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パソコンを買いました

 五年ほど前に買った手持ちのパソコンの動作がだんだんおかしくなってきていた。
 とはいえ、OSはWindows10。マイクロソフトがWindows8.1のサポートを来年終了する話が出てきたくらいだから、まだ10ベースは大丈夫だと思っていたのだが、ハードが大丈夫ではありませんでした。電源を入れても80歳の老人のようにのろのろと動き始めはするものの、途中で挫折して
「今日は足腰が立たん、悪いがベッドに戻るわい」
 と呟いて(?)、パスワードの画面に行くことも無く、世界のどこかの荒涼とした岩だらけの海辺の景色をひたすら映し出すことがなんどか起きた。どういうわけか立ち上がれないときはスクリーン画面もうら寂しい景色を映し出すことが多い。
 メモリに問題がありそうなのだけどそれだけではなく、CPUがCeleronだし、グラフィックスはとんでもなく弱いし、買った当初から「こりゃ、そんなに持たないかもなぁ」とは思っていた。でも・・・僕はパソコンでは主にExcelとかWord、それにインターネットでテキストを見るくらいしかしない。なので、多少性能が劣っていても安い方がいいと思って買ってしまったが、今頃になって後悔させられるはめになった。パソコンというのは決して安いものを買ってはいけないらしい。CPUは最先端(少なくても最先端に近いもの)でグラフィックスはある程度強力な性能が無いとだめである。さもないといずれゲームをしたくらいでハングしてしまう憂き目に遭う。
 こちらの使用法とは関係なく、パソコンはインターネットに繋いだ途端に複雑な環境に直面しその進化に翻弄される。プアな性能だとたちまち環境に太刀打ちできなくなる。昔のワープロと同じに考えてはいけない。昔のワープロはスタンドアローンであり使用環境が変化することは無かった。しかしネットにつながることで環境の変化に性能の劣るパソコンは否応なしに淘汰されてしまう。あたかも生物の進化を促すかのような環境の変化にさらされるのである。
 そんな環境下でダイナブックブランドであるものの、明らかに中国メーカーのODMのパソコンを買ったのが大間違いであった(なぜODMとわかるかというと以前勤めた会社の支給品がソニーブランドであったが筐体が完全に同質(メタル風の安物プラスチック)であったからで、その前のPCも性能に問題があった)。たかだか五万、十万の違いで四、五年ストレスを抱えたままパソコンを使わねばならない羽目に陥る。今度はさすがにそんな目に合わないようにしようと決意した。
 とは言え資金も無制限にあるわけではないので、多少年式が落ちても性能がある程度高いCPUとグラフィックスを持っていることを条件に十万円台半ばで探し、富士通の型式落ちのものを15万円で入手した。販売店のポイントもついたので実質的には13万円程度の買い物である。一応、1世代前とはいえCorei7で,グラフィクスはiRIS実装、ストレージも512GBとそれなりのスペックである。ゲームをそれほどやるわけでもないので3Dマークは必要ない。メモリが8Gなのが少し気になるがオーダーメイド以外だと16Gのものはなかなか売っていない。同じような製品がNoBrandだと10万円程度で出ているがブランド品ならこの程度は妥当な線であろう。
 家に戻って早速使ってみると、Windows10時代のパソコンと圧倒的に違うのはストレージで、昔はハードディスクを使っていたものが今はSSDである。僕が入社したての頃、パソコンや周辺機器を売っていた時代から、いずれPCからHDDは淘汰されセミコンダクターになるといわれ続けていたがついに40年の時を経てようやくそれは実現したようである。その40年メーカーが何をしていたかといえば何もしていない。単純にセミコンダクター化は受け入れられなかったと言うのが実情である。
 結局、ストレージをクラウドに格納するというステップを置き、その信頼性がある程度納得されたことで、容量の不安に関するユーザーの理解を得たという事だろう。今は粛々とセミコン化が進み少なくともラップトップPC(ノートブックPCというのは和製の言葉)にはHDDベースのものは殆ど無いし、外部メモリもセミコンダクターと変わってきている。HDDの容量アップは常にクラッシュと背中合わせだろうからハードとしてのPC側としてSSD化は妥当な結論だろう。
 それにしても立ち上がりの速度が全然違う。HDD時代のあのイライラは何だったのだ。

