交響楽団)について彼の演奏をベストとは思わないけど、思う人がいても全くおかしくは無い。それにしてもアルゲリッチとデュトワの元夫婦はそのまま夫婦で居続けてくれた方が変な相関図というか(関の字が姦に見えてくるような)他の実力ある音楽家を巻き込んだ複雑な関係が発生しなかっただろうに、と思う。
 アルゲリッチが偉いのは、旦那がデュトワであろうと、ロバート チェン(一人目の結婚相手:スイス国籍、中国系の指揮者・作曲家)であろうと、コバセヴィッチ(三度目の結婚相手:イギリス人のピアニスト、バルトークの協奏曲でアルゲリッチとの共演もある)であろうと生まれた三人の娘を全部自分で引き取って育て、一人も音楽家にしなかったことと、自分と同レベルにある音楽家以外に手をつけなかったことにある。その点では元旦那よりは偉いものだ。若い頃のアルゲリッチは華やかな美人であったからもてただろう。ミシェル ベロフやロストロポーヴィッチとも浮名が流れたのだから・・・。もはやメンバーだけでどこかで音楽祭が開催できそうである。
 それも娘を三人育てながらですからね。もはや肝っ玉母さん、行くところ敵なしだ。旦那のようにオーケストラの楽団員やオペラ歌手という自分の言うことを聴かないと不利になる女性に対するセクハラやパワハラで訴えられた旦那とはちょっと人間の器量が違う。(鄭京和はべつだけど、彼女は離婚の理由ですから)だが、どちらとも性に関してはかなり奔放でかつ、世界中に知られてしまった。
 まあ、そんな艶話を初っぱなに持ってくると題と全然違う話だと誹られてしまうが、N響が今後誰を指揮者として迎えるつもりなのかはずっと気になっていた。円は弱くなっているし、世界から実力のある指揮者はどんどん鬼籍に入っているし・・・。

 N響は世界的にスーパースター指揮者を常任に迎えることはできない。カラヤンやバーンスタイン、ベーム、アバド、クライバーなどは無理だし、たぶんトライもしなかっただろう。
 だが、実力があっても名声はいまいち、という指揮者は多い。そんな指揮者たちを選ぶスタッフも交渉して連れてくるスタッフも偉いものだ。オットマール スィットナー、ロブロ フォン マタチッチ、ウォルフガング サバリッシュ、第二次世界大戦の戦前からアメリカに欧州の優秀な指揮者が流出した時ほどでは無いにしろ、経済成長とそれに伴う円高によるメリットが優秀な指揮者の招聘に一役買ったことは疑いを入れない。ブロムシュテットだってベルリンやウィーンを振って少しもおかしくない指揮者である。でも、極東の国に来て振るというのは高齢者の指揮者にとってはなかなか大変だから躊躇うだろう。それでも来てくれたわけだから関係者のたゆまぬ努力の賜といえよう。
 ちなみにドイツにはバンベルグ響という不思議なオーケストラがあって(昔はプラハ・ドイツ交響楽団という名前であったのだが)実力があるのにベルリンやウィーンに迎えられなかった指揮者の転職先となってきた。カイベルトとかヨッフムとホルスト シュタイン等が主席を務めている。いずれもクラッシック音楽好きなら知っている渋好みの指揮者たちである。ちなみにブロムシュテットもこの管弦楽団の名誉指揮者をしているが、結構N響の指揮者と重なる指揮者のメンバーであることが面白い。
 逆に言えばルイージとかデュトワのようなラテン系の指揮者は一時N響に客演で招かれたエルネスト アンセルメが創設したスイスロマンド交響楽団の系譜と言っても良いかもしれず、現にルイージは首席を務めていたし、デュトワもモントリオールに行く前にこの交響楽団を振っている。
 今NHKの指揮者のリストに乗っている指揮者としてはデュトワとブロムシュテットは、どうも私生活は全く違うようだが実力的には双璧であろう。サイトウキネンを振っていたデュトワは人相といい、髪型といいオペラ座の怪人のようになっていたし、なにより詰め襟のスーツが異様な雰囲気ではあったが音楽の骨格は確かなものであった。
 まだまだ精力的な(?)そんなデュトワと違って、ブロムシュテットは穏やかな老人の雰囲気であり、骨折したせいもあってかコンサートマスターの肩を借りての指揮台への登場である。
 彼の年齢を考えるとN響を振るのも、もしかしたら最後になるかも知れない(少なくとも今シーズンはないわけだから)。そんな想いも手伝って久しぶりにコンサートに出かけた。幸いなことにシューベルトのシンフォニーのチケットは残っている(マーラーの9番とグリーグ、ニールセンの方は売り切れていたけど)。すべてのコンサートは今後放映される予定だからそれを聴いてみないと結論は出せないが少なくともシューベルトのチクルスは素晴らしいできだった。おそらくはすべてのコンサートの上を行くであろうレベルである。
 シューベルトの交響曲と言えばThe Great(D944:No8/以前は9番ないし7番と呼ばれていた)、Unfinished(D:759:No7:以前は8番)の二曲が飛び抜けて有名で、辛うじて3番(D200)がカルロス クライバーのUnfinishedと一緒に録音されているためそれは知っているという人もいるかもしれない。私もその口であった。(アーノンクールによる3番と5番は持っているのだが印象の薄さは否めない)
 シューベルトの交響曲は飛び抜けて有名な二曲を除いては16歳から21歳までの間に作曲された。若い頃の作曲ではあるが、そもそもシューベルト自身が31歳までしか生きていなかった。その意味では他の交響曲の作曲時期が若いと言うことが問題では無く、逆に7番と8番があまりに印象的すぎるのだ。
 光が強いほど影は濃くなる。
 NHKホールの二階席で聴き始めた若きシューベルトのシンフォニーは、しかし、すでに作曲者の才能と癖を確実に表していて、95歳のブロムシュテットはその老いにもかかわらず、あるいは老い故に、とても瑞々しく曲を描ききってくれた。今まで聴いたコンサートの中でも出色のできばえである。
 1番(D82)ではテーマの留め方に既に7番、8番に繋がる特有の癖・・・どこかためらうような恥ずかしげな留め方が聞こえてくる。ああ、これがシューベルトなのだ。優しげなためらい。
 6番(D589)は青年の気負いが感じられる曲である。1楽章の二本のフルートの繰り返される掛け合い、2楽章の金管は、特に意識的に強調されている。The Greatは8番の通称だが、シューベルトがこの6番に自らGrosse Sinfonie in C(大ハ長調)と名付けたのにはそれなりの自信と気負いがあったのだろう。シューベルトが死去したとき、本来なら献呈されたThe Greatを演奏すべきWiener Musikaverains が代わりに6番を演奏したのは、8番の困難さを克服するだけの時間が無かったせいもあろうが、6番も十分に立派な曲だったからであろう。
 探せばシューベルトの交響曲の全集は意外とあるようで、今後購入を検討してみるかも知れないができればブロムシュテットの手になるものを入手したいものだ。そんな風に思えるからたまさか、コンサートに行くのは面白い。
 晩秋のソワレ、とても良い音楽を聴かせて頂いた。

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