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5億円のはなし

 とある漫才師が格下の芸人に女性を「調達」させ、「飲み会」に「連れ込んで」「意に沿わぬ」「性的関係」を結んだと週刊誌に報じられ、訴訟が始まるそうだ。
 真偽のほどはおいおい裁判によって多少は明らかにされるのだろうけど、端的に言って不快なニュースである。理由として訴訟の論点が「そういう行為があったかなかったか、そういう行為に及ぶに当たって同意があったかなかったか」という論点の他に「そういう行為を行った客観的証拠があるかどうか」においているからであり、その上で賠償金として5億円以上を請求していることがある。
 こういう行為の社会や法における判断、ないしは制裁は時代によって変容を見せてきたが、正直なところ通常であれば女性側になんらかの「明確な不満」を残すような行為がなければ顕在化しないと思っている。もちろん中には、「冤罪的」「美人局的」なケースもあるのだろうけど、暴露された方が「完全にクリーン」な状態というのはあまり見聞きしない。たいていは合意の存在をどう捉えるか、だけの話になる。それなのに客観的証拠が不存在だとか懲罰的な対価としての賠償金を要求することが正当なのか、というと正直言って正当とは思えない。だからそういう訴訟を提起すると「権利としては認めるが」(人格としては)「まあ、そういう人間なのだろうな」という感想しか抱けないのである。
 事実関係もはっきりしないまま、どちらが正しいというのは良くないのだが、もしそうした事実が「ないならない」で、あったなら「どういう事実があったのか」を明確にしないまま「客観的証拠」を相手に求めて、それがないなら5億という請求をすることが「ある程度世論を背負った」人間として妥当な振る舞いなのか、というと全然同意できない。SNSで呟いたり後輩芸人に語らせたりする行為に「小狡い」ものを感じてしまうのだ。世論を背景にした有名人がその世論を味方につけようとするならそれに相応しい振る舞いというものがある。
 同時に論点が全くずれた世間の視点は排除するべきであろう。
 そもそもこの話は「そういう飲み会が存在したか?」「格下芸人はそうなりうる事実を知っていて調達したのか?」「性的関係はあったのか?」「それは意に沿わぬものだったのか?(結果として合意したとしてもその経緯で同意の圧力がなかったのか)」などの事実のみで判断すべきでありそれ以外の論点は雑音にしか過ぎない。それなのにもっともらしく「週刊誌の書き得」みたいな論を恥ずかしげもなく述べている人間がいる。週刊誌に素っ破抜かれて恥をかいた人間でそれは週刊誌相手の訴訟に勝とうと負けようと、まあそうした覚えのある人々がそういう論者であるのはある意味理解もするのだが(理解はするが同意はしない)さもそれを新たな論点のように吹聴する人間の頭の構造が分らない。
 ネットで「適当な意見を開陳するものたち」と違って少なくとも「まともな週刊誌」は「背負うもの」が存在する。一時的な損得でいい加減なことを書くなどと言う「損な」ことは滅多にするものではない。もしもそうだとしたら「書き得でいい加減な記事である」という事をそういう意見を述べた人が「証明しなければいけない」。それが世の中のルールである。まあ、週刊誌の編集長が「売れた」などとそそっかしいことを言うから野良犬にかみつかれるような仕儀になるのだが、だからと言ってそんな話に同調するほどネットの世の中のレベルは低いのだろうか?人には要求する癖に自分の果たすべき事はなにもしないのがネットの水準なのだろうか?
 確かに今の時点、どちらが正しいのか明らかではない。明らかでないからこそ、公明正大に主張する事が本道である。確かに法的手段に訴え、多大の賠償を要求するのは法廷戦術としては「あり」なのであるが、そもそも人気を背負って世の中の支持で商売をしている人間が、個人(或いは個人と法人のセット)で「脅迫的な金額」の訴訟で「声を上げさせない」方法をとること自体が支持できない。
それにしても芸人だけではなく、サッカー選手、映画監督と次々に同じような訴訟があり、それぞれ事情があり、また真偽の程度もあるのだろうけど、「全く何もなかった」のと「そういうことをした証拠があるわけではない」というのは全く違う話である。
 確かに痴漢事案にしても強制性交に関しても「冤罪」に当たる場合はあると思うが、その殆どは「冤罪」ではない。ことさらに冤罪のケースを取り上げるのは比率的にバランスが悪いのは当たり前の事である。世の中にはえてしてこうした特殊のケースを用いて論議を混迷させる人間が多い。こうしたケースが「冤罪的な」ものだと断定する要素は今のところ本人たち(と明らかにその本人たちのサイドにいて何らの検証を受けていない人々)の主張以外になにも存在しない。
 昔の政治家や芸人が良かったとは思えないが、今でも昔でもやはりこうした件には人間性が出る。西園寺公望なんて明らかにロリコンのひどい奴だったが、なぜか誰からも文句が出なかったのに、宇野宗佑はあっという間に総理の座を追われた。同じ事は芸人を始めとした有名人にも当て嵌まるのだ。
 それにしてもちょっと前に同じ事務所からパワハラで放逐された同じようなタイプの芸人がいたのだけど、芸能事務所もちっとも改善できていないようで、そんな組織もそろそろ賞味期限切れなのではないか?

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