 さて実際に使ってみて、製品自体には今のところ満足なのであるが、家に帰ってから気付いたのはこの製品がmade in Chinaであるという事実である。今更、電化製品がmade in Chinaだと文句を言うのは大人げないと思う人もいるだろうが、富士通のPCはほんのちょっと前までmade in Japanを売りにしていたはずだ。それがフラッグシップとまで言わないが、結構上位モデルまでmade in Chinaにしてしまうのが納得いかない。と思っていたら富士通のPCはレノボに買収されていた。うかつだった。NECも買収し、富士通も買収って言うのはどういうこと?と思っちゃうし、買収されたくせに富士通ブランドってある意味詐欺じゃん。もはやパナソニックかmouseくらいしか日本製の選択肢はないのであろうか。
 二万・三万円の電化製品が中国製なのは納得できる。しかし、今はまるで逆になっている。この一年で買った電化製品は、ドラム式洗濯機、冷蔵庫。炊飯器、そしてパソコンなのだが、唯一、十万円以下の炊飯器だけが日本製、あとはすべて中国製なのだ。炊飯器は不思議なことに一定のレベル以上の製品はみな日本製になっている。しかしこれは推測するに、日本人では無くこの炊飯器という製品の重要な顧客になっている中国市場向けアピールなのではないか?
 因みに、洗濯機も冷蔵庫も個人的には日本製品を買おうと検討したのだが(あるいは、洗濯機はわずかに日立が日本製だったがサイズ合わず、冷蔵庫も日本製はサイズが大きいものしか無く、我が家のサイズでは中国製の電化製品しか入らないらしい。情けない話だ。しかし10万円を超える市場の製品をいつの間にか全部中国に奪われてしまう日本の会社も情けないではないか?今更、湿気とり製品やらプラスティックコンテナのような安価な商品を日本製と銘打って販売しても、それこそ?マークしか浮かばないのである。まあ、私も電機会社に勤務していた仕事柄、そうした風潮に加担したといえないでも無い。
 しかしその後、別の会社に勤めたときは、社長が安易に、
Made in Japan
 と銘打ってWEBに広告を打とうとしたのをみっともないからやめなさい、と忠告して中止させた位の意地はあった。今のmade in Japanと銘を打って販売している製品のすべてがそうだと思わないが、かなりの部分がそれまでの“Made in Japan”のブランドに乗っかってそのブランドそのものを毀損している最中だという思いは禁じ得ない。Made in Japanかどうかはタグを見て確かめるものだと僕は今でも思っている。

 ものを買うときに中国製をすべて排除しているわけでも無いが、パソコンとかスマホでは、部品の選定でどうしても疑念は残る。少なくともODMより現地側の製品は基本的にやめた方が良い。性能だけで無く部品やソフトが何もスクリーニングされていない懸念がある。
 他の商品だとスニーカーのように中国製を排除するといきなり選択肢が70%くらい減ってしまう製品もある。でも少しずつインドネシアとかバングラディッシュとかの製品も増えているし、世界的ブランドの商品はさすがに一定の品質は保たれている。少なくとも(一度、中国製のノーブランド品(それでも一万円はしたのだけど)でそんなめにあったのだが)夏の暑さで靴底が剥がれてしまうなどという悲劇は起こったことが無い。
 申し訳ないけど物作りという観点では中国を信頼することは永遠になさそうである。中国で作られていても信頼できるブランドなら買う、という程度のスタンスしかないのだが、信頼して良いのかどうかは、最初は買ってみるまで分からない。二度ほど中国製のフライパンを買ったが、アメリカブランドのものはあっという間にだめになり、ドイツブランドのものは四五年使っても何の問題も無い、そうやって経験で計るしかない。

 パソコンの話がいつのまにか中国製品の話にそれてしまったが、日本の物作りはもはや為替の問題ではなくなってしまったようである。テレビを見ていたら円安で日本の米が海外で人気らしい。外国人旅行者が喜んでいるという報道や、海外に移住した人が恩恵を受けているという話をしている。それも一面事実であろう。しかし、日本は農業国家では無いはずだ。移民で生きる国家でも無いはずだ。農業と移民を否定するわけでは無いが、国家の根本の姿がいつの間にか変わってしまっているような気もする。富国強兵を唱えるつもりはないが、これで良いのか一度考えてみる必要があるのではないだろうか?

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