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「だいだらぼっち」を書き終えて(2)

 この小説のもう一つの題材である歌垣(あるいは嬥歌<かがひ>)については、多くの説があるが、おそらくは様々な要素が交じり合った儀式の一つで、呪術的な要素もあれば、地域の集まりと言う要素、結婚相手をみつけるための要素などが混合したものなのだろう。その中で重要な要素はやはり男女の若者同士が知り合うというものなのではないか。古代から子孫を作るための儀式と言うのはあらゆる地域において存在し、今なお存在し続けている。
 昔府中に住んでいた時に近くに大國魂神社という社があって、そこでは暗闇祭りという祭りがあった。あったというか、今でも盛大にやっている。暗闇の由来は貴いものを見るのを憚るということであるが、その祭りもやはり若い男女が出会う場となっていたという。土地の風習が祭りと混合してそう言う場になったのであろうが、現代と性に対する忌避や道徳が違う時代の事なのだから、そういう場があって、実際にそこで性行為があったとしてもそれだけで怪しからん、という話ではない。宗教、とりわけキリスト教の影響によって変化していった現代の価値観で過去を非難しても仕方がない。(とはいっても、現代において同じことをしてもいい、という事ではないのは道徳的に明らかである。ここらへん、時代について行かないと大変なことになる)

 歌垣に話を戻そう。古事記には「古事記異伝(悲恋の章)」にも描いた通り、袁祁命と志毗臣が争った場面があり、これは歌垣とされる。考えようだがこの場合はやはり、若者同士による女性の奪い合いという要素が強く、志毗臣が殺害されるという命に係わる要素はあるものの、婚姻に関わる儀式であったことは間違いない。
 「風土記」では「摂津國風土記」に歌垣山の記載があったという逸文が残っており、「常陸國風土記」には香島の郡(今の鹿島)の項に男女が歌を交わし、愛し合い人に知られることを恐れ松になるという美しい物語がある。
 ところが、万葉集になると若干、様相は変わってくる。
 同じ常陸國筑波山の歌垣を歌った高橋虫麻呂の歌は「おとめおとこのいきつどい、かがふかがいにひとづまにあもまじらはむあがつまにひともこととへ」というもので、これは「女の子や男の子が集まって歌いあう歌垣に自分も交ろう、自分の妻に男たちも言い寄れ」という意味で常陸国主藤原宇合の部下である高級官僚の言いようは今でいえば、乱交、スワッピングのような雰囲気を醸し出す。
 おそらくは歌垣にはこうした状況も現出したのであろう。「吾も交らむ」と地位のある人間が言えば、通さざるをえないのは実態に違いない。権力が混じり始めると、歌垣という儀式にもどこか汚れたものが混じり始めるように感じられるのは私だけだろうか?いずれにしろこの歌が万葉集に載っているというのは興味深い。
 だがこれを最後に婚姻や性的な性格を有した歌垣というものがその後、文学や歴史に表面だってあらわれることはなくなった。一方で歌垣に似たものは各地で存在し続けたのではないかと思われる。暗闇祭りはその一例だろう。ということは、古代的な風習は一時的に貴族階級まで巻き込んだのちに、再び分離していったのだろう。

 現代に比較して性的なものに開放的だったにもかかわらず、分離していった経緯には上流階級において族というもの、家という概念が確立していったという背景があるのかもしれない。それは雅と言う形で源氏物語に表されるような階級的に閉じた形へと変貌していったように思われる。
 「だいだらぼっち」はその僅かな時代に翻弄された男女を描いたものである。

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