二回目の化学療法のために8月8日から8日間の入院を終えて帰宅したのが一昨日の火曜日(これを書いていた時点は8月17日です。悪しからず)であるが、帰宅してからのこの二日間というもの殆ど寝室に籠っているような状況だった。
入院中の食欲は前回ほど壊滅的ではなく、それなりに規則的に(大した量ではないが)食べていたのだが、実際の体力・気力は一度目より今回の方が大きく削がれた。もしかしたら前回の療法のダメージがまだ体に残っていて累積的に効いてきたのかもしれないし、そうではなく単に「二度目の方がきつい」というパターンの方が一般的なのかもしれないが、喉の閊え・口内や鼻孔の粘膜へのダメージ、体全体の痛みはこの二日間続き、思っていた以上のダメージが僕を怯えさせ、なかなか外出もできなかった。
ダメージを受けている最中はもちろん原稿なんて書く気もしない。それどころかパソコンを立ち上げることさえ億劫である。今日は久しぶりにパソコンを起動させいくつかの溜まっていた作業を終え、こうして原稿を書く気にもなったのはゆっくりとではあるが心身が回復しているからであろう。
さて、ちょうど入院している間に「癌と闘うな」という主張をされた近藤誠医師が逝去されたという報が流れた。慶応大学医学部で慶応大学病院の化学療法を担当されていた彼が化学療法を否定する(のみならず放射線治療も外科手術も、らしいが)にはそれなりの苦悩があったと思う。その主張は医学界で大きな反発と拒絶を招いたらしい。彼自身の著書を読んだこともなければ、これから読むこともないだろう(僕自身はそうした専門外の書物を読むことはあまり気乗りしない。とりわけ罹患している状態ではどのような書物も「自分が望ましい」と感じる主張に心が引き寄せられるのは自明の理で、それは正しくない手法だからだ)
だがしかし、その主張には一定の理解を経験則としてはできる。そもそも化学療法にしても放射線治療にしても体へのダメージは半端ではない。病院ではそれを副作用と呼ぶが、実際は主作用である。つまりそうした治療は正常細胞に対してもがガン細胞に対してもダメージを与え①正常細胞が回復しガン細胞が回復しなければ治癒②どちらも回復すれば失敗③正常細胞が回復せずにガン細胞が回復すれば(このケースはあまりなさそうだけど)もちろん失敗、という図式なのであって、患者は治療後、治療とは思えない状況になる(つまり治療前より健康は悪化する)そのネガティブな作用を治療効果が明らかに上回ることを前提にしているのがこれらの療法である。もちろん医師たちは理解しているが患者は必ずしも理解しているとは思えない。
結果として治療の可能性はあるが当然そうでない場合もあり得るというのが実情であろう。失敗した場合は身体への負担だけが残る場合もあり、前回にも触れたが自死を選ぶという不幸な結末もあり得るのである。
近藤誠さんはこの主張をした結果、慶応大学では傍流に甘んじざるを得ず、講師のまま退任されたと側聞する。もっともこの主張をしたことで彼は別の形での名声を得たわけで、イーブンではあるが、本来医師である彼にとってはその名声の得方が本意であったのかはよく分からない。
しかし、彼に対する批判はネット上に山ほど残っており、それはたいていガンに関わる医師からのもので、基本的な主張は「彼がそのような主張を繰り広げたせいでガン患者が病気を放置することによって、救える命を救えなかった」という事である。もちろん患者の中にも「彼の言うことを聞かなくてよかった」という考えを述べている人も少なくないわけである。
しかし、患者というのは様々な状況に置かれており、「患者の声」は一つではありえない。もちろん、彼の主張を否定する声もあるであろうが、僕は患者の一人として彼の主張を一方的に正しいとは思わないが「傾聴に値する考え」だと思っている。
そもそもガンに関わる医師の「彼がそのような主張を繰り広げたせいでガン患者が病気を放置することによって、救える命を救えなかった」という医師の主張については、それを「患者に言い聞かせるのはあなたの仕事だ」、と言いたい。医者というのはどこか傲慢なところがあって「数」として救えば構わないと考えている節がある。そんな考えでは患者は納得しないのである。僕が手術と化学治療を選択したのは、担当の医師の説明を納得したからであり、当然「放置」も選択肢の一つであった。なぜなら患者にとっての余生の意義は「楽しく暮らせる状況(A)x残りの時間(B)」であって(A)が小さければ(B)がどんなに多くても意味はないのである。
だいたいにおいて近藤医師の主張を頭ごなしに否定するような精神状況の未熟な(年齢と関係なく)医者には掛かりたくない。そんなのは碌な医者ではないのである。つまらない主張を繰り広げるより近藤医師の主張と患者の精神状況を腹の中でよく理解してから患者に接することをお勧めする。
化学療法の病棟は決して明るい雰囲気ではない。往々にして彼らは何度か目の入院であり、その何度かの入院での経験を知っている。中には日がな同じ場所から外の景色を眺めている患者もいる。Covit19のせいで面会が制限されていることもあり、久しぶりに奥さんにあって泣いている患者もいる。夜間に動物のような声でおめく患者もいる。ソルジェニツィンではないが「ガン病棟」は「死を前提とした医療者と患者の共同体」であり、意識外に「非人間性」が露呈する場所である。だからこそ患者は「人間」として生きる術を模索してるのであり、その一つとして「ガンとの共存」の可能性を考えるのである。
まあ、そんなことを考えながら戻って来たのであるが思ったより脱稿するのに時間がかかってしまった。これも治療の影響である、と思う。とにかく何をするのも億劫である。
それでも戻って来た時に最初に聴いたフルニエによるバッハの無伴奏チェロソナタの臨場感あふれる演奏に耳を欹て、うん、音楽というのは希望だな、と思った。自宅に帰りたいと思ったのも好きな時間に好きな音楽を思い切り聴くことができる、そんな喜びがあるからなのだろう。それは僕の(A)の一つの要素である、そう思った。